三つ拍子・蹴出し・けつらかし

はじめに

 今回は、大分県のうち速見地方周辺に伝承されている三つ拍子(蹴出し)を取り上げて、地域ごとに比較しながら少し詳しく紹介しようと思う。大分県内には三つ拍子という踊りがかなり広範囲に亙って伝承されているが、それらは全てが同系統ではない。三つ拍子というのは踊りの所作が一巡する間に3度手拍子を打つといった程度の意味で、この種の呼称は地踊りやその唄の分類・区別には全くといっていいほど用をなさないものである。それでどの三つ拍子か分かりやすくするために、記事名は「三つ拍子・蹴出し・けつらかし」とした。

 伝承範囲はそれなりに広いも、節回しがごく単純だからかそのバリエーションはやや乏しく、テンポと、陽旋か陰旋かの違い程度である。祭文・レソの記事では似通った節回しごとにグループ分けして説明していったが、今回は陽旋と陰旋の区別が「三つ拍子」と「蹴出し」の呼称の区別とほぼ一致しているので、説明の都合上「蹴出し」「三つ拍子」「ヤッチキ」「けつらかし」の4グループに分けてそれぞれの特徴を説明していくことにしたい。

※ 三つ拍子について、人によっては「みつぼし」と発音し、それに対して「三つ星」の字をあてる向きもあるが、ここでは「三つ拍子」に統一した

蹴出し

 「蹴出し」が伝わっているのは宇佐市西馬城の一部、院内町、安心院町、山香町山浦地区・上地区、別府市天間、湯布院町であり、その中心地は安心院町である。旧宇佐郡(沿岸部除く)が本場と見てよいだろう。この地域は初盆供養の行事「庭入り」の伝承地である。庭入りに関係の深いのは「ばんば踊り」で、「蹴出し」は庭入り行事の後に踊る一般の地踊りに区分されるが、しかしかつては「最後に成人男性のみで踊る」と規定されていたことが多く、その意味で「マッカセ」とか「レソ」等の娯楽踊りと比べれば、少しは庭入りに関係があったと言える。しかし現在は「最後に成人男性のみで踊る」慣習が崩れてしまっているところも多く、「マッカセ」等の娯楽踊りと同等の扱いになってきている。

 この呼称は、踊りの途中で片足を大きく蹴り出すような所作があるか、または輪の中を向いたまま片足を交互に繰り返し蹴り出す所作があるためである。「マッカセ」や「レソ」に倣って囃子言葉をとって「ヤレショー」等と呼ぶことはまずない。他の踊りにも片足を蹴り出す所作が出てくるのに、どうしてこれだけを「蹴出し」と呼んだかといえば、やはり蹴り出す所作がことさらに目立つのと、テンポが速く全体的に荒っぽいような印象があるので、それにつられてのことかと思われる。なお、「蹴出し」が伝わっている地域では、「三つ拍子」というと普通は「豊前踊り」または「千本搗き」のことをさす。

 節回しは、音引きがごく少なく1音1音に字脚がカッチリと乗っていて、子供でも簡単に唄える。陽旋で明るい感じがするし、テンポも速いので若い人にも親しみやすい。下の句の節が頭3字分を欠いているのだが、その部分では文句の方もお構いなしに3字分伏せて唄うので、元の文句を知らなければややわかりにくい。昔は、一口口説はもちろんのこと段物でも「鈴木主水」とか「巡礼お鶴」など一般的なものであれば暗記している人もそれなりに多かっただろうから、わざと3字伏せることにもまた一種のおもしろみを感じたのかもしれない。

 

a「蹴出し」(安心院町松本)

☆起こる騒動をどこよと問えば(オイサオイサ)

 讃岐の屋島が磯で(ヤーレショヤレショ)

 

 aは『民謡緊急調査』から引いたもので、まだ実際に聴いたことはない。2013年現在、安心院町内においては初盆家庭を廻らずに、集落の公民館に位牌を集めて庭入りを行うところがかなり多くなっているが、松本では初盆家庭を1軒ずつ廻って庭入りをしているそうだ。だから、もしかしたら昔のまま、「蹴出し」を最後に踊っているかもしれない。

 

b「蹴出し」(安心院町楢本)

☆コーリャー橋から酒屋が近い(オイサオイサ)

 戻ろか ナント思案橋(ヤーレショヤレショ)

 

c「蹴出し」(安心院町尾立)

☆前に千軒 長屋を立てて(ヨイショヨイショ)

 ア築山 泉水ついて(ヤーレショヤレショ)

 

 安心院町のうち津房地区では初盆家庭を廻らず、公民館に位牌を集めて集落ごとにまとめて庭入り・供養踊りを行っている。それに伴う変化かどうかはわからないが、bもcも、一連の盆踊りの途中で、性別関係なしに子供からお年寄りまで、みんなで踊っている。ばんば踊りの後は三つ拍子(豊前踊り)を踊り、マッカセ、レソ等を踊り、中入れ(休憩)前に「蹴出し」を踊り、中入れ後も「蹴出し」から始めることが多い。

