祭文とレソ

はじめに

 大分県内にはいろいろな地踊りが伝承されているが、その中でも特に広く踊られているのが「祭文(さえもん)」だといわれている。鶴崎または臼杵から県内各地に伝わったとされているが、地域ごとに踊り方や唄の節回し、太鼓の叩き方など全く異なる。きっと伝承の過程で各地各様の変化を遂げたのだろう。例外もあるが、ほとんどの地域の祭文は手数が5呼間ないし6呼間で一巡する平易な踊り。それでいてなかなかおもしろく、老若男女誰でも楽しく踊れる踊りとして、大変親しまれてきた。全国的に知られているのは鶴崎踊りのものくらいだが、今でもかなり広範囲に亙って、その地域独特の祭文が伝承されている。
 この記事では、県内に伝わるいろいろな祭文を数グループに分け、簡単な説明を加えることで、その多様性を示したい。これから県内各地の祭文を紹介するにあたって、いろいろな呼称の唄が出てくる。「祭文」以外にも「レソ」「ほうちょうぬべぬべ」等あるが、呼び名が違うだけで全て「祭文」の仲間であることに注意されたい。また「さえもん」の用字は、「祭文」のほか「左衛門」「左ヱ門」「左右衛門」など地域によって様々なのだが、ここでは「祭文」に統一している。

 

 

鶴崎踊りの祭文とその周辺

 まず、鶴崎踊りの祭文とそれに比較的近い節回しの祭文を集めてみた。伝承地域はかなり広範囲に亙っており、別府湾沿岸部から国東町、内陸では大分郡から玖珠郡にまで及んでいる。当然踊り方は地域によって異なるのだが、どれも簡単な所作の繰り返しばかりで、せいぜい5呼間ないしは6呼間程度で元の手に戻る。玖珠町の一部地域をのぞいて、みな手踊り。

a「祭文」(大分市鶴崎)
☆豊後名物その名も高い 踊る乙女の品のよさ
 (ソレエー ソレエー ヤトヤソレサ)

 aは鶴崎踊りの祭文で、大分県内の祭文の中でも全国的に著名なものである。鶴崎踊りといえば猿丸太夫がメインで、祭文は踊りがはねる前に短時間踊られるにすぎないが、より古いのは祭文だと言われている。他地域の祭文はほとんどが太鼓伴奏または無伴奏だが、鶴崎踊りの祭文は笛、三味線、太鼓等の賑やかな伴奏で、しかも上の句の音引き部分の「コラサノサ」とか「ホホンホー」の囃子を省いて、笛や三味線がその部分を担っており、割と洗練された印象を受ける。ここでは文句を一種類しか例示していないが、全体的に当たり障りのない内容で、惚れたハレタの内容は一切排除されている。大昔は段物もあったかもしれないが、今は七・七・七・五の一口口説しか伝承されていない。
 踊り方はとても簡単で、誰でも踊れる。(右回りの場合)束足で手拍子をし、手拍子3回で3歩進む。このとき、3歩目のときに輪の内側を向いて束足になる。両手首をアケに返して握り胸の高さで右に小さく捨てながら右足を左足の前にやや内股気味に踏み、両手を小さく伏せ伸ばしながら左足を輪の向きに踏み、右に小さくアケかざしでさがる。たったの6呼間の踊りだから長時間踊ると厭きるが、親しみ易い。

b1「祭文」(大分市細)
☆日照り続きの雨乞いまつり ヤレホンカイナ(アドスコイドスコイ)
 九六位お山の水もらい(ソレーヤ ソレーヤ ヤットヤンソレナ)
☆志生木 小志生木のベラとるよりも 瓦切っても細がよい
☆どうでさえもんな府内が元よ 府内どころか臼杵が元よ

 b1は大分市細(坂ノ市地区)で唄われた祭文で、aと比べるとずいぶん素朴な印象を受ける。aでは三味線の節で代替しているヤレホンカイナの囃子の後に、ドスコイドスコイの囃子を挿入している点など、田舎風だと思う。文句も近隣の地名がたくさん出てくるものから、「どうでさえもんな…」の文句など、いろいろなものがあったようだ。
 現在、坂ノ市の祭文は鶴崎踊りの影響でaに同化しているので実際にbを聞く機会がないままなのだが、下の句の後の囃子「ソレーヤソレーヤ」などから推測すると、おそらく佐賀関町大志生木で唄われているものとほぼ同じだろう。

b2「祭文」(佐賀関町大志生木)
☆あの娘かわいや コラ牡丹餅顔よ ホホイノホイ(アヨイショヨイショ)
 黄粉つけたら コラなおかわい(ソレーヤ ソレーヤ ヤトヤンソレナー)
△一合升 二合升 三合升(アヨイショ) 四合升 五合升 六合升(アヨイショ)
 七合升 八合升 九合升(アヨイショ) 私とあなたは一升升(アヨイショ)
 一緒になれば寝られます(アヨイショ) 寝れば布団がふくれます(アヨイショ)
 ふくれりゃピョンコピョンコ動きます(アヨイショ)
 動けば黄汁がこぼれます(アヨイショ) こぼれりゃ布団が汚れます(アヨイショ)
 汚れりゃおっかさんに叱られる(アヨイショ)
 朝も早うから コラ布団の丸洗い(ソレーヤ ソレーヤ ヤトヤンソレナー)

 佐賀関町においても、神崎辺りの一部集落の祭文は鶴崎踊りに同化していることもあるが、大志生辺りまで来ると昔からの祭文がよく残っている。b2は鶴崎のもの(a)とは節が随分異なってきており、テンポがややゆったり目で、全体的に田舎風の雰囲気。特に「ソレーヤソレーヤ」の囃子の節が、鶴崎とは全く異なる。興が乗ればイレコを挿むことも多いが、中には△印の文句のように全くのバレ唄も見られる。大らかな雰囲気で、aとは対極にあると言ってもよいだろう。伴奏は太鼓。
 踊りの手振りも節と同じく素朴で、握りこぶしをつくった両手を閉じたり開いたりする、近隣ではあまり見られない踊り方。しかし、手拍子を打ってかいぐりをしながら進み再度手拍子を打つ部分は、鶴崎踊りにおける4回手拍子の所作の変化だとすぐ分かる。

c「祭文」(日出町日出)
☆姉と妹に 紫着せてコラサノサ どちら姉やら妹やら
 (ソラエンヤソラ エンヤヤト ヤンソレサ)
☆高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り

 cは日出町の中心部で唄い踊られる祭文で、鶴崎踊りのもの(a)に似通っているので別府を飛び越えて先に紹介した。上の句の後にコラサノサをつけて唄っているものの、全体的に平板な感じの節で、鶴崎の節(a)の短調バージョンといった雰囲気。文句はありふれた一口口説で地域性なし。伴奏は太鼓。
 踊り方も鶴崎のものに大変よく似ている。束足で手拍子1回、3回手拍子で右足から3歩で束足、右足、左足と差しかざしで出て、右に伏せかざしで下がるだけ。祭文は日出町ではあまり人気のない踊りで、今では市街地と南畑に残るのみとなっているようだ。南畑のものはどんなものなのか知らないのだが、或いは、cとはまた異なるのかもしれない。

d1「祭文」(杵築市)

☆月はマー 重なる おなかは太るコラサノサ (ヨイショヨイショ)

 様のマー 帰りは遅くなる(ソレエンヤコラ エンヤヤノ ヤンソレサ)


d2「祭文」(安岐町西本)

☆咲いた桜になぜ駒つなぐ コリャホンカイナー 駒がネー

 勇めば花が散る(ソラエンヤ ソラエンヤ ヤットヤードッコイナ)


d3「祭文」(安岐町小川)

☆今宵マー よい晩嵐も吹かで コラサノサ 梅のマー

 小枝も折りよかろ(ソレエンヤコラ エンヤヤノ ヤンソレサイ)


d4「祭文」(安岐町西武蔵)

☆梅とサー 桜を両手に持ちて コラサノサ

 どちらネー 梅やら桜やら(ソレエイ ソレエ ヤットヤンソレサ)


d5「祭文」(武蔵町糸原)

☆親の 意見と茄子の花は コラサノサ(アードシタ)

 千にネー 一つの徒もない(アーソーレガヨイ ソーレガヨイ ヤットナーソレサ)


d6「祭文」(国東町北江)

☆お前百まで わしゃ九十九まで コリャホンカイナ

 ともに白髪の生えるまで(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)


d7「祭文」(国東町富来)

☆色で迷わすスイカでさえも コラサーノサー

 中にゃナ 苦労の種がある(ソレエー ソレエ ヤートヤーンソレサイ)


d8「祭文」(国東町)

☆お前百まで わしゃ九十九まで コリャホンカイナ

 ともに白髪の生えるまで(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)


 d1~d8は杵築市から国東町にかけて伝承されている祭文で、踊り方も節回しも大同小異なのでまとめて紹介する。d1はテンポが遅いが、他は鶴崎(a)と同程度かやや遅いくらい。節はaとよく似ているのだがやはり田舎風で、人により程度の差はあるが細かい節を入れて、ややこね回すように唄う傾向にある。同じ土地でも人によって短調・長調入り乱れており、地域差というよりは個人差が大きいようだ。踊り方は、aやc(日出)が手拍子3回の3歩で前に出て束足になるのに対して、dは2歩で出て束足にならないまま次の所作に移行するので、1呼間短い。杵築市街地では差す手引く手の小さい所作で踊るのに対して、国東の方に向かうほど所作が大きくなっていき、国東町では鶴崎の足運びでなく、継ぎ足をいちいち外に踏み出していく踊り方が目立つ。どの踊り方も大同小異で、手拍子1回から左右にゆすりながら右足から2歩出て、差しかざし気味に流しながら右、左と出て右にさがって束足で手拍子。ただしd4とd5は少しかわっていて、手拍子をせずに左右にゆすりなら右足から2歩出て、輪の内を向いて両手をすくい上げ、前を向いて両手をすくい上げ、右にさがって束足で手拍子を打つ。どれも簡単で覚えやすい。

