盆踊り唄「大津絵」(中津市大新田) <小唄>

☆九州豊前の中津の京の町 粋な別嬪さんに手を引かれ 片端の町を

 (コリャコリャ) しずしずと もはや嬉しや小倉口 いま人の

 (ドッコイ) 噂も広津橋 はるかに見えるは天通じ(コリャコリャ)

☆鹿が鳴きます秋鹿が 寂しうて鳴くのか妻呼ぶか 寂しうて鳴かぬ

 (コリャコリャ) 妻呼ばぬ 明日はお山のおしし狩り いまどうぞ

 (ドッコイ) この子が撃たれますゆえ 助けください山の神(コリャコリャ)

☆国は播州の姫路の御城下で 青山鉄さんの悪だくみ かなえの皿を

 (コリャコリャ) 一枚盗み取り それとは知らずに腰元お菊 今なんぼ(ドッコイ)

☆三国一の富士の山 雪かと見れば白富士の 吉野山

 (コリャコリャ) 吹きくる嵐山 朝日に山々見渡せば 山 小夜の

 (ドッコイ) 中山 石寺山や 末は松山 大江山(コリャコリャ)

☆政岡が鶴千代君の お顔つくづく眺むれば あの千松が

 (コリャコリャ) いつもの通りにて 雀の歌をば歌ってみやしゃんせと 今云えば

 (ドッコイ) 千松渋顔して 裏の畑の苣の木に(コリャコリャ)

☆中津近くに名高い市が立つ 大貞放生会で八日が羅漢 お取り越しは

 (コリャコリャ) 十月四日市 宇佐のまんどころでおけつひねられた あの餅は

 (ドッコイ) くうばの山中で 雨は降り出し 傘もちゃなけれど(コリャコリャ)

☆日高川エ 清姫が 安珍さんに御用じゃと訪ねくる これいなもうし

 (コリャコリャ) どこかここらで 二十歳くらいのあの立派な

 (ドッコイ) おぼんさんにお逢いはなせぬか 逢うた見たこた見たけれど(コリャコリャ)

☆十五夜のエ 月はまんまと冴ゆれどもエ 冴えぬは二人の仲じゃもの 辛抱してくれ

 (コリャコリャ) 今しばしエ 辛い勤めと思わいで いま怖い

 (ドッコイ) 夢じゃと諦め下しゃんせ 逢うたこの夜の二人仲(コリャコリャ)

☆山中通れば定九郎が おーいおーいの親父さん その金こちらに

 (コリャコリャ) 貸して下さんせ いえいえ金ではありません いま娘

 (ドッコイ) おかるがしてくれた おーいおーいの握り飯(コリャコリャ)

☆夏の夜によいものは 空に一声ほととぎす 草葉にとまる

 (コリャコリャ) 蛍虫 昼は草葉に身を隠し いま夜は

 (ドッコイ) 小道に灯をとぼし 忍ぶ男の邪魔をする(コリャコリャ)

☆大阪を立ち退いて 私の姿が目に立たば 借り駕籠で

 (コリャコリャ) 身をやつし 奈良の旅籠や 三輪の茶屋 いま五日

 (ドッコイ) 三日と日を送り 二十日余りに四十五両(コリャコリャ)

☆ちょいと投げ出す丁半めくり札 あいにゃ二も出る三も出る 四と張れば

 (コリャコリャ) 五で取られ 六なめ札は繰り出さぬ いま七八

 (ドッコイ) おいて工面すりゃ 十年このかた負けバクチ(コリャコリャ)

☆山科の大雪に 東の果てから親子連れ はるばると

 (コリャコリャ) 訪ね来て 力弥と祝言頼めども いま堅い

 (ドッコイ) お石さんが言葉ゆえ 承知なければ是非もない(コリャコリャ)

☆いざなぎや いざなぎや いざなぎ山の樟の木で 舟を造りて

 (コリャコリャ) 今朝おろし 柱は槇の木で 桁は檜 いま綾や

 (ドッコイ) 錦の帆を巻き上げて 舟の艫には松を植え(コリャコリャ)

メモ:昭和30年頃までは盛んに踊られていた。端唄で三味線が入る。唄に似合わず、踊りはすこぶる単純なものだった。一時期は廃れたが、後年、字脚を揃えた上で文句を4節に整え、「中津大津絵音頭」としてレコード化され、今も親しまれている。その際に新しい踊り方も考案されたが、昭和30年代以前の踊り方も伝承されており、めいめい好きな踊り方で踊っている。新しい踊り方はやや手が込んでいるが、古い踊り方はマッカセ等によく似ており、蹴り出して手拍子を打つ所作が特徴。

 

盆踊り唄「思案橋」(本耶馬渓町) <77・72切口説>

☆わしが出しますソーラヨーウハヨイ(ヨイヨイ) 藪から笹を(ショイショイ)

 ヤットコラセーデ つけてつけて ソコおくれよ短

☆竹に短冊七夕様は 思い思い 思いの歌

☆わしが唄うたら大工さんが笑うた 唄に唄に かんながかけ

☆唄にかんながかけらりょならば 天に天に はしごがかけ

メモ:この思案橋は山国町で唄われた思案橋とはまた節が違っている。下の句の末尾3字を欠いていて、下の句2字目と次の文句の1字目が重なっている。そのため2名の音頭取りが交互に唄っており、切口説の文句を、それなりに意味が似通ったものや同じ名詞の出てくるものなどを次々につなげて唄っていくところにおもしろみがある。または、欠いている下3字を次の文句の頭にうまく持ってくるような工夫もあっただろう。たとえば「わしが出します」の文句だと、末尾「短冊を」を3字欠いて「短」で終わっているのを、次の文句の頭に「竹に短冊…」と出ており、うまく意味がつながるようになっている。