 文句を見ると、cは段物口説で下の句の頭3字を欠いているのに対して、bは一口口説になっており下の句ばかりか上の区の頭3字まで伏せてしまっている。例示した文句だと、元は「思案橋から酒屋が近い、行こか戻ろか思案橋」だが、3字ずつ伏せて「橋から酒屋が近い、戻ろか思案橋」となっているのであり、元の文句を知らなければ何のことだが、意味が全くわからない。おもしろいのは、下の句の頭3字はその部分の節を欠いているのに伴った伏せであるのに対して、上の句の頭3字は節が残っているにも拘わらず、わざと「コーリャー」に置き換えて3字伏せている点である。これは明らかに意図的なものであって、先述の通り当たり前の文句をわざと伏せて唄うことにおもしろみや、粋のようなものを感じてのことだったのかもしれない。今ではどこまでその効果があるのか疑問だが、昔ながらの慣習なのだろう。もちろん、上の句の頭3字は伏せなくても問題ない。だから、bではいつも上の句の頭3字を「コーリャー」に置き換えるというわけでもなくて、たまには上の句の頭に限っては伏せずに唄うこともある。

 踊り方はbもcも同じ。(右回り)輪の中を向いて、その場でうちわを叩きながら右足、左足…と交互に都合6回蹴り出して、うちわを叩いて右足1歩下がって左足を浮かせ、輪の進む向きに左足を踏み、右足を体重乗せずにトンとつく。右足から2歩で、進みながらやや左向きになり、右足1歩で右回りに反転して輪の外に下がり、左足を輪の中向きに踏んで右足を体重乗せずにトンとつく。文字で説明するとややこしいが同じことの繰り返しなので難しくはないし、唄と踊りがピタリと合うのでよく揃う。

 深見辺りでは津房の踊り方とは少し所作が違っていたように記憶しているが、踊ったのがずいぶん前なのでよく思い出せない。大きな違いではなかったはずだが、足運びがやや違ったと思う。

 

d「蹴出し」(院内町斉藤)

☆ここに哀れな巡礼口説(ホイサホイサ)

 アラ国はどこよと尋ねてきけば(ヤーレショヤレショ)

 

 院内町の踊りにはまだ行ったことがなく、dは『民謡緊急調査』より引いたもの。下の句の頭3字を伏せておらず、おそらく杵築市の三つ拍子と同様に、中囃子の「ホイサホイサ」を言い終わらないうちに「アラ国は…」と下の句を唄い始めるのだろう。院内町では初盆家庭を廻る庭入り・供養踊りがわりと残っているようで、dももしかしたら盆踊りの最終に、成人男性のみで踊られているかもしれない。

 

e 池普請「棒打ち唄」(宇佐市横山)

☆船が出たぞな百二十七つ(アーオイサーオイサー) ござろかノー あの内に(ヤーレショ ヤーレショー)

☆ヨイト焼けたち山鳥立たぬ 可愛いものはない

☆ヤレあれ見よ八山が辻にゃ 松かさでノー 茶を沸かす

 

 ここで、盆踊り唄ではないのだが、節回しの類似する唄として宇佐市横山(四日市地区)で唄われた「棒打ち唄」を紹介する。これは『民謡大観』に音源が収録されているので図書館等を利用すれば気軽に聴くことができる。棒打ち唄は一連の池普請唄の一つで、節が「蹴出し」に酷似している。こちらの方が少しゆったりとしているほか、唄い出しを1拍余分に伸ばすのでそこだけ3拍子になっているが、あとはまるで同じ。盆踊り唄を池普請唄に転用した例は多いので、これもきっとそうだろう。或いは、案外池普請唄の方が元なのかもしれないが。

 文句を見ると、各節に全く連絡がない、一口口説になっている。おそらく棒打ちの作業をしながら、順繰りに唄い継いでいったのだろう。おもしろいことに、ここでも上の句の頭3字を伏せたりしている。元の文句は、順に「船が出たぞな百二十七つ、様はござろかあの内に」「山は焼けたち山鳥立たぬ、子より可愛いものはない」だろうが、「あれ見よ八山が…」の文句については、上の句は多分「様よあれ見よ…」だろうが下の句の「○○○松かさで茶を沸かす」がよくわからない。元の文句を知らないとこの始末である。「猿が松かさで茶を沸かす」のような気もするが、詳細不明。

 

f「蹴出し」(山香町南畑)

☆コーリャー どなたも速いがよかろ(アーヤレコラショイ)

 アラヨイトサデ 速いがよかろ(ヤレショー ヤレショー)

 

 山香町南畑のうち上河内には初盆家庭を1軒ずつ廻る庭入りが残っているそうで、eは一連の盆踊り唄の最後に踊られているものである。実際に聴いたことはないが、距離の近さからしてfと同じだろう。

 

g「蹴出し」(山香町日指)