 杵築市では日出町と同様にあまり人気がなく、もう踊らなくなってしまった集落が多い。安岐・武蔵・国東町ではそれなりに盛んだが三つ拍子や六調子等の段物の踊りの合間に踊るといった印象があり、メインではない。文句は、どこもありふれた一口口説ばかりで、あまり地域性は感じられない。伴奏は太鼓。


e「祭文」(安岐町朝来)
☆踊る皆さんだんだんご苦労 コラサノサ
 祭文踊りもこれ限り(ソラーエ ソラーエ ヤトヤンソレサイ)

 eは安岐町朝来(山間部の地域で、大田村や豊後高田市の東都甲地区に隣接)の祭文で、残念ながらまだ現地で聴いたことはないのだが、幸い『民謡大観』に収録されている(表記が異なるのだが、明らかに祭文であり採集時の記録間違いと思われる)。その音源を聴くと安岐地区・西安岐地区・南安岐地区のものよりも若干テンポが速く、節回しも異なっている。特に「ソラーエソラーエヤトヤンソレサイ」の囃子は後述する「レソ」の雰囲気であり、西国東方面の影響が感じられる。鶴崎から伝わってきた節回しと西国東の節回しが混ざり合っているといえるだろう。

f「祭文」(別府市亀川)
☆鈴木マタ 主水という侍はコラサノサ(ヨイショヨイショ)
 女房マタ 持ちにて二人の子供(ソレヤー ソレヤートヤンソレサイ)

 fは別府市亀川に伝承されているものだが、おもしろいことに近隣地域とは節も踊り方も随分異なっている。隣接する日出町の祭文(c)は鶴崎のもの(a)によく似ているのに、亀川はより鶴崎に近いにも拘らずこうも違っているのは不思議な感じがする。節は長調のピョンコ節(はずんだリズム)で、耶馬渓町や山国町の節にやや類似している。下毛地方と亀川は離れすぎている上に、その間の地域にfと似通った節の祭文が全く残っていないので、伝承の過程における変化でたまたま下毛地方の節に近くなったのかもしれない。しかし、祭文とは関係ないが杵築市加貫に伝承されている「ベッチョセ」という盆踊り唄が、やはり耶馬溪町や山国町の一部に残っている「ネットサ(ネッチョケとも)」という盆踊り唄に酷似しており、しかもその間の地域には同種の唄が全く残っていないことから、何らかの伝播ルートがあったという考えも全く否定することはできない。亀川も加貫も港町なので海路による移入かとも思われるが、そうなると耶馬溪町と山国町が内陸部であるという問題も残る。亀川の祭文と耶馬渓の祭文が、杵築の「ベッチョセ」と耶馬渓の「ネットサ」がよく似ているというのは、何かの文献で見たわけでなく、実際にその節を聴いて個人的に感じたことである。残念ながらこのことについての記述がある資料も今のところ見つかっておらず、完全に解明するのは困難かと思う。
 このような事情から、fについては後で紹介する下毛地方の祭文のグループに入れようかとも思ったのだが、1伝承の過程でたまたま下毛の節に近くなったかもしれないこと、2下毛地方の節に近いものの全く同じというわけでもないこと、以上の2点と、亀川の周辺地域の祭文がみな鶴崎踊りの祭文(a)に類似したものであることから、ひとまずfも鶴崎踊り系のグループに入れてみた。ともあれ、近隣地域の中でもfがひときわ浮いているのは否めず、どうもすっきりしない。
 踊り方は、その場で2回手拍子を打って右左と揺すりながら進んで、右上で巻いて左に流し、右に流して後ろに下がるというものである。やはり近隣地域とは異なった印象だが、それでも右、左と出て、右に流して下がる点など鶴崎踊りの影響が感じられる。耶馬溪町や山国町の踊り方とは似ても似つかぬものなので、やはり、節回しにしてもたまたま耶馬渓方面の節に近くなっているだけで、実は全く関係ないのではないかという気もしてくる。伴奏は太鼓のみ。

g「祭文」(別府市石垣)
☆ゆんべ日出からかか貰うて(コラサノサ)
 別府浜脇通り越し(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサー)

 別府市のうち、石垣地区など旧朝日村にあたる地域においては三つ拍子、二つ拍子、祭文等の地踊りが伝承されていたそうだが、残念ながら現在、全く廃絶している。加藤正人著『ふるさとのうた』に載っている譜面を見ると、gの節は日出の節(c)に比較的近い。字脚が変わっていて七・五の繰り返しになっているが、これは盆踊りの際にイレコとして用いる別府近隣の沿岸部の地名を折り込んだ文句である。人によっては近隣地域と同様に一口口説で唄ったり、または段物を口説くこともあったのではないかと思う。

h「祭文」(別府市内成)
☆明日は行こうかよ 妹の里へコラサノサ(ヨイショヨイヨイ)
 峠七坂 湯のけむり(ソレエー ソレエー ヤットヤンソレサ)

 別府市内成地区はかつては挾間町と同一の文化圏だったこともあってか、地踊りの内容も挾間町方面に似通っていたようだ。祭文、三勝、けつらかし、田の草踊り等10種類程度の踊りを踊っていたようだが、高齢化等に伴い伝承者の減少が顕著で、残念ながら地踊りは廃絶している。『文化財調査委員会結成30年記念 内成・隠山総合調査報告書』によれば、祭文は踊り方が難しいので輪が小さくなっていた由。ときどきイレコを挿んで唄ったとのこと。無伴奏。

i1「猿丸太夫」(挾間町挟間)
☆わしが思いは 宇曽山やまよコラサノサ(ヨイショ ヨイヨイ)
 他に木はない松ばかり(ソレエー ソレエー ヤットヤンソレサ)

i2「猿丸太夫」(挾間町朴木)
☆猿丸太夫は 奥山のコリャホンカイナ(ハヨイショヨイショ)
 紅葉踏み分け鳴く鹿の(ソレエー ソレエー ヤートヤンソレサ)

 iはどちらも祭文なのだが、地元では「猿丸太夫」と呼ばれている。とても紛らわしいのだが鶴崎踊りの猿丸太夫とは関係がなく、明らかに祭文の節である。i2を見ると「猿丸太夫は奥山の…」の唄い出しからそう呼んだとも考えられるが、或いは鶴崎踊りが入ってきたときに「猿丸太夫」と「祭文」の呼称を混同したためかもしれない。まだ現地で聴いたことはないが、『挾間町誌』に簡単な譜面が載っている。それを見る限り、短調になっているが鶴崎の節(a)によく似ているようだ。

j1「祭文」(庄内町)
☆一人娘の おさよとてホホンホー(アヨイショヨイショ)
 年は十五の蕾花(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)

j2「祭文」(庄内町、湯布院町)
☆エー向かいお山で 鹿が鳴くホホンホー(アヨイショヨイショ)
 寒さで鳴くか妻呼ぶか(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)
☆エー向かいお山は むかで山ホホンホー(アヨイショヨイショ)
 むかでが七巻き半巻いた(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)

 jは、聴いたこともなければ譜面等を見たこともなく、県教委による『民謡緊急調査』より引くのみしかできなかった。字脚が七・五の繰り返しになっているのだがイレコというわけでもなく、j1は段物のようだ。音引き部分のホホンホーとか、その後のヨイショヨイショの囃子の印象から、多分田舎風の節なのだろうと思う。庄内町における伝承状況はよく知らないのだが、湯布院町においては今も盛んに踊られているようだ。なお、湯布院町内においても塚原地区のものは宇佐方面の「レソ」に似通った節なので、ここでは飛ばして後で紹介することにする。

k「祭文」(野津原町辻原)
☆国は長州 三田尻のハハンハー(アラヨイショヨイショ)
 一のお寺に伝照寺(ソレーヤ ソレーヤ アトヤンソレサー)

 野津原町ではかつて祭文、竹刀踊り、大正踊り、猿丸太夫等の地踊りが踊られていたようだが音頭取りがいない等の理由で盆踊り自体をやめたり、またはチキリン囃子や炭坑節のテープに合わせて踊るところが増えている由。kは『民謡緊急調査』より引いたものである。字脚や囃子を見る限り、庄内町のものに似た節ではないかと思うが、あいにくどちらも聴いたことがないので何とも言えない。「鶴崎踊りの祭文に似た節だった」と聞いたこともあるが、或いは地域によっては、大分市街地の祭文に近い節のところもあったのかもしれない。

l「ほうちょぬべぬべ」(野津原町)
☆ほうちょぬべぬべ今夜の夜食 チリテンツンシャン(アラヨイショヨイショ)
 早くぬばねば夜が明ける(ソレエンヤ ソレエンヤ ヤットヤンソレサ)

 lも『民謡緊急調査』より引いたもので、「ほうちょぬべぬべ」の呼称が風変わりだが明らかに祭文である。「ほうちょう」とは、ここでは「やせうま」の別称だろう(うどんのような麺を指すこともあるが)。「ぬべぬべ」は「延べ延べ」の意で、「やせうまをどんどん伸ばして夜食にしようよ」といった程度の、作業唄的な文句である。お盆のお供えに「やせうま」はつきものだっただろうから、このような文句も唄われたのだと思う。或いは母親やおばあさんが子供と一緒に「やせうま」を作る際に、祭文の節で「ほうちょぬべぬべ~」と唄ってやったりすることがあったかもしれない。音引き部分の「チリテンツンシャン」の囃子は口三味線を思わせるものだが、人によっては近隣地域と同様に「ハハンハー」「ホホンホー」とか「コラサノサ」と唄うこともあっただろう。

m「祭文」(玖珠町八幡)
☆ここに哀れな 巡礼口説コリャサノサ(ハヨイショヨイショ)
 国はいずこと尋ねてきけば
 (ソレーヤ ソレーヤ ヤットヤンソレサ ヨイサヨイサ)

n「祭文」(玖珠町北山田)
☆国は西国 豊後の国よコラサノサ(ハヨイショヨイショ)
 音に聞こえた三日月の滝
 (アソレガエヤ ソレガエヤ ヤットヤンソレサ ハヨイショヨイショ)

