安心院盆踊り

はじめに

 安心院町の盆踊りは、宇佐地方の踊りと速見地方の踊りが入り混じっており、宇佐市街地の盆踊りに比べて踊りの種類が豊富である。この記事では安心院町で踊られている盆踊りについて、その行い方の変遷も交えながら、地域ごとの特徴や踊りの種類、庭入り行事の概要といった視点で紹介していきたい。
 この記事における安心院町とは現・宇佐市安心院町の範囲を示す。安心院町は津房、安心院、深見、佐田などいくつかの地域に大別され、地域ごとに盆踊りの伝承状況や行い方が少しずつ異なっているようだ。それをいちいち細かく説明できればよいのだが、これが一筋縄にはいかない。全部の地域の盆踊りに行ったことがない上に、まとまった資料もなく、十分な説明ができないのが悔やまれる。それについては、追々加筆訂正していきたい。

概要

 一般に宇佐地方の盆踊りといえばマッカセとレソが中心だが(宇佐盆踊りの記事を参照)、先述の通り安心院町の盆踊りは宇佐の踊りと速見の踊りが入り混じっているので、蹴出し、二つ拍子など速見地方由来と思われるものも盛んに踊られている。踊りの比重(時間配分)としては、やはりマッカセを長時間踊る傾向にあるものの、宇佐市街地ほど顕著ではない。踊りの種類が多い集落では相対的にマッカセの時間は短くなり、他の踊りの時間とそう大きく変わらない場合もあるようだ。
 安心院町の多くの集落には「庭入り」が残っている(詳細は次項参照)。今は公民館などに位牌を持ち寄って行う「寄せ踊り」の庭入りが主流になっているが、かつては初盆家庭を一軒ずつ廻って供養踊りをしていた。その頃に比べると踊り時間の短縮化が顕著で、踊りの種類の減少も見られ、少しずつ下火になりつつある。しかし、途絶えていた供養踊りを復活させた集落もあり、見る影もないほど廃れているわけではない。時代に合った、現実に即したやり方で伝承されているといえるだろう。
 この地域の盆踊り唄はどれも素朴な田舎風の節で、伴奏は太鼓のみ。太鼓の叩き方は、宇佐地方・速見地方に共通する特徴が色濃く出ており、ワク打ちをたくさん挟む。賑やかで忙しい太鼓のリズムは、田舎風の唄と相俟ってとても楽しい。口説内容については、踊り時間の短縮化の影響が多分にあると思われるが段物口説の衰退が著しく、一口口説が主流になっている。誰もが知っているような文句(咲いた桜に…や、鮎は瀬に住む…など)を順繰りに唄い継ぐことが多いが、安心院の名所を並べた新作の一口口説も盛んに行われている。段物は、鈴木主水など著名なものが僅かに残るのみ。一部集落の「ばんば踊り」を除き、通常、踊りの輪の中心で音頭取りが唄い、踊り手がお囃子をつける。初盆家庭を廻っていた時代の名残で、大きな櫓を設けない集落も見られる。
 踊り方は簡単なものが多く、マッカセやレソをはじめとして、せいぜい5呼間ないしは6呼間程度で踊りの手が一巡するものばかり。もう少し所作が多くても、同じ手の繰り返しが多いので易しい。やや手の込んだものとしては三つ拍子(豊前踊り)や七つ拍子があるが、後者は忘れられつつある。必ず右手にうちわを持つのが特徴で、うちわを回したり、面を生かしてすくい上げたり、叩いて拍子をとったりしながら踊る。初盆家庭を廻っていた時代には、一晩に何本ものうちわをダメにしてしまうこともあったが、それも今は昔のことのようだ。踊りの種類は集落ごとに異なり、少ないところでは3種類、多いところで8種類程度を踊っている。昔は10種類程度踊る集落もあっただろう。マッカセとレソは町内全域で共通の踊り方だが、その他の踊りは少しずつ所作が異なっている。