☆よんべ山香の踊りを見たら(ドシタドシタ)

 かたげて鎌腰差いて(ヤーレショ ドッコイショ)

 

 gは山香町日指(上地区)で聴いたもので、囃子が少し違っている以外はbやcと全く同じ節で唄っている。日指では「よんべ山香の…」の文句のほか、専ら「勢場ヶ原の合戦」を口説いていた。日指ではもう庭入りはやっていなくて、普通に公民館で寄せ踊りをしている。しかし最後は「蹴出し」で終わるという慣習は残っているようだ。

 同じ山香町でも中地区や東地区、立石地区の「三つ拍子」では、同じ文句でも「よんべ山香の踊りを見たら、ヨイカナ踊りを見たら」という風に上の句を半分返して唄っており、下の句の頭3字分の欠落部分が文句に影響しないようになっている。ところが日指では、下の句頭3字分の欠落などお構いなしにどんどん文句を進めていくので、結果的に文句にも欠落が生じている。しかし、そうたいした問題ではないようだ。

 踊り方は、安心院のものは輪の中を向いたまま左に左にずれていくような踊りだったのに対して、gの場合は基本的に輪の進行方向を向いたままどんどん進んでいくような踊りである。(右回り)両手を振り上げて胸の前にすくい寄せながら右足を左足の「後ろに」引き寄せて少しだけ後ろにはね上げ、左足の「前に」下ろして体重を移す。これの反対、反対、反対で4回すくい寄せる。右足を後ろに踏んでやや輪の中を向き、左足に体重戻して輪の進む向きに戻り、うちわを叩いて右足をトンとつく。うちわを叩いて右足から3歩出て左足を大きく右前に蹴り出し、左足下ろして体重を移す。最初と同じ足運びで2回両手をすくい寄せ、そのまま最初に戻る。つまり都合6回すくい寄せることになるのだが、唄と踊りがピタリと合っている関係で、唄い出しから説明すると4回+移動+蹴る+2回ということになる。ごく簡単な踊りだが足運びが少し忙しい。

 

h1「蹴出し」(湯布院町)

☆一つ手を振りゃ千部の供養(アラヨイショヨイショ)

 アラ手を振りゃ千部の供養(ヤレショーヤレショー)


h2「蹴出し」(湯布院町塚原) <77・77段物>

☆散りてはかない 平家の連よ(サイサイ)

 ことの仔細を たずねて訊けば(ヤーレショ ドッコイショ)


 湯布院町内では今でも盛んに踊られているようで8月16日の、湯布院町全体の供養踊りでも踊られている。現在、庭入りが残っているのは並柳・荒木・塚原のみであり、この3つの集落のうち初盆家庭を廻って庭入りと盆踊りをしているのは荒木のみ。並柳では公民館に寄せて行い、塚原では庭入りのみを初盆家庭を廻って行った後、小学校に寄せて踊りをしている。

 塚原の蹴出しは頭3文字と下7時の頭(h2の文句で示すと「散りて」と「たずねて」)をためて唄う上にテンポがゆったりで、安心院町や山香町の「蹴出し」とはずいぶん違っている。踊り方も、よその「蹴出し」や「三つ拍子」(蹴出し系統のもの)は踊りの手が一巡するのにちょうど20呼間で、唄も20呼間なのでぴたりと合っているのに対して、塚原のものは踊りの手が18呼間で一巡する上に唄は25呼間程度なので唄と踊りがどんどんずれていく。輪の中を向いて片足ずつ蹴り出しながら3回うちわを叩き、片足ずつ蹴り出しながら両手を振り上げては返すのを繰り返して数歩輪の向き(右回り)に進み、1歩下がって数歩出て、また輪の中を向いて片足ずつ蹴り出しながら両手を振り上げては返す。同じ所作の繰り返しが多く、踊りが揃いにくい。

 

i「蹴出し」(別府市天間)

☆恋し小川の鵜の鳥ゅ見やれ(ドウシタドウシタ)

 アラ 鮎をくわえて ヤレ瀬をのぼる(ヤーレ ヤレソー)

 

 別府市天間地区は安心院町と同一の文化圏で、初盆家庭を順に廻って行う庭入りと供養踊りが伝わっている。しかし少子高齢化に伴う伝承者の減少が顕著で実施が困難になってきたので、2013年現在は庭入りと供養踊りを一時休止し、別府音頭、ヤッチキなどを踊る寄せ踊りを実施している由。しかし完全に廃絶したわけではなく、目処が立ちしだい伝承の踊りを再開する意志はあるそうだ。

 この地域の庭入りや供養踊りのやり方は昔ながらのものをよく保っており、かなり最近まで「蹴出し」は成人男性のみの踊りとされていた由。マッカセやレソ等は性別や年齢関係なしに皆で踊って、最後の「蹴出し」になると女性や子供は輪から出ていた。平成に入ってから次第にその慣習が崩れ始め、最近では女性や子供も一緒に踊るようになってきていたらしい。多分、人口が減少したからだろう。 