 玖珠町は今も地踊りが盛んで、地域ごとに踊りの内容やその節回しが少しずつ異なっている。今のところ八幡地区の祭文と北山田地区の祭文しか聴いたことがないのだが、玖珠地区や森地区では、また違った節の祭文が唄われているかもしれない。
 八幡地区の祭文(m)は、鶴崎の祭文(a)とそれなりに似通っているも唄い出しの頭3字が1拍つまって3拍子になっている。そこから先はaと大差ないのだが、おもしろいことに「ソレーヤソレーヤ」の囃子では唄い出しとは反対に1拍ずつ余計に伸ばしておいて、3拍子×2になっており、この囃し方は珍しい。踊り方は玖珠町や天瀬町におけるマッカセによく似ていて、右手にうちわを持って両手を同じ高さで内に掬いながら継ぎ足で出て行く所作だったように記憶している。1度しか見ていないのでよく覚えていないのだが、マッカセよりもやや手数が多かったと思う。鶴崎の踊り方とは似ても似つかないものだった。伴奏は太鼓。
 北山田地区の祭文(n)は、扇子踊りと手踊りがある。近隣に扇子踊りが伝承されていないこともあって、昔から玖珠地方では「北山扇子踊り」などと呼ばれてある程度有名だったようだ。ひところは扇子を揃えるのが大変だったりして手踊りで踊る人が増え、扇子踊りの伝承が危ぶまれていたが、保存会等の活動により手踊りも扇子踊りも、どちらも残っている。踊り方は簡単で、鶴崎踊りの祭文(a)とほぼ同じ。扇子踊りの場合、束足で扇子を前に構えておいて、横8の字に素早く回しながら3歩出て胸の前に扇子を止めて束足、右に回して止めて、扇を返して小さく右に流して後ろに1歩さがる。mの踊り方とは全く異なる。節もmよりは鶴崎に近く、唄い出しはmと同様1拍詰まって3拍子になっているも、「ソレガエーヤソレガエーヤ」の囃子は2拍子のままである。伴奏は太鼓。

o「祭文」(九重町)
☆ハ揃うた揃うたよコリャ 踊り子が揃うたコラサノサ
 (ハヨイショヨイショ) 秋の出穂よりしなよく揃うた
 (アソレガエヤ ソレガエヤ ヤットドッコイサノサ)

 九重町の盆踊りも今なおそこそこ盛んで、祭文もよく踊られているようだ。節回しは北山田の祭文(n)と似通っている。 半田康夫・加藤正人『大分県の民謡第一集』には「ソレガエーヤ」の題で紹介されている(囃子言葉からの呼称)。イレコを挿む例も紹介されており、この踊りがかなり流行していたことが伺える。

 

 

レソとその周辺

 今度は、宇佐の祭文「レソ」とそれに類似するものを集める。伝承地域は宇佐郡・西国東郡全域と本耶馬溪町の一部、国見町、山香町、別府市の一部、湯布院町の一部で、下毛郡を除いて県北一帯を占めている。山香町の一部と大田村、湯布院町を除く地域では祭文のことを「レソ」(アクセントは尾高)と呼んでいるが、これは1「其れ」の隠語とも、2囃子言葉からとも言われている。個人的には、2とするのが妥当だと考える。「レソ」を踊る地域においては「マッカセ」とか「セーロ」「エッサッサ」など囃子言葉を曲名とする盆踊り唄が伝承されていることが多いので、それに倣って祭文のことを「レソーヤレソーヤ」等の囃子から「レソ」を呼んだ可能性が高く、「其れ」の隠語というのはややこじつけ感があるような気がする。ともあれ、「レソ」と呼んでいる地域では「祭文(さえもん)」と言っても通じない(祭文の名が通用しない)ことが多く、かなり昔から「レソ」として親しまれているようだ(地域間の伝播において、初めから「レソ」として伝わってきたところでは「祭文」の名が通用しないのは当たり前のことだが)。

 ひとくくりに「レソとその周辺」としてみても、やはり節回しは地域ごとにかなり異なっている。それでも、前項で紹介した鶴崎踊り系の節の祭文とは明らかな違いがあり、明確に線を引くことができる。まず鶴崎踊り系のものよりもテンポが速い。その上、下の句の頭3字の扱いが独特で、この部分の節を捨ててしまったり、または上の句の後ろにくっつけてしまう唄い方が目立つ。また、鶴崎踊り系の祭文の殆どが添え物的な踊りだったのに対して、「レソ」の場合はその地域の主要な踊りとされていることが多いようだ。
 これからいろいろなレソを紹介するが、主に節回しや下の句の頭3字の扱いによって分類してみた。ところが地域を飛び越えてその境界が入り乱れており、どうしてもあっちに飛んだりこっちに飛んだりしてしまう。そこで、なるべくあちこちに飛ばないように考えて、宇佐を振り出しに安心院方面に進み、それから沿岸部に戻って西国東へと回り、最後に国東半島の内陸部へ進むように配列したのだが、ややわかりにくいかもしれない。
※注記なき場合、右手にうちわを持って踊る
※レソについて、人によっては「レソー」と呼ぶこともあるがここでは「レソ」に統一した。また「さえもん」の用字も、前記事と同じく「祭文」に統一している(以下同様)。

p「レソ」(宇佐市法鏡寺)
☆音頭とれとれ声張り上げてコラサノサ 月の(ヨイショヨイショ)
 世界に届くまで(ソレイヤ ソレイヤット ヤンソレサ)
☆宇佐に参るよりゃ御許にゃ参れ 御許 元宮 元社

 宇佐市街地においてはマッカセに次いで親しまれており、子供からお年寄りまでよく踊っている。地域によって節が少しずつ違い、qは、頭3文字をめいっぱい引き伸ばして唄うのが特徴。法鏡寺集落ではその部分の太鼓の叩き方が独特で、ドコドンドコドンドコドンと力強く打っていた。そこから先は近隣地域と同様に、ワクをたくさん打ちながら早間に、軽やかに叩いていたように記憶している。また、「コレサノサ」の後に息を継がずにそのまま下の句の頭3字(月の)まで唄い、そこではじめて一息ついて踊り手や棚の下に控えている音頭さんが「ヨイショヨイショ」と囃していた。これは「レソ」と呼ばれている祭文の特徴で、豊後高田市や山香町の一部地域においても同様の唄い方をしている。
 踊り方は、2歩進んで輪の中を向き、足を浮かせながら高い位置でうちわを2回まわし、左、右と継ぎ足をしながらうちわを2回叩くだけの簡単なもの。基本的に輪の中を向いたまま左にずれていく(=踊りの輪は右回り)ようなイメージで、近隣のレソとは異なる。

q「レソ」(宇佐市横山)
☆レソー踊るなら ドッコイ 品良く踊れ コラサノサ
 品の良いのぬ嫁にとる(レソーヤ レソーヤ ヤットヤンソレサイ)
 良いのぬ ドッコイ 良いのぬ品の コラサノサ
 品の良いのぬ嫁にとる(レソーヤ レソーヤ ヤットヤンソレサイ)

 qは、半田康夫・加藤正人『大分県の民謡第一集』より引いたもの。「レソ」を返し付きで唄うというのはとても珍しく、まだ実際に耳にしたことはない。譜面を見ると、上の句を割って「ドッコイ」を挿入していたり、下の句の頭3字を上の句にくっつけたりせず、「コラサノサ」できれいに分かれている点など、返しがついていることを除いても法鏡寺の節とはずいぶん異なる。
 横山は四日市地区だが、同じ四日市地区でも市街地の方に行けばまた違う節のレソも唄われているだろう。

r「レソ」(本耶馬溪町屋形)
☆レソー踊るなら 品よくしゃんとコリャサノサ レソはヨー
 (アドッコイドッコイ) ア踊りようじゃ品がよい
 (ト レソーヤ レソーヤ アトヤンソレサ)

 rは『民謡緊急調査』より引いたもの。本耶馬溪町の大部分の祭文が「祭文(さえもん)」と呼ばれているのだが、屋形地区では「レソ」と呼んでいるようだ。まだ聴いたことがないので節はわからないが、「ドッコイドッコイ」の位置を見ると、下の句の頭3字を上の句にくっつけているようだ。下毛地方の祭文はそんな唄い方をしないので、やはり宇佐地方の影響が大きいと言えるだろう。屋形地区は桜峠を挟んで宇佐市麻生と隣接しているので納得できる。

s1「レソ」(宇佐市南宇佐)
☆紺の暖簾に桔梗の御紋 コラサットコサ 紺の(アードスコイドスコイ)
 暖簾に桔梗の御紋(ソレーヤ ソレーヤ トヤンソレサ)