昔の庭入りと供養踊り

 庭入りとは初盆供養に関する古い行事で、現在大分県内には院内町・安心院町・別府市天間(休止中)・山香町上河内・湯布院町にしか残っていないといわれ、全国的に見ても大変珍しい。
 現在はかなり形が崩れているが(後述)、元来安心院町では13日に初盆供養踊りをしていた。集落内の初盆家庭を順々に廻ってその庭で踊りをするが、廻る順番は年齢の順や亡くなった順など、それぞれの決まりごとがあったようだ。庭入りとは、初盆家庭の庭に繰り込んでから通常の盆踊りに移行する間に行う、一種の儀式のようなものである。
 初盆家庭を供養踊りで訪問する際、集落の成人男性が2列或いは3列程度の縦隊になり、先頭には提灯を持った案内役が立つ。担当の人は笛や小太鼓、鉦(古くは三味線もあり)で「道囃子」あるいは「祇園囃子」を演奏する。そして縦列の中には「傘鉾」を持った人も立つ。傘鉾とは、長い竹の棹の先からヒゴをたくさん垂らし、それに紙縒りや提灯、花飾りなどで賑やかに飾り立てたもので、その見た目は集落ごとにかなり差異がある。かつては高さ4メートルにも及ぶような大きい傘鉾を出した集落もあったが、電信柱が立ってからは電線に引っかかるおそれがあるため、せいぜい3メートル程度の大きさになった由。縦隊はゆっくりと庭に繰り込み、右回りに庭を3週して仏壇の方に向いて整列する。整列すると道囃子(祇園囃子)も止め、傘鉾は倒れないように櫓か杭などにくくりつけておく。
 そして、主たる人が念仏を唱えたあと、全員で和讃を唱える。故人の年齢や性別等によって唱える和讃が異なり、児童和讃(10歳未満)、花田和讃(未婚の男女)、六字和讃(65歳未満の女性)、善光寺和讃(65歳未満の男性)、都和讃(65歳以上の女性)、箱根和讃(65歳以上の男性)と6種類の和讃がある。和讃は「7・5字」の句の繰り返しだが、庭入の際には主たる人が各句の冒頭を詠唱するとそれに被せるように他の人も加わって詠唱するという方法をとる。リンを鳴らす集落もある。和讃が住むと「サンガシラ」という念仏を全員で唱える。
 念仏が終わると「シカシカ」に移る。これは盆踊りの由来を述べた口上で、巻紙等を見ながら主たる人が一人で読み上げ、句切れの部分では太鼓の係の人がトントンと軽く太鼓を打つ。他の人は何もしない。シカシカが終わると同時に一人の男性が「エイエイエイソリャ ばんば踊りが始まる頃は…」云々の文句で「ばんば踊り」の唄を唄い始め、その男性を先頭にして成人男性のみで踊りながら右回りの円を作り、ばんば踊りに移行する。
 ばんば踊りはごく単純な手振りで、ほとんど歩くだけの簡単な踊り。一口口説を順々に唄い継いでいく。先頭の人が上の句を唄うと全員で下の句を唄い、次は2番目の人が上の句を唄い…という風に、後ろに後ろに唄い継いでいく形式をとる。一応ここまでが「庭入り」と考えられ、ばんば踊り以降は通常の盆踊りとなる。マッカセやレソなどを次から次に踊るが、音頭取りが円の中央で口説き、それに合わせて踊り手が囃すという形式。ここからは女性や子供も加わって、皆で踊る。最後は「蹴出し」で、元来この踊りになると女性と子供は輪から離れて、成人男性のみで踊っていた。蹴出しが終わると、成人男性のみで再度整列し、繰り込んだときとは反対回りに庭を回って道路に出て、次の初盆家庭に向かっていた。

