耶馬溪盆踊り

はじめに

 耶馬溪町は近隣町村と比べても特に盆踊りが盛んな土地だが、近年高齢化の進行も著しくその伝承がやや危ぶまてきていた。そこで平成19年に「耶馬渓盆踊り保存会」が結成され、その活動の一環として平成20年に「映像集(DVD)」と「歌文集(冊子)」が作成され、各図書館に配布されたほか一般の希望者にも販売され、盆踊りの伝承・普及への機運が高まりつつある。ここではその「歌文集」を参考にしつつ、耶馬溪町の盆踊りを紹介する。

供養踊りとその他の踊り

 現在最も広く残っている盆踊りは初盆の「供養踊り」で、8月13日の夜に各集落毎に実施されている。従来、集落内の初盆家庭を順に廻って庭で盆踊りをしていたが、今は大部分の集落で公民館等の広場に位牌等を持ち寄って、合同で行っている(寄せ踊り)。最初に必ず「千本搗き」を踊るが、「東西南北おごめんなされ、家にゃござるかご主人様よ…」などの文句で唄い始めることが多い。この文句を「門入り」といって、初盆家庭への挨拶の意味がある。踊りの種類の多い集落では15種類近くを数えたが、その場合も全ての踊りを踊ってから次の家へ移動していた。1軒あたり2時間かかるとして、初盆が5軒も6軒もある年では朝になっても踊り続けたとのこと。踊り手も口説き手も大変だっただろうが、今か今かと待ち続けた5軒目、6軒目の初盆家庭の人もさぞかし大変だっただろうと思う。
 初盆供養以外の盆踊りとしては、集落によっては地蔵踊り、観音様踊り、弘法大師様踊り、十夜様踊り等が残っている場合がある。日程は集落ごとに異なるが、これらの踊りを実施する場合は供養踊りと合わせて、ひと夏に2回以上盆踊りを実施するということになる。高齢化、人口の減少その他諸々の事情によりこれらの踊りが絶えてしまった集落も多いものの、他の市町村と比較するとまだまだ多くの集落で残っており、いかに耶馬渓が踊り熱心な土地であるかがうかがわれる。

特徴

 耶馬溪町の盆踊りの特徴は、何といっても無伴奏であるということ(一部地区のぞく)と、必ずうちわを片手に持って踊るということ。手数は少ないが、踊り方によって優雅に見せることも元気よく弾んで見せることもでき、老若男女誰にでも親しみ易い楽しい踊り。うちわの扱い方には地域差・個人差があり、ただ握って振るだけの人もいれば、握った手の中でうちわの柄を回転させて、ひらひらと翻して踊る人もいる。足の運びとしては、表拍のときに体重移動をするのが基本。右、左、右…と交互に前進・後退するときは、裏拍のときに足を前に小さく浮かせる歩き方をするのが特徴だが、今は普通に歩く人が多いようだ。足を前に小さく浮かせる歩き方は、多分下駄の音を鳴らすためと思われる。無伴奏なので下駄の音で拍子をとったのだろう。他地域の踊りに比べるとうちわを叩く動作が比較的多く入っているのも、拍子をとる意味があるのだと思う。
 踊りの種類が大変が多く15種類ほどを数えるが、地区によって手振りや節回しが異なる場合もあるので細かく見ればもっと多いだろう。易しい踊りが多めだが、手数は少なくとも難しい踊り(例えばサッサや博多など)もある。最も広く親しまれている踊りは「千本搗き」で、どの地区でも必ず千本搗きで踊り始め、様々な踊りを挟んで、最後も必ず千本搗きで終わる。この千本搗きは玖珠町など近隣町村でも盛んに踊られているが、耶馬溪町では盆踊りといったらまず千本搗きを踊らないと始まらないほどに重要な踊りで、盆踊り以外でも各種イベントの最後に参加者皆で踊るなど広く親しまれています。千本搗きはおそらく作業唄(家普請あるいは池普請)の転用と思われ、伊勢音頭(ヤートコセ)の変化したもの。
 千本搗きのほかには、祭文、三つ拍子、トコヤン、小倉も全域で踊られてる。また米搗き(作業唄の転用)も広く踊られたが、祭文などに比べるとやや下火となっているようだ。ほかに博多、思案橋、書生さんなど流行小唄の転用と思われるものや、佐伯、マッカセなど他地域から流入したと思われるものもかつては広範囲に亙って踊られたが、現在これらの踊りは特定の地域に残るのみとなっている。サッサ、キョクデンマルといった全県的にみてもかなり珍しい踊りも、局地的にではあるが伝承されている。また遠く離れた北海部地方や大野地方に広く残っている三勝も伝承されているが、耶馬溪町のものは北海部や大野のものとは著しく異なり、名古屋甚句などのように七・五文字の繰り返しでイレコを繰り返して唄う。
 口説内容は、昔は段物も盛んに行われており多くの外題が残っていたが、長編の段物を暗記している人がいなくなったほか盆踊りの終了時間が早まったこともあり、今は七・七・七・五の一口口説が主流になっている。

