地域によらない新民謡

新民謡「大分県民謡」
☆ハー 大分ほのぼの 海から明けりゃ
 あれが四国か春霞 ヨイトサイサイ 春霞
☆別府湯煙 靡いてすねて 熱い情けが帰しゃせぬ 帰しゃせぬ
☆別府湯煙 七つの海に 越えて花咲く湯の都 湯の都
☆招く耶馬溪 青葉に暮れて 月に河鹿も濡れて鳴く 濡れて鳴く
☆燃ゆる想いを 紅葉に秘めて 水を鏡の耶馬乙女 耶馬乙女
☆日田はよいとこ 三隈の流れ 踊る若鮎 花いかだ 花いかだ
☆宇佐の山郷 うす紫に 染めて安心院は夢の里 夢の里
☆娘盛りの 色香に燃えて 私ゃ国東 青むしろ 青むしろ
☆九重見せたや 草波千里 晴れていななく夫婦駒 夫婦駒
メモ:戦後に作られたもので、赤坂小梅がレコードに吹き込んだ。数年間は県内で流行したそうだが、今では忘れられている。

 

唱歌「大分県行進曲」

☆耶馬の流れの水清く 久住の原の空高し

 南蛮船の行き交いし 浪路はいずこ豊の海

☆むかし大友宗麟が 残せし文化華と咲き

 世に六聖の名もしるく 千代に輝く自尊の碑

☆みことかしこみ清麿の 遺烈は残る今もなお

 神の御稜威は照らすなり 仰げ鎮めの宇佐の宮

☆尽きぬ温泉のささやきに あつき恵みの栄えあり

 みのる田畑うるわしく 日に開けゆく十二郡

☆空は晴れたり野に山に ああ百万の同胞が

 躍進の意気ほがらかに 歌うわが里 豊の国

メモ:昭和10年に中野忠晴がレコードに吹き込み県内で大流行、老若男女問わず盛んに歌われたほか、小学校、高等小学校などの運動会でも踊らない学校はないというほどに踊られた。戦前の大分県下で流行した歌は、豊後風景(吉四六さん音頭)や別府音頭、別府行進曲などがあるが、大分県行進曲の流行は群を抜いている。戦時中は下火になったが、戦後再び盛んになり、昭和35年には立川澄人がレコードに吹き込んでいる。昭和40年代以降は歌われる機会が減っていき、現在、ほとんど耳にすることはなくなった。高齢者であれば誰でも歌えるが、中年の人は知らない場合もあり、若い人はほとんどが知らないし歌えないようだ。


新民謡「久住高原の唄」
☆久住大船朝日に晴れて 駒はいななく草千里 草千里
☆前に高崎 後ろに鶴見 由布は見えぬか湯の煙 湯の煙
☆久住大船すすきに暮れて 阿蘇の頂 雲沈む 雲沈む
メモ:別府の「瀬戸の島々」と同じく、山下弁護士の作で、妻の富江(旧姓田島、別府検番富江)がレコードに吹き込んだ。全国的に広く知られており、豊後追分とも呼ばれている。

新民謡「豊後岬の唄」
☆豊後岬に朝立つ霧は 昨夜一夜の手ごめ雲
 浮名ひそめて岬の先の 沖に浮いたり沈んだり
☆豊後岬に夕立つ霧は 何も知らねど別れ雲
 末は島々お瀬戸に鳴門 汐に濡れたり乾いたり
 メモ:たぶん、「肥後と豊後」と同じ節回しだろう。

新民謡「大分流し節」
☆中津大分両手に眺め 別府湯どころ 別府湯どころ粋なとこ
☆臼杵桜の花ならよかろ 色もよければ 色もよければ艶もよい
☆津久見港は蜜柑の名どこ 岸に千艘の 岸に千艘の船が着く
☆佐伯港の番匠川は 今日も濁らで 今日も濁らで海に入る
☆山の中でも七万石の 豊後竹田は 豊後竹田は城下町
☆日隈月隈星隈よりも 日田で名高い 日田で名高い咸宜園

新民謡「肥後と豊後」
☆肥後と豊後は兄弟仲よ お前西向ゃわしゃ東
 背中合わせとすねてはみても 離れがたない地続きよ
☆肥後と豊後は兄弟仲よ 脈が通えば血も通う
 阿蘇の煙に別府の出湯 燃ゆる命の火は一つ
メモ:亀の井バスの阿蘇観光の車内で唄われたもの。
   流行歌風の軽やかな節回しで、明るい感じがする楽しい唄。

新民謡「豊後風景」
☆豊後奇人ちゅち吉四六がおっち おどん方そこつ親類ちゅ
 まこちそうかの ふうんちのう
☆今日も七島刈りゃ四国が見えち 豊後四国も兄弟ちゅ
☆何のかんのちゅち年ゅとっちしもうち 婆ぐ残いた鶏一羽
☆ままよ独りもん 豊後ぢ暮れち 金う儲けち別府い行く
メモ:昭和初期に赤坂小梅がレコードに吹き込んで県内で大流行、度々唄われ、「吉四六さん音頭」とも呼ばれていた。戦後は下火になったが、今でも比較的よく知られている。~ちゅち=~と言うて、そこつ=そこの、まこち=まことに、七島=七島イ、婆ぐ=婆さんが、残いた=のきいた