現在の庭入りと供養踊り

 昭和40年頃を境に、少しずつ高齢化・過疎化が進み、昔からのやり方で初盆家庭を1軒ずつ廻って供養踊りをすることが困難になってきた。この頃から、少しずつ供養踊りを寄せ踊りで行う集落が増え始めたようである。寄せ踊りといってもお祭りの懸賞踊りや観音様の踊り、地蔵踊りなどとは異なり、庭入りを伴うもので、いわば折衷案のようなものだろう。
 供養踊りを寄せ踊りで行う場合、大抵、集落の公民館や改善センターなどが会場になる。庭に面した屋内に臨時の祭壇を設け、そこに集落内の全ての新仏の位牌や遺影などを並べ、香炉なども並べる。祭壇の後ろの部屋は、初盆家庭の人や親族が座る場所になっていることが多い。7時を過ぎると集落の人がだんだんと集合し、お線香をあげてお参りをし、初盆家庭の人達に挨拶をしたりし、8時頃から庭入りを開始することが多い。初盆家庭の庭で踊っていた頃と同様の手順で執り行うが、和讃についてはその年の新仏に該当するものを全て唱えることが多いようだ。その辺は、集落によって異なると思う。
 ばんば踊り以降は通常の盆踊りに移行するが、踊りの種類が昔に比べると少なくなりつつある。集落によって異なるが、多いところでは8種類程度を残すのに対して少ないところだと3種類程度にまで減っている。昔は蹴出しを最後に踊っていたがその慣例は崩れて、今は盆踊りの半ばに踊る集落も増えている。最早、マッカセやレソといった踊りと同列の扱いになっており、女性や子供も普通に踊っている。山香町などでは数種類の踊りをループして繰り返すのに対して、安心院では初盆家庭を廻っていた頃の名残からか1回ずつしか踊らないことが多い。庭入りに30分はかかるので、盆踊りはせいぜい1時間か1時間半程度踊ってお開きになることが多く、踊り時間の短縮化が顕著である。
 平成に入ると高齢化・過疎化がますます進み、寄せ踊りも中止せざるを得ない集落が増えてきたが、中には中断していた供養踊りを復活させた集落も見られる。また、長い間踊っていなかった踊りを復活させた集落もあり、供養踊りが風前の灯だというわけでもない。確かに昔に比べると下火になっているしやり方も変わってきたものの、時代に合った無理のないやり方を模索しつつ、後継者の育成も含めてどうにか続けていこうという意識は高く、これからも当分の間、途絶えることはないと思われる。

寄せ踊り

 大分県下では初盆供養以外の盆踊りも広く踊られてきたので、安心院町も例外ではないと思われる。初盆供養踊り以外の盆踊りとしてはレクリエーションの踊り(懸賞踊りなど、一般に盆踊り大会とされるもの)、観音様踊り、地蔵踊り、八朔踊り、二十三夜踊り、風流しの踊り、先祖供養の踊り、魚霊供養の踊りなど枚挙に暇がない。しかし安心院町では、「盆地祭り」などで踊られるレクリエーションの踊り以外はトンと下火になっており、あまり残っていないようだ。これらの踊りは全て寄せ踊りで、庭入りを伴わない。したがって、そのときには昔から「ばんば踊り」は踊らなかっただろうし、蹴出しは成人男性のみならず女性も子供も踊っていたと思われる。また「唄踊り」(大津絵踊り)などは初盆供養踊りのときには遠慮するという慣習がある集落もあった。なぜ遠慮するのかはわからないが、もしかすると全部の種類を踊ると1軒辺りの時間が長くなりすぎるので、より新しい余興的な踊りは省略するという意味だったのかもしれない。初盆供養踊りでは遠慮した唄踊りなども、当然、地蔵踊りなどの際には賑やかに踊ったことだろう。或いは、別府音頭や東京音頭、さくら音頭などの流行踊りも、余興的にレコードを流したりして踊ったりしたかもしれない。きっと初盆供養の盆踊りよりも、ずっと大らかな雰囲気だったと思う。
 思うに、安心院町においては、昔も今も盆踊りといえば何よりも初盆供養の踊りなのだろう。懸賞踊りなどは論外として、地蔵踊りや観音様踊りなどにも信仰上の意味合いはあったはずだが、きっと半分はレクレーション的な意味合いもあったと思われる。娯楽の少なかった時代は、何のかんのと名目を立てて一夏に何回も盆踊りをしていたという話は大分県内のあちこちの地域で、昔のエピソードとしてよく聞かれる。きっと安心院でもそうだったはずだ。だから、便利な世の中になりいろいろな娯楽が増えるにつれ、特別に重要な初盆供養踊りは別として、その他の寄せ踊りは滅多に行われなくなったのだと思う。このことを考えると、今現在行われている、初盆供養の寄せ踊りと、地蔵踊りその他の寄せ踊りとでは、同じ寄せ踊りでも全く意味合いが異なるといえる。
 なお、従来は13日に初盆家庭を廻る供養踊りをして14日や15日は先祖供養の意味で寄せ踊りをしていたが、今は年に何回も盆踊りをすることが難しいし初盆供養も寄せ踊りになっているので、13日に限らず14日や15日に初盆供養踊りをする集落も増えている。