深耶馬地区の盆踊り

 深耶馬地区では千本搗き、祭文、三つ拍子、マッカセ、六調子等が踊られている。マッカセは昔から特に人気のある踊りのようだが、それは当地区が、マッカセが大変盛んな玖珠町に接していることと無関係ではなさそう。昔は二つ拍子も踊ったらしいが現在廃絶している。
 耶馬溪町の盆踊りは一般に無伴奏だが、当地区では太鼓を使っている。ただし速見・国東・宇佐地方の盆踊りの太鼓のようにワク打ちを多用する比較的手の込んだ盆太鼓ではなく、単調なリズムを繰り返すか、或いは唄の文句に合わせて打つもので、おそらく後付けと思われる。
 供養踊り以外の盆踊りとしては、家籠集落に弘法大師踊りが残っている。8月21日の夜に、弘法大師を祀っている家を順々に廻って踊るそうで、だいたい1時間ほどで次の家に移動するとのこと。

城井地区の盆踊り

 城井地区は耶馬溪町の中心部で、現在、千本搗き、祭文、三つ拍子、トコヤン、マッカセ等が伝承されている。マッカセの唄い方が他の地域とは違っていて、文句の下五字分を音頭取りが唄わずにお囃子が取ってしまうのが大きな特徴。
  例:マカセ踊りが習いたきゃござれ(マッカセマカセ)わしもこの頃(ヨイヨイ)
    ソラ習うてきた わしもこの頃(ヨンデ習うてきた)
    (トハレハレ ナントドッコイドッコイ)
 当地区のうち大字城井では、マッカセと並んでサッサという踊りも大変人気が高く、かつては盛んに踊られていた。この唄は本耶馬溪町でも唄われたようだが、耶馬渓町内だと残っているのは当地区のみ。音引きが多い上に音頭と囃子が行ったり来たりするので、無伴奏だと息をそろえて唄うのが難しそう。まして難しいのが踊りで、手数はごく少ないにもかかわらず間合いが取りにくい踊りのため、なかなか揃わないようだ。そのため敬遠されてしまい、地区全体の盆踊り大会からは姿を消してしまった。それを惜しんで保存会を結成し細々と伝承されてきたものの、平成23年現在もかつての勢いを取り戻すには至っていない。また思案橋という踊りも伝わっていたようだが、全く廃絶している。
 大字柿坂は耶馬渓町の中でも特に盆踊りが盛んな地域の一つで、供養踊り以外の盆踊りも多く残っている。8月17日の火伏観音様踊りのほか、お寺の盆踊りもありひと夏に4回ほど踊るようだ。また昭和末期までは弘法大師踊りもしていたとのこと。大字城井の下戸原集落では21日の弘法大師踊り、平田集落では18日の観音様踊りが、小規模ではあるが残っている。