三つ拍子

 「蹴出し」と同種の「三つ拍子」が伝わっているのは山香町立石(向野除く)・東・中地区、大田村、杵築市、安岐町、日出町、別府市亀川で、この地域を代表する踊りになっている(昔は武蔵町や国東町でも踊るところがあったそうだが現在は廃絶)。踊りが揃いやすいこともあってか、盆踊りの最初と最後は「三つ拍子」を踊ることが多い。今でも杵築市の一部地域では「六調子」から、山香町立石では「二つ拍子」から踊り始める場合もあるほか、「ヤッテンセーロ」から踊り始めていたところもあったが、こういった例は少数派である。数種の地踊りをセットにして踊る中でも、「三つ拍子」と「二つ拍子」または「六調子」は特に盛んに踊られてきたが、近年は「三つ拍子」の方がより人気が高いようだ。

 「三つ拍子」の呼称は、先述の通り踊りの所作が一巡する間に3回手拍子を打つことからと思われるが、伝承の過程により地域ごとに踊りの振りが少しずつ変化していて、今では必ずしも3回手拍子を打つとは限らなくなっている。手拍子の回数を見ると、2回が大田村、杵築市、安岐町、日出町大神の一部・市街地。3回が山香町、別府市亀川。4回が日出町大神の一部・豊岡の一部となっているようだ。踊り方が変わっていっても名前は簡単には変わらないので、このように「三つ拍子」の呼称と踊り方の実際が乖離しているところが多くなっている。ともあれ、3回手拍子を打つのが一応は古い踊り方ということなのだろうが、3回手拍子といっても何通りかの踊り方があるので、今となってはどれが実際に古いのかはよくわからない。一般に「三つ拍子」で通用しているが、高齢者の中には「みつぼし」と発音する例もまま見られる。

 節回しは「蹴出し」とほぼ同じだが、こちらは陰旋になっている。ただし山香町あたりでは「蹴出し」の影響を受けてか、やや陽旋化したような節で唄う人も見られる。他の地域でも人によって節が違ったりするが、伴奏は太鼓のみなのでリズムが合っていれば細かい節の違いなど大した問題ではない。日出町豊岡や山香町ではかなり速いテンポで唄ってるが、別府市亀川や安岐町などのものはそう速くはない。また下の句の節の頭3字分を欠くのは山香町、大田村、安岐町で、その他の地域では節を欠かずに唄っている。節を欠く場合でも「蹴出し」で見られたように文句を3字分伏せたりせず、上の句の後半を繰り返すことで解決している。

 

j「三つ拍子」(山香町中・東・立石※向野除く)

☆よんべ山香の踊りを見たら(オイサオイサ)

 ヨイカナ 踊りを見たら(ヤーレサ ドッコイショ)

 

 jは、山香町中・東・立石地区(向野除く)で大変よく親しまれており、盆踊りだけでなく運動会などのときにも盛んに踊られている。中地区や東地区では近年高速化が著しいが、昔はもう少しゆっくりしたテンポだった由。初盆の家庭を順々に廻って供養踊りをしていた頃は、今のように速いテンポだと疲れて、何軒も踊って廻るのは無理だっただろう。節は完全に陰旋化している。立石地区では、中や東よりはゆっくりとしたテンポで唄っている。やはり陰旋化しているが、人によっては「蹴出し」にやや近いような、陽旋ともとれるような節で唄う例もある。

 下の句の頭3字の部分の節を欠いているが、ここを「ヨイカナ」にして上の句の後半を繰り返すことで、文句を3字伏せずに唄っている。これは節の欠落への対応というよりは、むしろ段物口説を少ししか暗記していなくてもできるだけ長時間音頭をとれるようにした、昔の工夫の名残ではないかと思う。「よんべ山香の踊りを見たら、おうこかたげて鎌腰差いて」の文句を山香町上地区の「蹴出し」(g)のように3字伏せる唄い方で唄うと「よんべ山香の踊りを見たら、かたげて鎌腰差いて」と1節に収まるのに対して、jのような唄い方をすれば「よんべ山香の踊りを見たら、ヨイカナ踊りを見たら/おうこかたげた鎌腰差いて、ヨイカナ鎌腰差いて」と2節にまたがる。つまり同じ長さの文句で倍の時間唄えるということで、これはアンチョコなしにソラで口説く場合には極めて好都合なことである。口説内容は古い「よんべ山家の…」の文句を改変した「山香口説」が盛んだが、他に「巡礼お鶴」や「炭焼き小五郎」「鈴木主水」などが口説かれることもある。