安心院の盆踊りいろいろ

・津房地区 大字楢本の供養踊り
 楢本は、一時期供養踊りを休止していたが平成に入ってから再開し今に至る。毎年8月14日に、楢本公民館にて寄せ踊りの形式で一年間の新仏供養として、庭入りと盆踊りを実施している。帰省する人も多いので参加者はそれなりに多く、二重の輪が立っている。
 集落の成人男性は、浴衣を着ている人が多い。8時スタートで、庭入りからばんば踊りまでは項目4で紹介した通り。ばんば踊りが終わると通常の盆踊りに移行し、三つ拍子、マッカセ、レソ、蹴出しと踊って中入れ(休憩)。蹴出しで再開し、大津絵、二つ拍子と踊り最後にもう一度三つ拍子を踊って終了。三つ拍子以外はどれも簡単な踊りで、特別に輪が小さくなったりすることもなく、お年寄りから子供までみんなよく踊っている。ばんば踊りは遅いが、ほかはどの唄もややテンポが速い。9時半頃に終了。
○三つ拍子
 山香町や大田村などに残る「豊前踊り」と全く同種の唄で、三つ拍子の呼称は踊りの手が一巡する間に3回うちわを叩くことからきていると思われる。この唄は本来は段物口説だが、当地域では段物が下火になっているために下の句にナントとかオヤなどを挿入し一口口説で代用することが多い。踊り方は、山香町のものに比べるとやや複雑で難しい。山香では、左右、右左、左右…と足を運ぶところを、ここでは右~左右、左~右左、右~左右という足運びで踊るので、所作が大きく、やや忙しい印象。唄と踊りがずれずに頭が合っているので、踊りが揃いやすい。
○マッカセ
 うちわをクルクルと返してすくいながら継ぎ足で数歩出て円心向きになり、蹴り出して1回手拍子をするだけというごく簡単な踊り。たった5呼間で一巡するがおもしろい踊り方である。唄の方は、宇佐市のマッカセが段物口説で、1節3句の変化に富んだ節回しであるのに対して、安心院では一口口説で、宇佐の節から2句目の部分を抜いた形になっているのでやや単純。こちらの方がずっと田舎風な印象を受ける。この唄のときには、常時やぐらの上に2人か3人は控えていて、3節程度も唄うとすぐに次の人に交代し、次から次に唄いついでいく。唄と踊りがずれていく。
○レソー
 マッカセととてもよく似た踊り方で、こちらの方がマッカセよりも0,5呼間短く、さらに単純。マッカセでは両手の高さがいつも同じなのだが、レソでは右手と左手を互い違いに振り上げて踊るのでうちわをクルリと返す所作がなく、やや大雑把な雰囲気。唄の方は一口口説で、節は山香町上地区や宇佐市で唄われるレソと似通っている。上の句に下の句の頭3字をくっつけて、その後にヨイショヨイショ等を挟む唄い方。唄と踊がずれていく。
○蹴出し
 山香町をはじめとして速見地方を中心に盛んに踊られている三つ拍子と同種の唄だが、こちらは陽旋でより田舎風。一口口説で、下の句の頭3字を伏せて唄う。そればかりか、上の句の頭3字をソーリャー等に置き換えて伏せて唄うことが多く、そうなると、元の文句を知らなければ意味がわかりにくい。円の中心を向いた状態でその場にとどまり、うちわを叩きながら右足から交互に6回蹴り出し、1歩下がってナンバを踏みながら左にずれていき、前に出るという踊り方。同じことの繰り返しなので慣れれば簡単だが、左にずれるときの足運びがわかりにくい。唄と踊りの頭が合う。
○大津絵
 大津絵と呼んでいるが、唄は端唄の大津絵節とは似ても似つかないものである。西国東地方に残る「エッサッサー」とよく似た唄で、一口口説のごく簡単な節回し。踊り方は南宇佐や山香町向野に残る「らんきょう坊主」によく似ている。数歩進んで、前に捨てて後ろで叩き、それを繰り返して円心を向き蹴出しの所作をするだけという簡単な踊り方だが、なかなかおもしろい。唄と踊りがずれていく。
○二つ拍子
 これは速見地方一円に残っている二つ拍子と全く同種の唄で、本来は段物口説なのだがここでは三つ拍子の例に漏れず、一口口説で代用している。高速化が顕著。踊り方は大田村のものと全く同じで、安心院の中心部とは少しだけ所作が異なる(中心部は、南宇佐、山香町向野、真玉町等と同じ踊り方)。右から3歩進みやや円心を向いて左足を踏みながらうちわを叩き、左足で出て右を踏むだけ。多分、楢本の踊りの中ではいちばん簡単。唄と踊りがずれていく。