s2「レソ」(山香町向野)
☆恋し恋しと鳴く蝉よりもコラサノサ 鳴かぬ(ドシタドシタ)
 蛍が身を焦がす(ソレーヤ レソーヤ トヤンソレサ

 s1とs2はほぼ同じ節なのでまとめて紹介する。宇佐市内のレソはほとんどが七・七・七・五の文句を自由に唄い継ぐ一口口説で、各節の連絡が全くないのだが、s1は段物だった。下の句において上の句の文句をそっくりそのまま繰り返しているが、これは昔ソラで口説いていた時代に、長い文句の途中までしか暗記していなくてもできるだけ長時間もたせるように工夫した名残だと思う。pのように頭3字を引っ張ったりせずにあっさりと唄うほか、「ソレーヤソレーヤ」とか「ソレーヤレソーヤ」の囃子もqやrに比べると平板な節だった。
 近隣のマッカセやレソがどれも似たような踊り方で、少しずつ違っているので記憶が曖昧だが、s1もs2も、法鏡寺のマッカセによく似た踊り方だったと思う。うちわを振り下ろしながら右足を前に滑らすか歩くかして少し進み、うちわを2回くらい返すか回すかして、後ろに戻って1度うちわを叩くような踊り方だったような気がする。うちわを回すときに、少し輪の中を向いたかもしれない。はっきりしないが簡単な踊り方だった。s1は、マッカセほどではないが盛んに踊られている。s2の方は近年、二つ拍子に比べると踊る時間が短くなっているが、輪が小さくなったりはしない。

s3「レソ」(山香町日指)
☆音に聞こえし橋本屋とてコラサノサ 数多ヨ
 女郎のあるその中で(ソレーヤ レソーヤ トヤンソレサ)

 s3も基本的にはs1やs2と同じ節なのだがずっとテンポが速かった。時折、上の句を高く唄い出す節を挿んでいたが、2種類の節を交互に唄うわけではなく音頭取りの思いのままに唄うようで、自由奔放な感じだった。太鼓の叩き方も早間で、多分、難しいと思う。
 踊り方は宇佐方面のものとは全く異なり、継ぎ足など一切なくいつも右足、左足、右足…と交互に踏みながら…つまりずっと早歩きのまま、両手を左に振りながら前に進み、そのまま右にカーブして輪の中を向いて両手を振り上げ、後ろ向きになりつつ両手を右に振り、うちわを伏せて差し伸ばしながら輪の中に右足を踏み出し、後ろに(輪の外に)下がってうちわを叩く。簡単だがとにかく忙しいという印象。動きが忙しいからか輪が崩れ易いので、レソは短時間しか踊らない。

s4a「レソ」(安心院町大仏)

☆レソー踊るなら 三十まで踊れコリャサノサ

 三十ヨー(アヨイヨイ) 過ぐればヨー 子が踊るヨー

 (ハレソーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサ)


s4b「レソ」(安心院町佐田)

☆わしが出しましょ やぶから笹を(コラサノサー)

 つけておくれよ ナント短冊を(アレソーヤ レソーヤ アトヤンソレサー)


s5a「レソ」(安心院町尾立・楢本)

☆哀れなるかや石堂丸は 父をヨ(ヨイヨイ) 訪ねて高野へ上がる

 (ソレーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサ)


 s4、s5は上の句にコリャサノサをつけるかつけないかの違いだけで、あとは同じ。ただしs4bのみ、コラサノサを囃子がとっている関係で、下の句の頭3字を上の句にくっつけて節を分けたりせずに、下の句全体を一息で唄っている。どれもs3のように複数の節を混ぜて唄ったりせず、いつも同じ節で唄う。それなりにテンポが速く、太鼓の叩き方も忙しい。安心院町のレソは一口口説で唄うことが多いが、s5のように段物を口説くところもある。楢本では、一口口説でせいぜい5節程度も唄ったら交代の文句などなしに次から次に音頭取りが交代して唄っていた。

 踊り方は安心院のマッカセに似ていて、誰でも簡単に踊れる。マッカセのように両手を同じ高さに上げてうちわを返したりせずに、右手を右上・左手を左下、左手を左上・右手を右下というふうに交互に振り開くような所作で踊る。左足、右足と前に踏み左足を後ろに添えて手を振り開き、左足を前に踏み右足を後ろに…と交互に継ぎ足で出ながら輪の中を向き、左足を輪の中に蹴り出して後ろに下がりうちわを1度叩く。基本的に継ぎ足なのだがうちわを叩いた後の1歩だけ継ぎ足をしないので半呼間短くなっており、4.5呼間で所作が初めに戻る。そのためうちわを叩くのが表拍・裏拍交互になるが、特に違和感はない。マッカセと同様、運動会などでも盛んに踊られている。


s5b「レソ」(山香町山浦)
☆よんべ山香の 踊りを見たらコラサノサ おうこ
 かたげて鎌腰差して(レソーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサイ)

 山香町内のレソは地域によって節や踊り方が異なるが、山浦地区のものは安心院のものとほぼ同じ。マッカセと同様、盛んに踊られている。

s6「レソ」(別府市天間)
☆レソはよいかよ レソどもやろかコラサノサ レソはナー
 (ヨイショ) 踊りよじゃ品がよい
 (ソレーヤ レソーヤットヤンソレサイ)

 別府市天間地区の盆踊りは安心院町のものに類似しており、庭入を伴う。しかし高齢化や伝承者の減少などの問題から2010年を最後に庭入りや伝承の地踊りによる供養踊りを休止しているため、2013年現在s6のレソも踊られていない。しかし復活の意志はあるそうなので、s6は全く廃絶したというわけでもなく、いつかまた唄い踊られるときが来るだろう。

s7「祭文」(湯布院町塚原)

☆向かいお山で鹿が鳴くトコホーイホイ(アーヨイトコヨーイヨイ)

 アー寒さで鳴くか妻呼ぶか(ソレーヤ レソーヤット ヤンソーレサー)

○書生さん 好きで虚無僧はするのじゃないが(トサーイサイ)

 親にゃ勘当され 試験にゃ落第し(ヨイショ) 仕方がないのでネ

 尺八を くわえて吹き吹き門に立つ(サーノサー)

☆舞います舞います 舞いまする お空をひばりが舞い上がる


 湯布院町塚原地区の盆踊りも安心院町のものに類似しており、踊り方は異なるも一連の地踊りの内容(曲目)は概ね共通している。s7は「祭文」と呼ばれておりレンポはゆっくりめだが、s1~s6と同種であり「レソ」の系統なのでこの項に加えた。途中に「書生さん節」(さのさ節のくずし)を入れ節にして唄うこともあるが、そのときも何事もなかったかのように全く同じリズムの中で唄っていくのがおもしろい。踊り方は「マッカセ」とほぼ同じで、途中の所作が1呼間分脱落しているだけである。継ぎ足で出ていくところの足運びが忙しいが、それ以外はごく簡単な踊りで親しみやすい。

 ここまで、宇佐市から安心院を通って塚原まで、順番に内陸部のレソを紹介してきた。院内町のレソはどんな節か知らないが、おそらくsのシリーズのものだろうと思う。それではここで一旦沿岸部に引き返して、今度は国東半島のレソを紹介していく。


t1「レソ」(豊後高田市草地) <77段物>

○じわりじわりと 文句と行こかコラサノサ(アーヨイショヨイショ)

 ヨイカナ 文句と行こか(ソラエヤ ソラエヤットヤーソレサ)

☆国は豊後の 高田の御城下コラサノサ(アーヨイショヨイショ)

 御城下本町 繁盛なところ(ソラエヤ ソラエヤットヤーソレサ)

★角の伊勢屋と いう商人はコラサノサ(アーヨイショヨイショ)

 肝は太うて 大事を好む(ソラエヤ ソラエヤットヤーソレサ)


 t1は草地踊りのレソで、県内の祭文の中では鶴崎踊りの「祭文」と並んでよく知られている。テンポはsのシリーズのものに比べるとゆったりしている。節はs1やs2と似ているが、上の句の後ろに下の句の頭3字をくっつけずに、すぐに「ヨイショヨイショ」の掛け声が入るという点が異なる。草地のレソは、枕音頭では○のように上の句を返して下の句の頭3字の節を詰めて唄うが、文句に入ると下の句の頭3字を詰めずに唄う。そのときは、普通の節の中にところどころ高く唄い出す節(★)を挿んで、変化を持たせている。

 踊り方は簡単で、うちわを叩いて両手を右に振り、左に振り、輪の中を向きながら右に振り(ここまで継ぎ足)、左を踏んで右を蹴り出し、うちわを叩いて右、左と踏むだけ。宇佐方面とはまた違った踊り方だが、輪の中に片足を蹴り出した後にうちわを叩く点など、それなりに似通った面もある。宇佐のように上の方でうちわを回したり返したりせずに、穏やかにゆったりと踊っている。

 t1は草地地区に限らず豊後高田市内において広く唄い踊られているレソだが、小田原、田染などt1とは違うレソが伝わっている地域もある。説明の都合で、その紹介は後回しにする。


t2a「レソ」(真玉町黒土)

☆花のお江戸の そのかたわらにコラサノサ(アヨイサヨイサ)

 アソウカナ そのかたわらに(ソレガエヤ ソレガエヤットヤンソレサ)


t2b「レソ」(真玉町黒土)

☆花のお江戸の そのかたわらにコラサノサ(アヨイサヨイサ)

 聞くも珍し 心中話(ソレガエヤ ソレガエヤットヤンソレサ)


 t2aはt1と全く同じ節回し。t2bは下の句の頭3字分の節を省かずに唄った場合のもの。頭3字を省かないといっても上の句の後ろにくっつけるのではなくて、下の句の頭にくっつけている点がa~sのレソとは決定的に異なる。黒土では普通t2aの節で唄っているのだが、何回かt2bの節を耳にしたこともある。ずっとt2a或いはt2bで通すのでなく、基本的にt2aの節なのだが時折t2bになることもあるような感じだったと記憶している。どちらで唄おうが大した問題ではないのだろう。テンポは、やはりゆったりしている。