津民地区の盆踊り

 津民地区では千本搗き、祭文、小倉、三つ拍子、トコヤン等を踊っている。かつてはマッカセ等も踊ったようで、合計10種類以上の踊りが残っていたと思われるが、現在は5~6種類しか踊っていないようだ。
 当地区は高齢化が特に著しいかと思われるが、観音様踊りが比較的多くの集落に残っている。大野下集落、8月17日に観音様踊り。栃木集落と上ノ川内集落、両午集落では14日に観音様踊り。柾木集落では10日に十夜様踊り、16日に観音様踊り。

山移地区の盆踊り

 山移地区では千本搗き、祭文、小倉、三つ拍子、トコヤン等を踊っている。深耶馬地区と隣接していることから、昔は二つ拍子も踊ったかもしれないが現在は残っていない。トコヤンの節回しが津民地区とは著しく異なっている。
 供養踊り以外の盆踊りとしては、観音様踊りが一部の集落に残っている。原井集落、8月14日。八木蒔集落、17日。

下郷地区の盆踊り

 下郷地区は、名実ともに耶馬溪町内で最も盆踊りの盛んな地域といえるだろう。踊りの種類の豊富さでは、耶馬渓町内では下郷の右に出る地域はない。千本搗き、祭文、小倉、三つ拍子、六調子、三勝、寿司押し(トコヤン)、佐伯、米搗き、書生さん、キョクデンマル、ネットサ、博多…計13種類もの踊りが伝承されており、特に三勝、佐伯、キョクデンマル等は現在下郷地区でしか踊られていない。当地区に伝承されていないのはマッカセ、サッサ、思案橋、二つ拍子程度であり、耶馬渓町の踊りのほとんどがここに集まっているといえる。
 踊りの種類が多いだけではなく、観音様踊りが多くの集落に伝承されており、いかに踊り熱心な土地柄であるかがうかがわれる。ことに樋山路集落は踊り熱心なことで有名で、昭和50年頃までは初盆の家を一軒ずつ廻って供養踊りをしていたほか、盆踊りの伝承のために独自に13種類の踊りを収録したVHSを作成し、図書館に配布するなどしてきた。現在、供養踊りのほかには観音様踊りが小字白土(8月17日)と小字下越(10日)に残るのみですが、16日に老人保健施設「やすらぎ荘」にて賑やかな盆踊り大会が開催されている。小字舞野では昭和50年頃まで12日の夜に薬師踊りをしていたとのこと。また江渕集落と随雲寺集落、奥の鶴集落、島集落にも観音様踊り(10日)が残っている。同様に鹿熊集落と金吉元組にも観音様踊り(14日)が残っているほか、伊福集落には地蔵踊り(24日)が残っている。

おわりに

 供養踊りはもちろんのこと、集落単位で、どうかすると小字単位で今なお「観音様踊り」等が大切に受け継がれていることに、ただただ驚かされる。樋山路や柾木など数回訪ねたことがあるが、本当に小さな集落で山また山のとても静かなところだ。あんなに小さな集落で、まして住民はお年寄りが多いと思われるのに、ひと夏に2回も3回も盆踊りをしている。実施にあたって困難もあるだろうし、昔のようにいかないこともあると思われる。それでも盆踊りを続けているのは、きっと信仰心と、ふるさとを大事に思う気持ちと、ご先祖様を思う気持ちがあればこそだと思う。
 集落ごとの盆踊りは、これから少しずつ途切れていくのかもしれない。時勢の移り変わりで仕方のないこととは思う、こんなにも生活に根差した「盆踊り」が残っていることは、耶馬溪町の大きな誇りだと思う。保存会をはじめとする地域の人々の頑張りで立派なDVDや歌文集も完成し、平成22年9月には「千本搗きフェスタ」という近隣市町村も交えた大変賑やかな盆踊り大会が初めて開かれた。これからも豊かな盆踊り文化が受けつがれていくことを願っている。