・津房地区 大字尾立の供養踊り
 尾立では、毎年8月13日に、尾立公民館にて寄せ踊りの形式で一年間の新仏供養として、庭入りと盆踊りを実施している。参加者は多く、わりと大きめの輪が立つ。
 8時前スタートで、庭入りからばんば踊りまでは項目4で紹介した通り。ばんば踊りが終わると通常の盆踊りに移行し、三つ拍子、マッカセ、レソ、蹴出し、七つ拍子、大津絵、二つ拍子と踊り最後にもう一度三つ拍子を踊って終了。楢本に近いので大体似たような流れだが、ここでは七つ拍子も踊っている。七つ拍子のときには輪が乱れやすいが、ほかはよく揃っている。9時半頃に終了。
○三つ拍子、マッカセ、レソ、蹴出し、大津絵、二つ拍子
 楢本と同じ。
○七つ拍子
 これは、昔は津房地域を中心に広く踊られていたが、現在は廃れてしまい、尾立、板場、別府市天間など一部の集落に伝承されるのみとなっている。多分、昔は速見地方・東国東地方でいう六調子(西国東でいう杵築踊り)と同種の節回しであったと思われるが、今は二つ拍子と全く同じ節で唄っている。踊り方を見ると、後ろに下がり、円の外を向いておいてうちわを叩いて反転し円心を向くような所作があり、速見・東国東の六調子(西国東の杵築踊り)の面影が残っている。踊りの手が多いので覚えにくく、伝承者の減少が顕著。尾立では一時期この踊りを省略していたようで、近年復活したとのことなので踊りを忘れている人が多く、輪が乱れやすい。

・佐田地区の供養踊り
 佐田地区では昭和40年頃までは集落ごとに、初盆家庭を廻って供養踊りをしていた。しかし過疎化などの影響で初盆家庭を廻るどころか集落ごとの寄せ踊りをするにも困難な面が出てきたため、今は小学校だったか中学校だったかで、佐田地区全体で合同の供養踊りを実施している由。踊りの種類の減少が顕著で、マッカセ、レソ、二つ拍子等、4種類程度を残すのみとなっているようだ。『大分県の民俗』によれば昭和38年頃は、マッカセ、レソ、二つ拍子、三つ拍子、六調子、七調子、蹴出し、三勝が踊られていた由。



・深見地区 大字鳥越の夏祭りの盆踊り
 大字鳥越では2008年まで、毎年7月17日に八幡さまの夏祭りをしており、そのときに寄せ踊りをしていた。盆の供養踊りを合わせて、年に2回盆踊りをしていたことになるが、残念ながら高齢化・過疎化が顕著でお祭りの実施が困難になり、夏祭りは2009年以降休止している。お祭りでは子供神輿が出たりして、模擬店などは一切ないものの地域のお祭りとして、大切に受け継がれていた。盆踊りも、集落規模にしては踊り手が多く2重の輪が立っていた。供養踊りではないのでばんば踊りは踊らず、2008年にはマッカセ、蹴出し、レソの3種を踊った。多分、昔はもっといろいろな踊りがあったと思う。
○マッカセ、レソ
 楢本と同じ。
○蹴出し
 楢本とほぼ同じだが、確か少しだけ踊り方が違っていた。もう5年も前のことなのでよく覚えていないが、輪の中心を向いてうちわを叩きながら5回か6回蹴り出し、下の句のところでナンバで左にずれるときにも2回くらいはうちわを叩いていたと思う。下の句の所作は、山香町上地区のものによく似ていたように記憶しているがどうにも曖昧。唄と踊りの頭が合う。