 

盆踊り唄「思案橋」(本耶馬溪町西谷) <77・75切口説>

☆思案橋から文取り落ちたナー ヨーホホ

 惜しや惜しやヨー(ショイショイ) 二人の名を流す

☆恋し小川の鵜の鳥見なれ 鮎を鮎を くわえて瀬をのぼる

 

盆踊り唄「思案橋」(山国町) <77・75切口説>

☆思案しかえても一度は来ぬか ヤーハンハ 鳥も 鳥も古巣に二度戻る

 ソリャ 実ぞな鳥も ヤーハンハ 鳥も 鳥も枯れ木に二度とまる

☆思案橋から女郎屋が近い 行こか 行こか戻ろか思案橋

 実 戻ろか行こか 行こか 行こか戻ろか思案橋

メモ:現在、山国町では絶えてしまっている。昭和50年代頃までは奥谷地区にのみ残っていたようだ。おそらく、隣接する福岡県上毛地方では今も踊るところがあると思われる。

 

盆踊り唄「思案橋」(山国町) <77・75切口説>

☆思案橋から女郎屋が近い ヤーハンハ 行こか 行こかドッコイショ

 戻ろか思案橋 ソリャ戻ろか行こか ヤーハンハー

 行こか行こかドッコイショ 戻ろか思案橋

☆思案橋から文取り落ちた 惜しや惜しや 二人の名を流す

 二人の惜しや 惜しや惜しや 二人の名を流す

 

盆踊り唄「書生さん」 (山国町、耶馬溪町下郷、三光村諌山) <5・75・75・75・75小唄>

☆書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(アナントナント)

 親に勘当され試験に落第し(ヨイショ) 仕方ないからネー

 尺八を 吹く吹く 吹く間に門に立つ(ア実際 実際)

☆あの花は 粋な花じゃがありゃよその花(コリャコリャ)

 あの花野山に咲くならば(コリャコリャ) 一枝折りてネー

 床の間に あの花散るまで 眺めたい(ア実際 実際)

☆梅干は 酒も飲まずに顔赤く(チョイトチョイト)

 年もとらずにしわ寄せて(ソイソイ) 元をただせばネー

 梅の花 鶯鳴かせた節もあり ア実際 実際

☆見やしゃんせ 忠臣蔵の七段を(ヨイショヨイショ)

 お軽さんは二階でのべ鏡(ヨヤセ) 縁の下ではネー

 九太夫が 由良さん知らいで文を読む ア実際 実際

メモ:「さのさ節」が変化した座興唄を、盆踊りに転用したもの。踊り方はごく易しく、かいぐりをしながら2歩進み、右足を浮かせて2回うちわをたたき、前に捨てて後ろにながすだけという、行進に簡単な手振りをつけたようなものでどんどん前に進んでいく。しかしかいぐりの部分などなかなか優美で、簡単だがおもしろい。

 

盆踊り唄「博多」(山国町奥谷・守実、耶馬溪町下郷) <77・75切口説>

☆博多騒動 米市丸にゃ(ハヨイトサッサ) 刀詮議に身をはめる

 刀詮議にヤッコラサノ 身をはめる(ハヨイトサッサノ ヨイトサノサ)

☆博多柳町 柳はないが 女郎の姿が柳腰 女郎の姿が 柳腰

☆博多帯締め筑前しぼり 歩む姿が柳腰 歩む姿が 柳腰

☆生まれ山国 育ちは中津 命捨て場が博多町 命捨て場が 博多町

☆博多米市 千菊連れて 刀詮議に身をはめた 刀詮議に 身をはめた

☆博多来るときゃ一人で来たが 帰りゃ人形と二人連れ 帰りゃ人形と 二人連れ

☆親は樋竹 子は樋の水 親の遣る先ゃどこまでも 親の遣る先ゃどこまでも

メモ:座興唄の転用と思われる。かつては山国町・耶馬溪町のほぼ全域で流行したが、踊り方がややこしいので輪が小さくなりがちで、近年は耶馬溪町下郷地区以外ではほとんど踊られなくなってきている。ネットサのときと同じように歩き、うちわを叩き、うちわで右足を叩き、またうちわを叩き、左手で左足を叩くか払うかして、またぞろうちわを叩くというもの。リズミカルにうちわが鳴り、大変調子がよい。集落によって、また人によって節が少しずつ違っている。

 

盆踊り唄「博多」(耶馬溪町柿坂) <77・75切口説>

☆博多騒動 米市丸は(ハヨイトサッサ) 剣の詮議に身をはめた

 剣の詮議にサッコラサイノ 身をはめた(ハヨイトサッサの ヨイトサノサ)

☆博多米市 千菊連れて 刀詮議に身をはめた 刀詮議に身をはめた

☆博多帯締め 筑前しぼり 歩む姿は柳腰 歩む姿は柳腰

☆立てば芍薬 座れば牡丹 歩む姿は百合の花 歩む姿は百合の花

メモ:柿坂でもどうにか伝承されているが、他の踊りのときよりも輪が小さくなるので短時間しか踊らない。下郷の節とほぼ同じだが、1節目でいうと「米市丸は」のところなど僅かに異なる。