 踊り方は簡単だが、足運びが忙しく初めての人にはややこしい。(右回り)両手を振り上げて顔の前にすくい寄せながら右足を左足の「横に」引き寄せて少しだけ後ろにはね上げ、左足の「前に」下ろして体重を移す。これの反対、反対、反対で4回すくい寄せる。右足から2歩出て(前の所作から続けて数えると都合3歩)、手拍子1回で右足をトンとつく。輪の中を向いて右足、左足で、右足蹴り出しながら両手を胸元からアケで前に捨て、右足から2歩下がって輪の向きに戻る。最初と同じ足運びで手拍子1回、反対の足運びで手拍子1回で最初に戻る。このように同じことの繰り返しなのだが、引き寄せた足を後ろにいちいちはね戻すのがややこしいし疲れるので、はね戻すのを省略してただ後ろに引き寄せるだけで踊る人も増えてきている。隣接する日出・大田・杵築では両手を前か横に払うようにしながら継ぎ足で踊るのに対して、山香では自分の方にすくい寄せるようにして足も後ろに引き引き踊るので、このことについて、「杵築はあげるあげると言って踊る、山香はおくれおくれと言って踊る」と冗談めかして言うのを聞いたことがある。運動会で踊ることもあってか子供も踊り方をよく覚えている。

 

k1「三つ拍子」(大田村)

☆花のお江戸のそのかたわらに(オイサオイサ)

 ヨイカナ 心中話(ヤーレサ ドッコイショ)

☆おうこかたげて鎌腰ゅ差いて 鎌腰ゅ差いて

 

k2「三つ拍子」(安岐町)

☆一つ手を振りゃ千部の供養(オイサオイサ)

 ソウカナ 千部の供養(ヤーレショ ドッコイショ)

 

 k1とk2は、実際は同じものである。囃子の「ヤーレサ」と「ヤーレショ」の違いも、地域差というよりは個人差と見るのが妥当で、そう大した問題ではない。大田村や安岐町もこの踊りは大変親しまれており、一連の盆踊りの中でも最も長時間踊られている。昔は「ヤッテンセーロ」や「二つ拍子」から踊り始める場合もあったようだが、現在、大田村や安岐町の全域で、ほぼ例外なく「三つ拍子」から踊り始めている。最後も「三つ拍子」で終わることが多い。節はjとほぼ同じで、テンポはjのうち立石地区で唄われるものと同程度。k1よりもk2の方がやや遅いような気もするが、これも地域差というより、個人差の範疇だろう。

 文句や詩形について特筆することはなく、下の句の扱いはjと同じ。「鈴木主水」「巡礼お鶴」等の段物が盛んに口説かれている。

 踊り方は基本的にはjと似ているが、足運びはこちらの方がずっと易しい。また、手拍子が2回だけになっている。「三つ拍子」の呼称と踊り方の実際が乖離しているが、これについてはこの項の冒頭で説明している。(右回り)両手をやや高い位置で右に流しながら右足を左足の「後ろに」トンとついて、「前に」出して体重を移す。これの反対、反対、反対で4回流す。右足から2歩出て(前の所作からの通しで都合3歩)、右足を蹴り出す。やや輪の中を向いて右足、左足で、右足を蹴り出す※。右足から2歩で輪の向きに直って、最初と同じ足運びで手拍子1回、反対の足運びで手拍子1回で最初に戻る。2回目に蹴り出すとき(※)は、普通に歩くような手振りか、または両手を小さく胸の前に跳ねあげるか、どちらでもよい。とても簡単だし、唄と踊りがずれないので踊りが揃いやすい。

 昔は武蔵町や国東町の一部でも「三つ拍子」が踊られたようだが、2013年現在、両町においては全く廃絶している。「三つ拍子」よりもずっと難しい「六調子」が残っているのにどうして「三つ拍子」が廃れたのかといえば、「三つ拍子」の方が後から入ってきた踊りだったからだろう。地踊りが衰退する過程において、「昔からの踊り」が残り「よそから入ってきた踊り」が消えたというのは、わりとよくあることのようだ。武蔵町や国東町の「三つ拍子」がどんな踊り方だったか、どんな節だったかは知らないが、伝搬経路を考えると安岐町から入ってきたであろうことは想像に難くなく、そうであればlとそう大きくは変わらなかったと思われる。

 

l1「三つ拍子」(杵築市)

☆過ぎし昔のその物語(オイサオイサ)

 国は紀州にその名も高き(ヤーレショ ドッコイショ)

 

l2「三つ拍子」(杵築市)

☆過ぎし昔のその物語(オイサオイサ)

 サーオイサ昔のその物語(ヤーレショ ドッコイショ)

 