盆踊り唄一覧

「寿司押し」(耶馬溪町下郷) <77/75切口説>
☆押そな押しましょな 鯛の寿司押そなヨ
 (トコヤンサガヨイヨイ ヤンサガヨイヨイ)
☆鯛は高うつく鯖の寿司押そな

「トコヤン」(耶馬溪町山移) <77/75切口説>
☆やろなやりましょな 手叩きサやろな (トコヤンサガヨイヨイ)
☆どうせ踊りは手叩きサ限るヨ

「トコヤン」(耶馬溪町津民) <77/75切口説>
☆待つがよいかよ ドッコイサン 別れがよいかナ (トコヤンサガヨイヨイ)
☆嫌な別れよそりゃ待つがよい

「六調子」(耶馬溪町下郷、耶馬溪町深耶馬) <77段物>
☆しばし間は六さんでまおな(ヨーヤーセ ヨーヤーセ)

「二つ拍子」(耶馬溪町深耶馬) <77・77段物>
☆ハー 二つ拍子は二人でなけりゃ(アラサイコラサイ)
 一人音頭じゃ踊られませぬ(アヨーイ ヨイトナー)

「千本搗き」(耶馬溪町柿坂) <77・77段物>
☆国はヨ 関東下野の国(ハアレワイサ コレワイサ)
 ア那須与一とヨ いう侍はヨ(ヨイヨイヨイトナ アレワイサ
 コレワイサ ホイ ヨイトナ)
☆背は小兵なる侍なるが 弓を射ること日本一じゃ

「千本搗き」(耶馬溪町) <77・77段物>
☆千秋ヨー 万歳 地はこのたまり(ヤハレワイサ コレワイサ)
 踊りサー 納めし ただ今ここに(ヨイトセノ ヨイヨナ
 ハレワイサ コレワイサ ホイ ヨイトナ)

 

「祭文」(耶馬溪町) <77・75切口説>
☆待つがよいかよ 別れがよいかホホンホー (ヨイショヨイショ)
 嫌なヨーサ別れを チョイト待つがよい
 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆色で売り出す西瓜でさえも 中にゃ苦労の種がある

「祭文」(耶馬溪町深耶馬) <77・75切口説>
☆やろなやりましょな さえもんぬやろなコラサノサ
 (アヨイトヨイト) どうせヨー さえもんな気の浮く踊り
 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆わしが若い時ゃ吉野にゃ通うた 吉野小草を踏みなびかせた

「祭文」(耶馬溪町下郷) <77・77段物>
☆やろなナッサー やりましょな さえもんで舞おなホホンホー
 (ハヨイショヨイショ) どうでナッサー
 踊りはさえもんでなけりゃ (ソラヤレソラヤレ ヤットヤンソラエ)

「マッカセ」(耶馬溪町城井) <77・75切口説>
☆マカセ踊りを習いたきゃござれ(マッカセマカセ) わしがコリャ
 世話して(ヨイヨイ) ソラ教えましょ わしが世話して
 (ヨンデ教えましょ ナントハレハレ ナントドッコイドッコイ)

「マッカセ」(耶馬溪町深耶馬) <77・75切口説>
☆待つがよいかよ別れがよいか(マッカセマカセ) 嫌な別れよ
 (ソリャヨイヨイ) ナント待つがよい(ハレハレヤットエー)

「米搗き」(耶馬溪町) <77・75切口説>
☆搗けど小突けど この米ゃヨー(ショイショイ) アーはげぬ
 ノンホードッコイショー どこのお蔵の底米か
 ヨイサよく言うた よく言うたヨー(ショイショイ) アーどこの
 ノンホードッコイショー どこのお蔵の底米か

 