 以上、いろいろな盆踊り唄が出てきたが、ほかにも昔はいろいろな踊りがあったようだ。また、隣接する別府市天間には「せきだ」が伝わるほか、院内町の一部地域には「木挽き」「別れ」などを踊るところもあるようなので、かつては安心院町内でも踊られていたと思われる。多分、「唐芋踊り」を踊るところもあっただろう。「木挽き」は、木挽き唄の転用か。また「別れ」は、唄い出しの文句からとった呼称と思われ、どんな唄なのか今ひとつわからない。南宇佐の「らんきょう坊主」のことだろうか。♪待つがナーよいかよ、別れがよいか…云々の文句から、南宇佐では「らんきょう坊主」のことを「待つがな」と呼ぶ人もあるので、これを「別れ」と呼んだのかもしれない。

おわりに

 安心院の盆踊りは、この40年間ほどの間に、急速にその形を変えた。参加人数の減少や高齢化は別として、大きく変わったのは下記2点である。
  ・初盆家庭を廻る庭入り→寄せ踊りでの庭入り
  ・踊りの種類の減少
 前者は、時代の流れにそって、盆踊りを伝承していくための折衷案ともいえるもの。本来の行い方ではなくなったかもしれないが、かたくなに昔通りのやり方を守っていると、却って実際問題の困難さから供養踊りが続けられなくなる集落がより多くなっていた可能性が極めて高い。その点、「初盆家庭を廻る」という点にのみ目をつぶり、寄せ踊りとすることで、まだまだ多くの集落で供養踊りを継承できており、「何を切って何を守るか」の選択はうまくいったのではないかと思う。
 後者は、大分県下各地に見られる現象で、大根、難しい踊りとか「よそから入ってきて一時は定着していた踊り」が捨てられていく傾向にあるようだ。これについては、A集落では廃絶したがB集落には残っているというような踊りの場合は復活も容易だが、全域に全く残っていないものはもうどうしようもない。唄の節回し以上に踊りの所作は細かい点で地域差が大きいので、「踊り方」という視点で捉えると廃絶したものは想像以上に多いだろう。安心院の盆踊りは「庭入り」が注目されることが多く、個々の踊りの地域差はあまり意識されていないようだ。今後は、この点にも注目した資料がまとめられれば、より価値の高いものになるだろう。これから先、盆踊りは今以上に伝承が困難になると予想されるので、今のうちに庭入り行事や個々の踊りの所作や節回し、その他集落ごとの慣わしなどを記録しておくことは、とても重要なことだと思う。
  4回に亙って安心院の盆踊りを紹介したが、2012年現在、町内ではたったの3箇所の盆踊りにしか行ったことがないのであまり充実した記事が書けなかった。とりあえず記録しておけば何かの役に立つかもしれないと思ったが、どうにも不十分な内容にしかならず残念に思っている。これから先、また何かわかることがあればその都度加筆・訂正していきたい。

盆踊り唄一覧

・エイエイエイソリャ…の類の唄
 「ばんば踊り」大字楢本 <77・75切口説>
   ☆エイエイエイソリャ ばんば踊りが始まる頃は
    (ばさま出てみよ ヤレ孫つれて ホンニ孫つれて)
   ☆生まれ山国 育ちは中津(命棄て場が博多町 博多町)
 「ばんば踊り」大字板場 <77・75切口説>
   ☆アエーイエイソリャ ばんば踊りが始まりました
    (ア爺さん婆さん達ゃ寺参り) サー寺参り(ア爺さん婆さん達ゃ寺参り)
   ☆中津中津とさしては行けど(どこが中津のお城やら)
    お城やら(どこが中津のお城やら)
 「ばんば踊り」大字尾立 <77・75切口説>
   ☆アエイエイエイソリャ 中津中津とさしては行けど
    (アどこが中津のお城やら ホンニお城やら) 
    アエイエイエイソリャ 中津のどこが
    (アどこが中津のお城やら ホンニお城やら)

・千本搗き、伊勢音頭の類の唄
 「ばんば踊り」大字大 <47・45切口説>
   ☆南北静まりたまえ(ヤーレショーヨイヨイ) ア東も南も北も
    (ソーリャ ソーリャ アリャセ コリャセ サノ ヨーイ)
   ☆若い時ゃ吉野に通うた 草木もなびかせた