 杵築市内では、昔は奈狩江地区など「六調子」から踊り始めるところもあるが、やはり「三つ拍子」で始めるところの方が多くなっているようだ。一連の地踊りのうち「ヤッテンセーロ」や「祭文」が下火になっており、杵築の盆踊りはだんだん「三つ拍子」と「六調子」に限られつつあるが、この2種類に限っては今でも盛んに踊られている。

 lのシリーズの節はkとほぼ同じなのだが、下の句の頭3字分の節を欠かずに唄っている。l1は杵築市全域で唄われており、「オイサオイサ」と囃し終わらないうちに下の句を唄い始める。そのため例示した文句では「サオイサ」と「国は紀」が重なっているが、「オイサオイサ」の囃子は踊り手が担っているので特に問題はない。1節で28字口説くため、文句の進みがjやkの倍速くなっている。それに対して、l2は「オイサオイサ」の囃子を途中から音頭が取ってしまって下の句の頭に組み入れ、上の句の頭3字に置き換えてそっくりそのまま返して唄う。そのため節はl1は、文句の進みがjやkと同じなので、長い文句を諳んじていなくても唄いやすい。両者は混在していてもよく、音頭取りの好みの問題であって地域性はない。段物であれば文句はなんでもよいが、もっとも盛んな「鈴木主水」は「六調子」で口説くことのが多いようで、「三つ拍子」では「那須与一」や「巡礼お鶴」のほか「七島イの由来」など地元由来のものも盛んに口説かれている。

 踊り方は大きく分けて3種類あるが、どの踊り方で踊ってもよい。また同じ輪の中に複数の踊り方が混じっていても、特に問題ない。どれも基本は同じで簡単だが、踊り方3はちょっと勝手が違う。宮司など左回りで踊る集落もあるが、大部分で右回りに踊っているので、ここでは右回りで説明する。

(踊り方1)kで説明した踊り方と同じで、主に八坂地区・北杵築地区の人がこの踊り方で踊っている。大片平のお年寄り曰く「昔は足を後ろに引いて踊った(kやjのように)」らしいが、今は継ぎ足を後ろに引かずに、すぐ横にトンとついて踊る人の方が多くなっている。

(踊り方2)主に杵築地区・東地区・奈多狩江地区の人が踊っている踊り方で、この踊り方は足を蹴り出す所作もなく、ややおとなしい感じがする。おそらく踊り方1の方が古く、踊り方2は、より「しなよく」踊るために誰かが踊り方1の所作を改めたのが広まったものなのだろう。…両手をやや高い位置で右にごく小さく振りながら右足を左足の「横に」トンとついて、少しだけ「前に」踏みなおして体重を移す。これの反対、反対、反対で4回手を振る。右足から2歩進んで(前の所作からの通しで都合3歩)、右足を内股気味に踏んで右手かざし気味にしながら左手を後ろに流し、左足を後ろにトンで左後ろを見返る。反対動作で、右後ろを見返る。右足から2歩で体勢を直して、最初と同じ足運びで手拍子1回、反対の足運びで手拍子1回で最初に戻る。

(踊り方3)奈狩江地区のお年寄りの中にこの踊り方で踊る人が僅かに見られる。昔流行した踊り方なのだろうが、最早廃絶寸前といってもいいくらいに、ごく僅かの人に踊られるのみとなっている。…両手を右上にアケですくい上げて両手首をクルリを返しながら右足を左足の「後ろに」トンとついて、やや内股気味に「前に」踏みなおして体重を移す。両手を左下にフセで下ろしながら左足を右足の「後ろに」トンとついて、やや内股気味に「前に」踏みなおして体重を移す。同様に、右上で返して左下に下ろす。右足から2歩出て(前の所作からの通しで都合3歩)、両手を左に小さく捨てながら右足をトンとついてほぼ束足になる。やや輪の中を向いて右足、左足で、両手を顔の高さくらい軽く握ったまま振り上げてアケ気味にパッと手を開きながら右足を小さく蹴り出す。右足から2歩で輪の向きに直って、最初と同じ足運びで手拍子1回、反対の足運びで手拍子1回で最初に戻る。

 

m「三つ拍子」(日出町)

☆さても豊後の藤原村の(ヤッサヤッサ)

 小字畑内 百姓の家に(ヤレコリャドッコイショ)

 

 日出町に伝わる一連の地踊りのうち、もっとも盛んに踊られているのはやはり「三つ拍子」で、通常、最初と最後は「三つ拍子」を踊ることが多い。大神では杵築と同じくらいのテンポで唄うこともあるが、一般に中山香と同じくらいのテンポで唄うことが多く、豊岡地区の小浦などは特にテンポが速い。普通、右手にうちわを持って踊る。

 日出町内の何か所かの盆踊りに行ってみたところ、いずれも下の句の頭3字分の節を欠かない節で、l1と同様に上の句の文句を繰り返さずに唄っていた。文句はなんでもよくて、「那須与一」などのほか「伝蔵口説」や「与十秀浦」等地元由来のものも伝わっている。

 踊り方は大きく分けて4種類あるが、どの踊り方で踊ってもよい。同じ輪の中に違う踊り方が混じっても特に問題ないような気もするが、実際は3の踊り方など輪の進みが極めて速いので、1とは相性が悪い(輪の進みが違うので同じ輪の中で混在できない)。踊り方の分布には地域制があるようで、実際には同じ輪の中に違う踊り方が混在することはほとんどないようだ。小浦などまれに左回りで踊る集落もあるが、大部分で右回りに踊っているので、ここでは右回りで説明する。