 踊り方もt1と同じだが、t1よりも両手の振りが低い(個人差がある)。黒土に伝わる4種類の地踊りのうち、最も盛んに踊られている。


t3「レソ」(香々地町小池)

☆やれさ音頭さんぬ 褒めたちゅなればコラサノサ(アドスコイドスコイ)

 ヨイカナ 褒めたちゅなれば(ソレーヤ ソレーヤットヤンソレサ)


 t3はt2aとほぼ同じ節で、踊り方も同じ。


t4「レソ」(国見町)

☆やれさ音頭さんぬ 褒めたちゅなればコラサノサ(アドスコイドスコイ)

 ヨイカナ 褒めたちゅなれば(ソレーヤ ソレーヤットヤンソレサ)


 t4もt2aと全く同じ節で、国見町全域に伝承されている。

 踊り方もt2とほとんど同じなのだが、t2は表拍でうちわを叩くところをこちらは裏拍で叩いている。その部分の足運びも少し違うのだが、そう大した違いではない。しかし、どちらの足運びで踊っても問題なさそうなのに、人によって違うというようなことはなく、皆、裏拍でうちわを叩く踊り方に対応した足運びで踊っており、小さな違いだが地域差が歴然としている。踊り方が簡単で輪が立ち易いので、どの地区でも盛んに踊られている。


t5「レソ」(豊後高田市小田原)

☆一つ手を振りゃ千部の供養 コラサノサ(アーヤンシキドッコイ)

 二つ手を振りゃ万部の供養(ソラエヤ ソラエヤットヤー ソレサイ)


 豊後高田市内でも小田原地区のレソは草地踊りのもの(t1)とは違い、いつも一定の節で唄っている。t2bとほぼ同じ節なのだが、コラサノサの後の「アーヤンシキドッコイ」の掛け声が珍しい。

 踊り方はt1と同じ。踊り方が簡単なので盛んに踊られている。


u「レソ」(豊後高田市田染)

☆それじゃ皆さん レソやんでやろな レソはナー

 (ヨイショヨイショ) 踊りようてまた品がよい

 (ソレソレソレー ヤットヤンソレサイ)


 uは豊後高田市田染地区のうち、山香町に隣接する一部集落以外の地域で一般に唄われているもの。草地や小田原のものとは違い、下の句の頭3字を上の句にくっつけて唄っている。この唄い方は宇佐地方のレソの特徴だが、豊後高田市市内の大部分におけるレソは、t1やt5を見るとわかるようにこのような唄い方をしていない。多分、宇佐市西屋敷や山香町向野のレソの影響を受けているのではないかと思う。

 踊り方は草地(t1)や小田原(t5)とほぼ同じなのだが、輪の中に右足を蹴り出してうちわを叩いた後の足運びが僅かに異なる。田染ではうちわを叩いて右足を踏んだら左足を右足に寄せて(体重は乗せずに)、うちわを叩きながら左足、右足と進んで、あとは草地・小田原と同様に継ぎ足をしながら両手を左右に振って進む。踊り方が簡単なので盛んに踊られている。


v「レソ」(豊後高田市田染 今下駄)

☆それじゃ皆さん レソやんでやろかコラサノサ(ヨイショヨイショ) 

 ソレソレ レソやんでやろか(ソレソレソレー ヤットヤンソレサイ)


 田染地区のうち山香町立石に隣接する地域ではuとは違う節で唄っている。vは、下の句の頭3字を欠いた唄い方で草地などtのシリーズに近いのだが、「ソレソレソレーヤットヤンソレサイ」の囃子の節がtとは決定的に異なっている。この囃子は隣接する山香町立石のレソ(x1)の囃子に類似しており、vは田染の節と立石の節を混ぜたような唄い方になっている。
 踊り方はuと同じ。

w「祭文」(大田村)
☆ここに哀れな巡礼口説(ドシタドシタ) ドッコイサンデ
 巡礼口説(ソレソレソレー ヤットヤンソレサイ)

 大田村では「祭文」と呼んでいるのだが隣接する杵築市や安岐町の祭文とは節が全く違い、明らかに「レソ」の系統であるため、この項で紹介する。vとそれなりに似ているのだが、wでは上の句にコラサノサとかホホンホーなどの囃子がついておらず、ぷつっと途切れてすぐに「ドシタドシタ」と囃している。
 踊り方はuと同じだが、うちわを持っても、手踊りでもよい。現在、三つ拍子や二つ拍子に比べて踊る時間が短くなっているが、それなりによく踊られている。

x1「レソ」(山香町立石 ※向野を除く)
☆おうこかたげて 鎌腰さしてコラサノサ(ヨイサヨイサ)
 ヨイカナ 鎌腰さして(ソラエヤ ソラエヤット ヤンソレサイ)

 x1は立石地区のうち大字立石と大字下に伝承されているもので、同じ立石地区でも大字向野のもの(s2)とは節回しがずいぶん異なる。上の句の唄い出しの字脚を三・四とすると、四字の部分…上の例では「かたげて」の部分が3拍子になっているほか、「ソラエヤ」の前のところも3拍子になっている。3拍子は都合2回なので全部2拍子と見ても帳尻は合うが、それだと強弱が不自然になってしまう。しかも「ソラエヤット」も3拍子のため後ろの「ヤンソレサイ」が押されて、「サイ」が上の句の唄い出しのところにはみ出している。テンポは田染や大田村と同じくらい。
 踊り方もこれまで紹介してきたレソとは全く違い、輪の中に片足を蹴り出す所作がない。右足を踏んで両手をすくい上げながら左足を後ろに引いて、輪の中向きに左足を踏んで両手の高さを保って右に流しながら右足を後ろに引き、反対動作で前向きになり、左から早間に3歩出てうちわを叩きながら右足を左足の後ろに引き寄せる。継ぎ足を後ろに引いて踊るのが独特で、これは山香の盆踊りの特徴。うちわを持っても、手踊りでもよい。足運びがやや忙しく踊りにくいため輪が崩れやすく、三つ拍子や二つ拍子などに比べると短時間しか踊っていない。

x2「祭文」(山香町中山香・東山香)
☆伊予の松山 百万長者コラサノサ(ハドシタドシタ)
 ドッコイサデ 百万長者(ソレソレーソレヤ ヤットヤンソレサイ)

 x2は「祭文」と呼んでいるが、立石のレソ(x1)とほぼ同じ節であり隣接する杵築や日出の「祭文」とは全く違う。やはりレソの系統なので、この項で紹介する。x1と違い後囃子の途中が3拍子にならないため、「ヤンソレサイ」が後ろにはみ出さない。しかし全体の長さは変わらないので、そう大した違いではない。テンポはx1よりもずっと速くて、山香町上地区のレソ(s3)と同じく、県内の祭文(レソ)の中でもおそらく最も早いと思う。
 踊り方はx1と全く同じだが、継ぎ足をただ後ろに引くだけではなくて、いったん重心の足に引き寄せておいて小さく後ろに滑らすような踊り方で踊る人も見られる。その踊り方だと足さばきがかなり難しい上に動きが速くて疲れるためか、継ぎ足を後ろに引くだけの踊り方の方が優勢になってきているようだ。うちわを持っても、手踊りでもよい。x1よりは盛んに踊られており、輪が崩れることもない。

 

 

耶馬渓・日田の祭文

 耶馬渓地方に伝わる祭文は、これまで紹介してきた鶴崎踊り系のものとも「レソ」系のものともまた違っていて、一般にはずんだリズム(いわゆるピョンコ節に近い)で唄っている。どれも上の句の頭3字を引っ張り気味にする以外はあっさりとした節で軽く唄っていて、明るい雰囲気。日田の節も耶馬渓地方のものに似通っているようなので、ここでまとめて紹介する。

y1「祭文」(本耶馬町溪西谷) <77・75切口説>

☆やろなやりましょな さえもんやろなコラサノサ

 (ヨイショヨイショー) さえもん踊りは ナント品がよい

 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレー)

 

 y1の祭文は、無伴奏・はずんだリズムで唄われているが、yシリーズの中では最も鶴崎踊りの節の面影が残っている節回しである。各節末尾の「ヤートヤンソレー」が特徴で、yシリーズの他の祭文では「ヤンソレサー」と終わっているのに、y1は「ヤンソレー」と1拍前倒しで終えるので次の文句の頭によりなめらかにつながっている。無伴奏で唄っているので、「ヤンソレサー」と2拍×2小節で唄うよりも、「ヤンソレー」と2拍×1小節で唄った方が、拍子がずれにくく、踊りが揃いやすい。それでこのような唄い方になったのだろう。。

 踊り方は、y2以降のyシリ-ズとは違っている。右足を前に出して両手を交差するようにうちわを振り下ろし、左足を輪の中向きに出しながら両手を振り上げてうちわを回す。輪の中を向いた状態で右足を左足の後ろに引きながら左手を振り上げ、右手を後ろに振り下ろし、右足を束に戻す。反対に、左足を右足の後ろに引きながら右手を振り上げてうちわを回し、左手は振り下ろして後ろへ流し、左足を輪の進む向きに踏みかえる。右足を左足に寄せて束になり、「気をつけ」の姿勢になりうちわを足に当てて音を鳴らす。

 とても簡単な踊りだが右手のうちわを左手のハンカチをひらひらとさせながら踊ると、なかなか優雅である。また、普通だったらうちわをポンと叩きそうなところを、うちわで脚の外側を打って音を出すのもおもしろい。この踊り方はこの地域独特のもののようだが、両手を振り上げ振り下ろしで左右交互に前後ろに振り分けるところなど、宇佐地方の「レソ」の踊り方の影響が色濃いようだ