・マッカセの類の唄
 「マッカセ」大字大仏 <77・75切口説>
   ☆安心院盆地の不思議な話(アソレ マッカセドッコイセ)
    語り伝えて(ドスコイドスコイドスコイ)
    ヤレ七不思議(ヤーレハリハリ ヤーノエイエイ)
   ☆乳を貰いに五十里百里 岩に刻んだ生不動
 「マッカセ」大字楢本 <77・75切口説>
   ☆マカセマカセをしばらくしばし(ソレマッカセドッコイセ)
    マカセ踊りよい(ヨイショヨイショ)
    ヤレしなが良い(トハーリハリ ヤーノエーイエイ)
   ☆親が大工すりゃ子までも大工 宇佐の呉橋ゃ子が建てた
 「マッカセ」大字尾立 <77・77段物>
    ☆国は関東 名は下野よ(ソレマッカセドッコイセ)
    那須与一と(ヨイショヨイショ) いう侍は(トハーリハリ ヤーノエーイエイ)

・祭文、レソの類の唄
 「レソ」大字大仏 <77・75切口説>
   ☆レソを踊るなら 三十まで踊れコリャサノサ
    三十ヨー(アヨイヨイ) 過ぐればヨー 子が踊るヨー
    (ハレソーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサ)
   ☆宇佐に参らず宇佐餅ゃ搗かず 何を力に髪とこか
 「レソ」大字尾立 <77・77段物>
   ☆哀れなるかや石堂丸は 父をヨ(ヨイヨイ) 訪ねて高野へ上がる
    (ソレーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサ)
 「レソ」大字竜王 <77・75切口説>
   ☆佐田の京石昔の名残 都ヨー 偲んだ祭り跡
    (ヤレソーヤ レソーヤ アトヤンソレソー)
   ☆お前百までわしゃ九十九まで ともに白髪の生ゆるまで

・やっちき、けつらかし、三つ拍子、蹴出しの類の唄
 「蹴出し」大字松本 <77・47段物>
   ☆起こる騒動をどこよと問えば(オイサオイサ)
    讃岐の屋島が磯で(ヤーレショヤレショ)
   ☆源氏平家の御戦いに 方なる御大将は
 「蹴出し」大字楢本 <47・45切口説>
   ☆コリャ橋から酒屋が近い(オイサオイサ)
    戻ろか ナント思案橋(ヤーレショヤレショ)
   ☆桜になぜ駒つなぐ 勇めば花が散る
 「蹴出し」大字鳥越 <77・45切口説>
   ☆竹に短冊 七夕さまよ(オイサオイサ)
    思いの ヤレ歌を書く(ヤーレショドッコイショ)
 「蹴出し」大字尾立 <77・47段物>
   ☆前に千軒 長屋を立てて(ヨイショヨイショ)
    ア築山 泉水ついて(ヤーレショヤレショ)

・ヨイトナ、唐芋踊り、六調子の類の唄
 「唐芋踊り」 <77段物>
   ☆今年ゃ浦辺の唐芋(ヨーイヨイトナ) 唐芋をやろか(サノサ)
   ☆よんべ浦辺の踊りを 踊りを見たら

・らんきょう坊主、別れ、大津絵、せきだの類の唄
 「大津絵」 <77・75切口説>
   ☆待つがナー よいかよ別れがよいか 嫌な(別れよ待つがよいヨー)
   ☆鐘が鳴るかや撞木が鳴るか 鐘と(撞木の間が鳴る)
 「せきだ」 <77・75切口説>
   ☆せきだ通れば コラ雪降りかかるヨー
    コリャ いとしナー(妻子が別れの水ヨ)

・エッサッサ、大津絵、唄踊りの類の唄
 「大津絵」大字楢本 <77・75切口説>
   ☆鮎は瀬に住む 鳥ゃ木にとまるヨ(アラエッサッサー エッサッサー)
    人は情けの下に住むヨ(ヤレコリャセーノ コリャドッコイセー)
   ☆山が高うて在所が見えぬ 在所恋しや山憎や
 「唄踊り」大字尾立 <77・75切口説>
   ☆行たら見てこい名古屋の城はヨ(アエッサッサー エッサッサー)
    金の鯱 雨ざらしヨ(イヤマカセーノ ソリャモッカイナ)