(踊り方1)kで説明した踊り方と同じで、大神地区の一部や藤原地区の一部で踊られている。

(踊り方2)大神地区の大部分で踊られている踊り方。…両手をやや高い位置で右に流しながら右足を左足の「横に」トンとついて、「前に」踏みなおして体重を移す。これの反対、反対、反対で4回手を振る。右足から2歩進んで(前の所作からの通しで都合3歩)、うちわを叩きながら右足をトンとつき、もう一度うちわを叩いて右足を少し外に踏み。左足踏んで右足蹴って右、左と進む。最初と同じ足運びでうちわを叩き、反対の足運びでうちわを叩いて最初に戻る。

(踊り方3)藤原地区の一部・川崎地区・日出地区・豊岡地区の一部で踊られている踊り方。この踊り方は方向転換が一切なく、前を向いたまま止まることもなくどんどん進んでいくので輪の進みが速い。今まで紹介してきた踊り方は継ぎ足を軸足の「後ろ」か「前」に置いていたのに対して、これ以降紹介する踊り方(ヤッチキまで)は、すべて継ぎ足を軸足の前にすべり出すようにして踊る。…右手を右上から左下に大きく振り下ろすと同時に左手を少し右に振り上げて両手を胸前で交叉させながら右足を左足の「前に」すべらせて、「前に」踏みなおして体重を移す。右手を右上に大きく振り上げると同時に左手は左下に振り下ろしながら左足を右足の「前に」すべらせて、「前に」踏みなおして体重を移す。同様に、右手を振り下ろし・左手振り上げ、右手振り上げ・左手振り下ろす。右足から2歩出て(前の所作からの通しで都合3歩)、最初と同じように右手を振り下ろすと同時に左手を少し振り上げて両手を交叉しながら右足を左足の前に大きくすべらせて、踏みなおす。右手を大きく振り上げると同時に左手を振り下ろしながら左足を右足の前に大きくすべらせて、踏みなおす。右足から2歩進んで、最初と同じ足運びでうちわを叩き、反対の足運びでうちわを叩いて最初に戻る。

(踊り方4)豊岡地区の一部で踊られている踊り方。3の踊り方ほどではないが、この踊り方も輪の進み方がかなり速い。…右手を右上から左下に振り下ろすと同時に左手をやや立て気味に振り上げながら右足を左足の「前に」すべらせて、「前に」踏みなおして体重を移す。これの反対、反対、反対で都合4回振り上げ振り下ろしですべらす。右足から2歩出て(前の所作からの通しで都合3歩)、右足を少し後ろにトンとつく。右足、左足と踏んで、うちわの端を叩いて右にはね出しながら右足を外に蹴り出し、右足、左亜足、最初と同じ足運びでうちわを叩き、反対の足運びでうちわを叩いて最初に戻る。

 

n「三つ拍子」(別府市亀川)

☆踊る皆さんお覚悟なされ(オイサオイサ)

 覚悟よければ切り替えましょか(ヤッチキドッコイドッコイショ)

 

 別府市亀川では「別府音頭」などの新民謡踊りのほか一連の地踊りもよく踊られているが、中でも「三つ拍子」はよく親しまれている。当地の「三つ拍子」は日出よりもずっとテンポが遅く、のんびりとした雰囲気。上の句の唄い出しが特徴的で、今まで紹介してきた「蹴出し」や「三つ拍子」は全て表拍から唄い出していたのに、nの場合は半呼間おいて裏拍から唄い始める。つまり、日出や杵築、山香などでは「おどるーみなさん」と唄い始めるところを、亀川では「、おどるみなさん」と唄い始めるのである。たったこれだけの違いなのに、ずいぶん印象が異なる。

 踊り方はmで紹介した「踊り方4」とほぼ同じなのだが、亀川では下の句の部分で反転してほぼ後ろ向きになるので輪の進み方はそこまで速くない。一般に、大分県内においては地踊りは右回りで踊ることが多いのだが、別府市街地においては左回りで踊ることが多い。「別府音頭」などの新民謡踊りが左回りなのでそれにつられてのことと思うが、ひとまずここでは「三つ拍子」の踊り方も左回りで説明する。 …右手を右上から左下に振り下ろすと同時に左手をやや立て気味に振り上げながら右足を左足の「前に」すべらせて、「前に」踏みなおして体重を移す。これの反対、反対、反対で都合4回振り上げ振り下ろしですべらす。右足から2歩出て(前の所作からの通しで都合3歩)、右足を左足の前にすべらせながら右回りに反転し後ろ向きになり、右足から2歩出て、右足を蹴り出しながら左回りに反転し前向きになる。右足から2歩出て、最初と同じ足運びでチョチョンとうちわを叩き、反対の足運びでチョンとうちわを叩いて最初に戻る。

 昔は旧石垣村・旧朝日村においてもこれと同種の「三つ拍子」が唄い踊られたが、現在は地踊りとしての「三つ拍子」は廃絶、「ヤッチキ」にとってかわられている。

 

o「ヤッチキ」(別府市街地)