 

y2「祭文」(耶馬溪町深耶馬)

☆やろなやりましょな 祭文ぬやろなコラサノサ
 (アヨイトヨイト) どうせヨー 祭文な気の浮く踊り
 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆わしが若い時ゃ吉野にゃ通うた 吉野小草を踏みなびかせた

y3「祭文」(耶馬溪町城井)
☆待つがよいかよ 別れがよいかホホンホー (ヨイショヨイショ)
 嫌なヨーサ別れを チョイト待つがよい
 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆色で売り出す西瓜でさえも 中にゃ苦労の種がある

y4「祭文」(耶馬溪町下郷)
☆やろなナッサー やりましょな 祭文で舞おなホホンホー
 (ハヨイショヨイショ) どうでナッサー
 踊りは祭文でなけりゃ (ソラヤレソラヤレ ヤットヤンソラエ)

y5「祭文」(山国町守実)
☆やろなヨーやりましょな 祭文んやろなホホンホー
 (ハヨイショヨイショ) 今日び流行の祭文やろな
 (ソラエヤ ソラエヤ ヤットヤンソレサイ)
☆中津十万石 おどいもんなないが おどや垂水のエビが淵

y6「祭文」(山国町草本)
☆お菊口説を あらましやろかホホイホイ
 (アヨイショヨイショ) さあさこれから口説にかかる
 (ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレサ)

 y2~y6は、個人差はあるが基本的に同じ節なのでまとめて紹介する。基本的に無伴奏で、音頭取りと踊り手の掛け合いになっている。素朴だが、軽いリズムと浮き立つような節回しが相俟って、とても明るい感じがする。y2をはじめとしてごく一部の地域では太鼓伴奏を加える例もあるが、その太鼓の叩き方は単調なリズムの繰り返しで、前項「レソとその周辺」で紹介した唄の太鼓伴奏のように技巧的な叩き方ではない。おそらく後付けのものだろう。また半田康夫・加藤正人『大分県の民謡第一集』によれば山国町では祭文を唄うときに四つ竹を囃子に使うとあるが、守実や奥谷では現在、無伴奏で唄っている。同著は昭和36年発行のものなので、当時は四つ竹を使う集落もあったのだろう。確かに、『民謡大観』のCDに収録されている山国町の祭文を聴いてみると、後ろでそれらしい音が鳴っている。もしかしたら、一部集落では今でも四つ竹を使っているのかもしれない。
 この項の冒頭で簡単に説明したが、yのシリーズの祭文は「やろなヨ~」とか「待つーが~」というふうに頭3字を強く引っ張るほかは、あまり節を引かずにあっさりと唄う。それは上の句末尾の音引き部分の囃子にも影響していて、大部分で「コラサノサ」でなく「ホホンホー」とか「ホホイホイ」と唄っているのも、いかにもあっさりと軽い雰囲気がする。節の上がり下がりがなめらかだし、それなりに賑やかな感じで聞かせどころのある節なので、音頭取りにも好まれる唄なのではないかと思う。文句にも「どうせ祭文な気の浮く踊り」「どうで踊りは祭文でなけりゃ」「今日び流行の祭文やろな」など、この地域に伝わる一連の地踊りの中でも特に人気の高い踊りだったことがよく現れている。耶馬渓地方においては現在、段物口説がごく下火になっていることもあってか、y6を除いてほぼ全てが一口口説で唄われている。「中津十万石…」とか「秋の耶馬渓は…」など地域性のある文句も唄われているが、どこの地方でも聞かれるような、普遍的な文句を自由に唄い継ぐことが多い。
 踊り方はy2~y6すべて同じで、右手にうちわを持って踊る(右回り)。進行方向から少し輪の中を向いた状態で、うちわを左に振り下ろしながら右足を左足の前に踏んで左足に重心を戻し、うちわを右後ろに振りながら右足を後ろに踏んでまた左足に重心を戻し、両手を左上、右上と流しながら裏拍で右足、左足を進んで輪の中を向き、左手を上・右手を右下にさっと払って両手の上下を入れ替えながら裏拍で右足を踏み、うちわを叩きながら左足を右足に寄せて、裏拍でやや進行方向向きに踏む。文字で説明するとややこしいのだが実際に踊るとたった6呼間で一巡するので覚え易く、ごく易しい。両手を左上、右上に流しながら進むところでは、ただうちわを振るだけで踊る人と、うちわの軸を指でつまんでひねるようにして、うちわの面をクルクルと回しながら踊る人が見られる(地域性もあると思う)。宇佐方面のうちわの回し方は手首の返しを伴って全体を回すようにする(縦回し)に対して、耶馬渓地方では手首は返さずに、握った手のひらの中で柄を回転させて、柄を軸にうちわの面が回るようにしている。この回し方は慣れないとなかなか難しいのだが、特に両面の色が違ううちわの場合は、うまく高速に回せるとなかなか美しい。
 yのシリーズの祭文は耶馬溪町・山国町の全域に伝承されており、数多い地踊りの中でも「千本搗き」と並んで特に盛んに踊られている。「博多踊り」とか「さっさ」「三勝」など唄或いは踊りが難しい・ややこしいものは下火になっている地域が多いのに対して、祭文は子供からお年寄りまで、誰でも楽しく踊れる踊りとして特に親しまれているようだ。

z1「祭文」(日田市有田)
☆皆ナーサー コリャどなたも 踊りをやろかホホンホー
 (ヨイトサッサト) 今のナーサー コリャはやりの目連尊者
 (サノエー サノエー ヤトヤンソレサー ヨイショヨイショ)

z2「祭文」(大山町東大山)
☆国は日向の 佐田原町にホホンホー(アヨイショヨイショ)
 喜兵衛殿とて ご上人ござる
 (ソレナヤ ソレナヤ アットヤンソレサ アヨイショヨイショ)

z3「祭文」(大山町西大山)
☆ここに哀れな 巡礼口説コラサノサ(アヨイショヨイショ)
 国はどこよと 尋ねたならば
 (ソリャネー ソリャネー ヤットヤンソレサ ヨイショヨイショ)

z4「祭文」(天瀬町女子畑)
☆扇めでたや 末広がりよコラサノサ(ヨイショヨイショ)
 ここに語るは 公卿大納言
 (ソレナヤ ソレナヤ ヤットヤンソレサ ヨイショヨイショ)

z5「祭文」(天瀬町馬原)
☆国は日向の 佐田原町よコラサノサ (ハヨイショヨイショ)
 喜平さんとて 慈悲人ござる
 (ソロエー ソロエー アトヤンソレサ ヨイショヨイショ)

 zのシリーズは日田地方に伝わる祭文。z1~z5は実際に聴いたことはなく、『民謡緊急調査』から引いたものであり節回しや現在の伝承状況が不明だが、各節末尾の「ソレナヤソレナヤ」とか「ソロエーソロエー」等の囃子を見て、とりあえず耶馬渓地方のもの(yのシリーズ)と同種と判断した。また、zのシリーズ全てが段物になっているのだが、別に一口口説で唄っても差し支えない。多分、人によっては、或いは集落によっては一口口説で唄うこともあるだろう。

z6「祭文」(天瀬町高塚)
☆今度踊りましょ祭文踊りコラサノサ (ハヨイショヨイショ)
 しばし間は祭文やろな
 (ソーレガドシタ ソーレガドシタ ヤットヤンーソレサ ヨイショヨイショ)

 z6は、実際に高塚の供養踊りで聴いたことがある。節回しや囃子は玖珠町北山田の祭文(n)に似ており鶴崎踊り系のような気もするが、はずんだリズムで唄っていたしテンポもやや速く、耶馬渓地方の特徴も見られる。高塚は玖珠町に近いので、玖珠の祭文と日田の祭文の両者が混じり合っているのだろう。伴奏は太鼓だが耶馬溪町の一部地域における太鼓伴奏(例えばy2)のように単調ではない。高塚においては他の地踊り(六調子、マッカセ等)も全て太鼓伴奏なので、祭文の太鼓も後付けではなく元からあったものと見てよいだろう。この点が耶馬渓地方とは決定的に異なる。以上のことから、z6は「鶴崎踊りとその周辺」のグループに入れるか「耶馬渓・日田の祭文」のグループに入れるか迷うところだ。考えて見ると海で隔たれているわけでも高い山で隔たれているわけではなく、昔から道はつながっているのだからすっぱりと線を引くこと自体が困難なのであり、どうしてもグループ周縁部の唄をどちらに分類するかという問題が出てきてしまう。天瀬町の「マッカセ」は玖珠から伝わったと言われているが、この地域においては多分、「マッカセ」は「祭文」よりも新しい踊りなので「マッカセ」の伝播経路をそのまま「祭文」にも当て嵌めるわけにもいかず、z6を玖珠のグループすなわち「鶴崎踊りとその周辺」に加える根拠たり得ない。そこで、いささか不十分ではあるが「はずんだリズム」ということに注目して、ひとまず「耶馬渓・日田」のグループに入れることにした。
 節回しを見ると、yのシリーズの祭文よりは全体的にやや平板な感じだが、やはり弾んだリズムとそれなりに速いテンポの影響でわりと明るい印象を受ける。yは「ソラエヤソラエヤ」の部分の「ソラエヤ」が高音から下がってくるような節なのに対して、z6は「ソーレガドシタ」をわりと平板に唄っている。しかし「ソーレガドシタ」の語感からもわかるようにそれなりに力強く、しかもリズムにも弾みがかかるために、ここがアクセントになって全体を引き締めているように感じられる。
 踊り方はウロ覚えだが、高塚に伝わる一連の地踊り(団七踊りを除く)と同様、右手にうちわを持って踊っていた。ずっと輪の中を向いたまま少しずつ左にずれていくが(=踊りの輪は右回り)、これは高塚の地踊りの中でもちょっと変わっているように感じた。確か、左右に素早くうちわを回しながら輪の中に3歩くらい進んでいって、うちわを叩いて後ろに流しながら輪の外に数歩さがるのを繰り返して、この前後移動の中で僅かに左にずれていくような踊り方だったと思う。1度しか踊ったことがないのではっきりしないのだが、踊り方を全く知らない状態で輪の中に入ってもすぐについていけるような、とても簡単な踊りだった。ずっと輪の中を向いて出たり戻ったりすることもあってか、祭文が続くと皆が少しずつ中に中に寄ってしまい、踊りの輪が崩れ易かった。でも、多少輪が崩れても基本的に前後移動をしながら左にずれるだけなので特に問題はなかったと思う。
 高塚には地踊りがたくさん残っており、特に「ヨイトナ」を長く踊っていた気がするが、祭文もそれなりに盛んに踊られているようだった。