・杵築踊り、六調子、七つ拍子の類の唄
 「七つ拍子」大字板場 <77・77段物>
   ☆ここにサ 過ぎにしその物語(サノヨイヨイヨイ)
    国は中国 その名も高い(アラヨーイサッサ ヨイサノサ)
   ☆武家の家老の一人のせがれ 平井権八 直則公よ
 「六調子」 <77・77段物>
   ☆花のお江戸のそのかたわらに(サノヨイ サノヨイ)
    聞くも珍し心中話(アラヨーイサッサノ コラサノサ)

・ヤンソレサ、二つ拍子の類の唄
 「二つ拍子」大字大仏 <77段物>
   ☆二つ拍子をしばらくやろな(アリャサイ コリャサイ)
    アそじゃそじゃ 二つがよかろ(ヨーイサッサノヨイサノサ)
   ☆ここは大阪 難波の町よ
 「二つ拍子」大字尾立 <47・47段物>
   ☆アしばらく二つでやろな(アラセー ヨイヨイ)
    ア踊りは二つでなけりゃ(ヨーイ ヨイヤーヨイ)
 「二つ拍子」大字楢本 <47・47段物>
   ☆アかえたよ二つにかえた(アラセーコラセ)
    ア皆さんお手振りなおせ(アラヨーイサッサノドッコイショ)
 「七つ拍子」大字尾立 <47・47段物>
   ☆アしばらく七つでやろな(アラセー ヨイヨイ)
  ア踊りは七つでなけりゃ(ヨーイ ヨイヤーナ)

・豊前踊り、三つ拍子の類の唄
 「三つ拍子」大字板場 <77・77段物>
   ☆東西南北 静まりたまえ(アーショイショイ)
    こいさ大事なお供養の踊り(アーヨーヤナ ヨヤナー)
   ☆西も東も南も北も どっと一度にゃお手振りしゃんと
 「三つ拍子」大字楢本 <77・77段物>
   ☆鈴木主水という侍は 女房持ちにて二人の子供
    (アーヨーイヤサッサノ ヤレマカショイ)
   ☆二人子供のあるその中で 日にち毎日女郎買いばかり
 「三つ拍子」大字尾立 <77・77段物>
    ☆東西南北 静まりたまえ

     こいさ大事なお供養の踊り(ヨーヤーナ ヨーヤーナ)

一口口説集

(安心院の七不思議)
・安心院盆地の不思議な話 語り伝えて七不思議
1水沼お水は濁らず涸れず いざり大蔵の脚も立つ
2乳を貰いに五十里百里 岩に刻んだ生不動
3騒ぎすぎるとお叱り受けて 鳴かぬ蛙の最明寺
4忠義一途の二階堂様の 五輪汚すな腹がせく
5受けた情けに生身を埋めて 火事を封じた快長院
6不意を討たれた千代松丸を いとしいとしと生仏
7籠めた夜霧に待つ身を託ちゃ 千丁松明つけて来る

(宇佐神宮)
・宇佐の百段百とは言えど 百はござらぬ九十九段
・親が大工すりゃ子までも大工 宇佐の呉橋ゃ子が建てた
・見ても見事なお宇佐の榎木 榎の実並んで葉も繁る
・宇佐に参るよりゃお関に参れ お関ゃ作神作がよい
・宇佐に参るよりゃ御許に参れ 御許元宮元社
・宇佐にゃ参らず宇佐餅ゃ搗かず 何を力に髪梳こか

(宇佐山郷十景)
1安心院盆地に底霧こめて 上に浮かんだ豊後富士
2佐田の京石昔の名残 都忍んだ祭り跡
3奇岩屹立麓は桜 床し宇佐耶馬仙ノ岩
・宇佐の三瀑西国一よ 古く賑わう滝参り
4東椎屋は九州華厳 絵でも見るよな艶姿
5さすが雄滝西椎屋凄や しぶき巻き上げ鳴りたぎる
6裏に回って眺める滝は 日光裏見と竜泉寺
7春は岳切 布目の流れ 岸の石楠花 しだれ咲き
8昔栄えた仏法の形見 国の宝の竜岩寺
9桜名所は香下神社 山も社も花霞
10走る早瀬の三又川を 蹴りて行き交う鮎の群れ
・バスは二色湯の香を乗せて 安心院安心院と一筋に

(雑)
・七つ星様 六つこそござる 一つ深見の剣星寺
・安心院五千石底霧分けて 様の姿はもう見えぬ
・わしが思いは由の岳山の 朝の霧よりゃまだ深い