☆続く踊りは別府の囃子

 後が続けばみな続きます(ヤッチキドッコイドッコイショ)

 

 oは地踊りの「三つ拍子」をレコード用に編曲したもので、「別府囃子」と裏表でEPに吹き込まれている。おそらく、昭和40年代のことだろう。「ヤッチキ」の呼称は、「三つ拍子」だとよその「三つ拍子」と区別できないので、囃子言葉からとってレコード化の際に名づけられたものと思われる。素朴な「三つ拍子」の節を弾んだリズム(いわゆるピョンコ節)に変え、三味線や笛、鉦などを加えている。また太鼓の叩き方は、「三つ拍子」ではワク打ちを何度も挿む忙しい叩き方だったのが、「ヤッチキ」ではピョンコ節になったことに伴い「ドドンガドン」のような割と簡単な叩き方になっている。文句は、石垣原の合戦の口説から引いている。

 現在、別府市内のほぼ全域において地踊りが廃絶し、盆踊りのときにも「三つ拍子」でなく「ヤッチキ」が唄われている。元は口説唄なのだから七・七の字脚に合う段物なら何でもよいし、踊りの切り替えや音頭の受け渡しなどの際にいわゆる「マクラ音頭」をすらすらと出したりするところに一種の面白味があるのだが、残念ながら口説唄としての個性は失われ、レコードに吹き込まれた文句をループして唄っているのが現状である。そのため、「別府囃子」を踊らないときでも「続く踊りは別府の囃子」などと唄っており大変違和感がある。最早、俚謡としての体をなしておらず、ステージ民謡・レコード民謡に変化しているといえるだろう。

 踊り方はnと同じだが、こちらの方が少しテンポが速いので動きが忙しい。それでも所作が簡単なので、子供からお年寄りまで盛んに踊られている。同時に踊る「別府音頭」や「温泉踊り」、「瀬戸の島々」等の新民謡の踊りと比べて、やはり「ヤッチキ」は元が地踊りなので野趣に富んでおり、比較的若い人にも親しみやすいようだ。昔は四つ竹を持って踊る人もいたが、近年は手踊りばかり。レコード化による普及も手伝ってか、現在、佐伯市街地の一部(鶴岡地区等)においても「ヤッチキ」が踊られている。

けつらかし

 「けつらかし」は現在、挾間町内成地区・古野地区・石城川地区にしか残っていないが、以前は別府市内成地区や大分市国分地区でも踊られていた。実際に踊ったことはないが、節は「三つ拍子」と似たり寄ったりである。「けつらかし」は「蹴散らかし」の意で、「蹴出し」と同様に片足を蹴り出す所作からそう呼んだか、或いは所作が荒っぽくて継ぎ足を前に滑らすような踊り方をするためかもしれない。

 

p「けつらかし」(別府市内成)

☆日出の山家の踊りを見たか

 おうこ担いで鎌腰差して(ヤレショーヤレショ)

 

r「けつらかし」(挾間町内成・古野・石城川)

☆日出の山家の踊りを見たか

 おうこかついで鎌腰差して(ヤーレショ ヤレショ)

☆踊る片手じゃ稗餅ゅこぶる こぶる稗餅ゃぼろぼろあゆる

 

 pの「けつらかし」は、平成20年頃までは踊ることもあったようだ。別府市内成地区には10種類程度の地踊りが残っていたが、少子高齢化や人口の減少の影響で、平成25年現在すべての地踊りが廃絶している。それらの踊りは一度に廃絶したわけではなく、「けつらかし」がいちばん最近まで踊られていた由。

 rについては、『挾間町誌』か何かに簡単な五線譜が乗っていたのだが、それを見る限り速見地方の「三つ拍子」と大差ない節回しのようだ。挾間町内成も別府市内成も、元は一つなので、pも同じ節だろう。

 文句を見ると「日出の山家の…」あるいは「日出の山香の」(日出領は山香郷の…の意)、「日出の山田の」かもしれないが、これは現在山香町辺りで盛んに口説かれている文句とほぼ同じものである。これは「けつらかし」が元は速見の「三つ拍子」であったことを示している。また、「山家」「山田」あるいは「山香」の田舎風の踊りをおもしろおかしく唄った文句は、同じく「山家」である内成や石城川辺りの人々にとって、一種の共感・親しみを覚えるような内容だったのだろう。 ※山家は「山村」といった程度の意味で、別府市の地名「山家」とは関係ない。

 大分市国分地区辺りでも昔「けつらかし」が踊られたようだが、今は踊っていないようで詳細不明。

おわりに

 「けつらかし」に関する情報が少なくやや尻すぼみになってしまったが、踊り方などを含めて、その土地々々の特徴をそれなりに詳しく説明することができたような気がする。今後も多様性はそれなりに維持されると思うが、踊り方に関して細かく見るとより簡単なものに収斂していくだろう。現状に変化が生じた場合は、その都度補足していきたい。