 

 

臼杵の祭文とその周辺

 臼杵の祭文は歴史が長く、「どうで祭文な臼杵が元よ」等の文句もあるように、大分県内では鶴崎と並んで特に古くから踊られているといわれている。鶴崎踊りの祭文ほどでははいが、やはり近隣地域にそれなりの影響を残しているようだ。ここでは、臼杵の祭文及び臼杵のものに節が似通っている近隣の祭文を集めてそれぞれの特徴を紹介する。

A「祭文」(臼杵市西海添)
☆臼杵名物さえもん踊り(ヨイトサッサー)
 見せてあげたや聞かせたや(ハーヤートセー ヤートセ)
☆広い日本のどこより先に 南蛮船の来たところ

B1「祭文」(臼杵市深田)
☆今度踊りましょ祭文踊り(ヨイトサッサー)
 どうで踊りは祭文でなけりゃ(ソリャー ヤートセー ヤートセ)

 臼杵市内には複数の地踊りが残っているが、最も盛んに踊られているのは祭文と見てまず間違いないだろう。節回しは地域によって違うが、陰旋法のものと陽旋法のものに大きく分かれる。Aは市街地で唄われるもので、陰旋法。全体的に静かな感じの節回しで、細かい節をあまり挿まずにあっさりしている。伴奏は太鼓のほか、三味線や笛も入れることがある。これは後付けではなくて、昔から三味線などを使っていたようだ。それに対してB1は陽旋法で、節回しもAと比べるとずっと田舎風で、やや賑やかな感じがする。伴奏は太鼓のみ。文句は、市街地では一口口説だが大部分で段物を口説いている。
 これまで紹介してきた祭文(レソ)は、大抵上の句の末尾に「コラサノサ」等の囃子がついていて、ここまでを音頭取りが唄い、その後で踊り手が「ヨイショヨイショ」などと囃すものが多かった。それに対して、臼杵では「コラサノサ」とか「ホホンホー」に当たる「ヨイトサッサー」の囃子を、音頭取りが唄わずに踊り手或いは棚の下に控えている音頭取りが唄っている。上の句の音頭の節がぷつっと途切れているという点は大田村の祭文(w)などと同じようにも感じられるのだが、実際は全く違う。wの場合は上の句末尾の音引きの囃子(コラサノサとかホホンホー)が全くないのに対して、AやBは「ヨイトサッサー」という音引きの囃子は一応あり、それを音頭取りが唄わないために、結果的に上の句の節がぷつっと途切れるだけである。下の句の後の囃子を見ると、これまでに紹介した祭文はどれも「ヤンソレサイ」などと結んでいたが、臼杵のものは「ヤートセーヤートセー」なのでやはり一味違っている。
 踊り方は何種類かあるのだが、最もよく踊られていると思われる踊り方は以下の通り。(時計回りの場合)両手を胸の高さで左に流しながら左足を左前に踏んで、小さく手拍子1回で右足を寄せる。同様に右前に行って手拍子、左前に行って手拍子。両手を下ろしながら右足を後ろで踏んで、両手を振り上げて手首を向こうに返しながら左足を前に踏む。両手を左に巻きながら右足をやや輪の外向きに踏んで、左手を左下に伸ばし気味に、右手は肘をやや立てて左足を外向きにトンとついてきまる。両手を左側で左巻き2回で左足、右足と出て、左肘をやや立てて右手は右下に伸ばし気味にして左足をトンとついてきまる。手拍子2回で左足、右足と出て、両手振り上げて手首を向こうに返しながら左足を右前に踏んですぐに右足に体重を戻す。これで初めに戻る。両手を左巻きに回す所作が独特だし手数がやや多く、これまでに紹介してきた祭文に比べるとやや難しく感じる。この踊り方は一般に「三つ拍子」と呼ばれているもので、あまり大きな所作で踊らずに、静かに、優雅に踊っている。以上が、現在一般に踊られている踊り方だが、ほかに、左に行って手拍子、右に行って手拍子、左に行って手拍子の後、左巻きの所作のところでその場で左回りに一回りする踊り方もある。どちらも16足で一巡する。

B2「三勝」(津久見市堅浦)
☆国は豊州 海部の郡(アヨイトサッサー)
 佐伯ご領は堅田の宇山(ソレーヤートセー ヤートセ)

 B2は津久見のうち日見・四浦・八戸・保戸島・無垢島を除く地域に伝承されている「三勝」で、所謂「津久見扇子踊り」とセットでよく知られている。なぜ祭文の記事なのに「三勝」…?と思われるかもしれないが、その節回しは臼杵の祭文(B1)と全くといっていいほど同じ。現在、津久見市内においては日見・四浦にのみ祭文が残っているが(Eのグループ、後述)、かつては堅浦など「三勝」が伝わる地域においても祭文が踊られていた由。しかし現在唄われている「三勝」は、やはりどう考えても祭文の節である。その理由を3通り考えてみた。
①この地域では、本来「三勝」とは祭文の「踊り方」の名称だった。つまり元からあった祭文の節回しはそのままに、新しい踊り方(三勝踊り)が流行した。そのうちに古い踊り方はすっかり忘れられ、唄の名前までいつしか「三勝」と呼ぶようになった。
②祭文も「三勝」も、それぞれに固有の唄と踊り方があったのだが、祭文の方は踊りが、三勝の方は唄が難しかったのでそれぞれを廃し、両者を合わせて祭文の唄に合わせて三勝の踊り方で踊るようになり、その名前は「三勝」とした。
③この地域で古くから踊られていた祭文は、日見のものと同じくEグループのものだった。ところが臼杵方面の祭文(Bグループ)が流行してきて、一連の盆踊りの中に同じ名前のものが2つあると不便なので新しい方を便宜的に「三勝」と呼んだ。
※三勝は日露戦争だったか何かのときに、三連勝したことに因む呼称であると何かで読んだことがある(何の資料だったか失念)
 ①~③いずれもただの想像に過ぎないが、①が最も確からしいような気がする。新しい方を「三勝」と呼んだ理由は多分、米印にあるように「三連勝」云々なのだろう。ともあれ、今では祭文の呼称は全く通用しないほどに、「三勝」が定着している。扇子踊りとは対照的に楽しい雰囲気の手踊りで、盛んに踊られている。
 踊り方の方は、臼杵(AやB1)とはまた違った雰囲気。臼杵よりもずっと所作が大きい。(時計回りの場合)両手を輪を描くように振り上げ振り下ろしで左足を裏拍で左前に踏み、チョンチョンと2回手拍子で表拍で右足を左足の少し前に踏み、裏拍で左足に体重戻す。同様に振り上げ振り下ろしチョンチョンで、右前、左前と進んで、振り上げ振り下ろしで右足を裏拍で前に踏み、同様に振り上げ振り下ろしで左足前、右足前、両手振り上げながら表拍で左足トンで両手振ろす、振り上げ振り下ろしの裏拍で左足、右足とその場で左カーブして輪の外を向き、両手振り上げながら表拍の左足トンで両手下ろし、チョンチョン、チョンチョンと2拍で手拍子4回しながら表拍で左足、右足とその場で左回りに進行方向に戻り、両手振り上げながら表拍の左足トンで両手下ろして初めに戻る。文字にすると長ったらしい説明になってしまうが、実際に踊ってみると簡単で覚え易い。
 ところでただ踊っているだけでは臼杵のものとはずいぶん違うように感じるのだが、実際は臼杵と同じ16足だし、左前に行って手拍子、右前に行って手拍子、左前に行って手拍子、3歩出て左無駄足、2歩で左無駄足、2歩で左無駄足というふうに大雑把に見ると、その骨格は臼杵の祭文のうち「その場で一回りする踊り方」と同じである。また驚くことに、堅田踊り(佐伯市)の「長音頭」(大文字踊り)や、長音頭と同種の「佐伯踊り」(大野町ほか)や「八百屋踊り」(緒方町ほか)の踊り方も16足で、その骨格が全く同じなのである(もちろん実際の雰囲気は全然違い、普通に踊っているだけではその類似点に気付き難い)。「長音頭」(佐伯踊り・八百屋踊り)は「祭文」「三勝」とは全く別種の唄なのに、このような共通点が見出せるのは大変面白い。「長音頭」も臼杵の祭文も江戸時代には既に行われていたとされており、どちらが古いかはよくわからないし、たまたま足運び等が似ているだけで両者には何の関係もないのかもしれない。それでも、例えば大昔に「長音頭」があまり流行したために臼杵の祭文まで踊り方の影響を受けたのかも…など、いろいろと想像することができると思う。最早、この謎を解明することは困難だろうが、文句や節回しだけでなく踊り方にも注目するといろいろな気付きがある。
 閑話休題。津久見市街地でかつて踊られていた「祭文」について、録音資料とまではいかなくても、その文句を囃子つきで記した資料さえあれば「三勝」と「祭文」の関係についてかなり解明できそうなのに、今のところは見つかっていない。なお、文句は段物で「旧お為半蔵」が盛んに口説かれている。