「三勝」(耶馬溪町下郷) <75調イレコ>
☆信州信濃の蕎麦よりも(ドスコイ) いつも変わらぬ親の側(ドスコイ)
 さて名物は一の谷(ドスコイ) 無官の太夫敦盛は(ドスコイ)
 道にて敵を見失い(ドスコイ) 御座船にはせ着いて(ドスコイ)
 父経盛に身の上を(ドスコイ) 告げ知らす事もありと(ドスコイ)
 須磨の磯辺に出でられしが(ドスコイ) 船一艘もあらざれば(ドスコイ)
 詮方なしに駒を乗り入れ(ドスコイ) 沖の方へぞ打たせ給う(ドスコイ)
 かかる所へ後ろより(ドスコイ) 駒を早めて追いかくる(ドスコイ)
 熊谷手打ちの敦盛や(ドスコイ) 紀の国蕎麦や銭がんどう(ドスコイ)
 そばに居ながら知りもせず(ドスコイ) 晦日蕎麦の運強く(ドスコイ)
 わしの好きなは主の側(ヤーンソーレ ヤンソーレサー)

「三つ拍子」(耶馬溪町山移) <77・77段物>
☆やろなやりましょな三つ拍子やろな
 どうせ踊りは三つ拍子限る(アヨイソレナー ヨイヨイ)
☆花のお江戸のそのかたわらに さても珍し人情口説

「三つ拍子」(耶馬溪町下郷) <77・75切口説>
☆花が散りても繋がにゃならぬ コラサーンア
 中津殿様 ナント 御用の駒(アーヨイソレナ コラヨーイヨイ)

 

「さっさ」(耶馬溪町城井) <77・75切口説>
☆一つヨホホー 出しますはばかり ヨホホー(コリャコリャ)
 ヨホホンホー ながら(サッサ) ヤーコラサーノサノ 唄の
 チョイト 唄のヨホホイ(文句はヨー 知らねども)

 

「小倉」(耶馬溪町下郷) <77/75切口説>
☆小倉踊りでどなたもやろな(ソラヨイヨーイ ヨヤサノサ)

「小倉」(耶馬溪町津民) <77段物>
☆東西南北おごめんなされ(サーヨイヨーイ ヨヤサノサ)
☆昔お釈迦のまします時分

 

「書生さん」(耶馬溪町下郷) <5・75・75・75・75小唄>
☆書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(アナントナント)
 親に勘当され試験に落第し(ヨイショ) 仕方ないからネー
 尺八を 吹く吹く 吹く間に門に立つ(ア実際 実際)

 

「曲典丸」(耶馬溪町下郷) <77・75切口説>
☆待つがよいかよ別れがよいか(嫌な別れよ待つがよい)
 別れよ 別れよ 別れよ嫌な(嫌な別れよ待つがよい)


「曲典丸」(耶馬溪町津民) <77・75切口説>
☆あなたナー 百まで わしゃ九十 コリャ九まで
 (ともに白髪の生ゆるまで) ハイソリャヨー
 生ゆるまで 白髪のコリャともに(ともに白髪の生ゆるまで)
☆娘十七八ゃ停車場の汽車よ(はやく乗らなきゃ人が乗る)
 人が乗る 乗らなきゃ はやく(はやく乗らなきゃ人が乗る)

 

「ネットサ」(耶馬溪町) <77・75切口説>
☆ねっとさ踊りが習いたきゃござれヨ ネット(ハネッチョケ ネッチョケ)
 わしが手を取り ヤーハレサー教えましょ(ハネッチョケ ネッチョケ)
☆あなたみたよにご器量がよければ 五尺袂にゃ文ゃ絶えぬ

「博多」(耶馬溪町下郷) <77・75切口説>
☆博多騒動 米市丸にゃ(ハヨイトサッサ) 刀詮議に身をはめる
 刀詮議にヤッコラサノ 身をはめる(ハヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆親は樋竹 子は樋の水 親の遣る先ゃどこまでも 親の遣る先ゃどこまでも

「佐伯」(耶馬溪町下郷) <77・75切口説>
☆佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き ドッコイサッサー
 日田の下駄ひき ナント軒の下(ソリャ ヤトセーノオカゲデネ)