C1「祭文」(大分市坂ノ市屋山)
☆盆の十六日おばんかて行たら ヤトセッセセ
 たたきごぼうに ふろうの煮しめ(ヤートセー ヤートセー)

C2「祭文」(大分市戸次)
☆盆の十六日おばんかて行たら サノエーサー
 なすび切りかけ ふろうの煮しめ(ソラヤートセー ソラヤートセー)

 Cの2曲は、『大分市伝統文化調査報告書13』より引いたもので、実際に聴いたことはないので節がわからない。それでも囃子などからおそらく、A・Bに類似した節であろうと考えられるので、このグループに加えることにした。戸次地区は吉野地区を挟んで臼杵に近いのでC2はよいとして、C1が同じ坂ノ市地区のうち細辺りで唄われた祭文(b1)とまるで違っているのがおもしろい。

D1「祭文」(野津町野津市)
☆踊るサー 皆様ハンカチ踊りょマー どなたサ(ハーイヤコラサイサイ)
 はやりのハンカチ踊り(アライヤートセイセイ ドンドンヤットセー)

D2「祭文」(野津町八合里)
☆どなたマー 様方 節ゅ変えましたヨ 踊るサ(アーエンヤコラサイサイ)
 お方よお手振りなされ(アラエヤートセー エヤートセー)

 野津町で唄われているDの祭文は、臼杵で唄われているAやBとはまた雰囲気が異なっている。特に目立つ違いとして、Dでは上の句の末尾をこね回すように伸ばして、ヨイトサッサーを挿まずにそのまま下の句の頭3字まで一気に唄っており、その後に踊り手などが「ハーイヤコラサイサイ」などと掛け声を入れているという点が挙げられる。また、臼杵市街地に比べるとずっと節回しが細かい。上の句を陽旋で唄い出しておいて、末尾の囃子(エヤートセーエヤートセー等)のところになると陰旋になっているのもおもしろく、臼杵のAはずっと陰旋、Bはずっと陽旋で通しているので、この点もまた違っている。それでも唄い出しの節回しとか囃子の節が臼杵のものとそれなりに類似しているので、同系統のものと判断してこのグループに加えた。文句は段物なら何でもよいが、やはり地元の「二孝女」が盛んに口説かれている。
 踊り方は、臼杵の「三つ拍子」の踊り方とはまるで異なり、ハンカチ踊りといって右手にハンカチをつまんでヒラヒラと振り回しながら踊っている。ハンカチがなければ、別にタオルや手拭いなど何でもよい。(右回りの場合)輪の中を向いて踊り始める。両手を輪を描くように振り上げながら右足を蹴り出して手首を返して両手下ろしながら右足を裏拍で踏み、同様に左足を蹴り出して左足を裏拍で踏む。ハンカチを後ろに振り下ろしながら右足を後ろで踏んで左足に体重を戻し、ハンカチを前で細かく揺すりながら右足を前に踏んで左足に体重に戻す。ハンカチの後ろに振り下ろし前で揺するのをもう1度繰り返す。☆両手振り上げながら右足を寄せて束になり、手首を返して両手下ろしながら右足を裏拍で右に踏み、両手振り上げながら左足を前に踏み出して、手首を返して両手下ろしながら右足を輪の中向きに踏み変える☆。☆~☆で右に移動する。反対動作で左に移動、右に移動、左に移動で輪の中を向き初めに戻る。両手を振り挙げて手首を返しながら下ろして再度振り上げて…と、切れ目なくなめらかに両手を上げ下げする所作は大野地方の盆踊りでよく見られる。しかしよその人にとっては慣れないとちょっとわかりにくい。この所作に慣れてしまえば、野津の祭文は同じことの繰り返しばかりなので簡単に踊れる。
 野津の盆踊りは全体的に所作が大きめで、躍動感があり臼杵市街地とは対照的。一般にお夏・祭文・三重節・由来(三勝)・佐伯踊り等が踊られているが、祭文はこの中では簡単な方なので、踊り方の難しい三重節などと比べると子供もよく踊っているようだ。

D3a「祭文」(三重町)

☆天に打ちむき地に打ちふして 娘マタ(イヤコラサイサイ)

 きょうだい ただ泣くばかり(ソレエンヤトセー ヤットマカセー)

 

 D3aは三重町市街地で唄われているもので、節回しは野津のものとほぼ同じ。踊ったことはないが、「野津とほとんど同じ」と聞いたことがある。しかし三重町は広いので、地域差もあるだろうから何とも言えない。

 

D3b「祭文」(三重町大白谷)

☆国はエーナー どこかと尋ねてきけばヨー 国はナ(イヤコラサイサイ)

 豊州海部の郡(ソレー ヤートセーノ ヨイトマカセ)

★佐伯領土はノ(ドッコイ) 堅田の谷ヨー 堅田ナ(イヤコラサイサイ)

 谷でも宇山は名所(ソレー ヤートセーノ ヨイトマカセ)

☆名所エーナー なりゃこそお医者もござれヨー お医者ナ(イヤコラサイサイ)

 その名はげんりゅう様と(ソレ エヤヤットセーノ ヨイトマカセ)

 

 D3bは三重町大白谷の祭文で、手ぬぐい踊り。野津町の踊り方によく似ているが、こちらの方が手の位置が高く、所作も穏やかで優雅な感じがする。☆の節回しは野津町のものによく似ているが、★の場合は上の句の歌い方が違っている。だいたい☆と★を交互に唄うが一定ではない。変化があっておもしろい。


D4「祭文」(清川村)
☆今度ナー 踊りは祭文やろなヨー 誰も(イヤトコサイサイ)
 どなたも お手振りなおせ(ソレエンヤヤットセー エンヤヤットセー)

 D4は「清川村誌」より引いたもの。同著に掲載されていた簡単な譜面を見ると、野津の祭文と同じ節回しのようだ。踊り方はわからないが、やはり両手を上げ下げしながら行ったり来たりする類のものではないかと思う。

 

 

大野・直入の祭文

 グループ名は「大野・直入の祭文」としたが、大野地方のうち野津町・三重町・清川村の祭文は1つ前の「臼杵の祭文とその周辺」に入れたので、ここでは取り上げない。この地域の盆踊りにはあまり行ったことがないし、何ヶ所か訪れる機会があるにはあったのだがたまたま祭文を踊らないところばかりだったので、実体験に乏しくあまり詳しく説明できない。どうしても各町村誌や『民謡緊急調査』を参考にせざるを得ずいささか不十分ではあるが、とりあえず簡単に紹介することにして、追々加筆・訂正していきたいと思っている。

E1「祭文」(千歳村)
☆今度踊りは祭文踊りホホンホー(アラドスコイ ドスコイ)
 みんなお好きな祭文やろな(ソーレ ソーレ ヤットヤンソレサ)

 E1は『千歳村誌』より。千歳村内のどの地域から採集したのかはわからなかった。同著には簡単な譜面が載っていたので、節回しを大まかにではあるが知ることができた。近隣の野津町や大分市のものとはまた違っていて、のんびりとした田舎風の雰囲気の節。上の句の末尾の囃子「アラドスコイドスコイ」を、よそだと2呼間ですませそうなところを譜面通りならば4呼間もとっているので「アラドースコーイドースコーイ」といささか間延びした調子になっている。それがまた、のんびりとした雰囲気に拍車をかけている。

E2「祭文」(千歳村長峰)
☆月に群雲 花に風 チリテンツンショ(アドスコイ ドスコイ)
 心のままにならぬこと(ソレー ソレー ヤットヤンソレサ)

E2は『民謡緊急調査』より。E1とは字脚が違い、こちらは七・五調の段物になっている。上の句末尾の音引きの部分がチリテンツンショという口三味線風になっているがおもしろい。きっと、節回しはE1と大差はないだろう。

F1「祭文」(大野町片島)
☆今度エー 祭文でしなよに踊れホホンホー(アラドスコイ ドスコイ)
 しなのよいのを嫁にとる(ソレー ソレー ヤトヤンソレサイ)

F2「祭文」(大野町夏足)
☆今度切り替え祭文でやろなホホンホー(アラドスコイ ドスコイ)
 しばしナー 間はお手振りなされ(ソレー ソレー ヤトヤンソレサイ)

F3「祭文」(緒方町辻)
☆様は山野の三日月様よホホンホイ(アドッコイドッコイ)
 宵にちらりと見たばかり(ヤレー ソレー ヤトヤンソレサー)

 大野町や緒方町の盆踊りは、みんな朝地町志賀から伝わったといわれている。今回、残念ながらいろんな資料を見ても、志賀地区の祭文は採集できなかった。また志賀の盆踊りに行ったこともあるのだが、もう祭文は踊っていなかった。しかしFのシリーズを見ると(Eもそうだが)、どれも似通っているような気がする。きっと、志賀の祭文も似たようなものだったのだろう。

G1「祭文」(久住町青柳)
☆ちょいと祭文の 通りがけヘヘンヨー(アラヨイヨイヨイ)
 通りがけなら長いこつぁ言わぬ(ソレーヤ ソレーヤ ヤトヤンソレサイ)

G2「祭文」(久住町都野、直入町)
☆ちょいとさえもんの 通りがけヘヘンヨー(アラヨイヨイヨイ)
 通りがけなら長いこつぁ言わぬ(ソレー ソレー ヤトヤンソレサイ)

G3「祭文」(竹田市古園)
☆ちょっとさえもんと 切り替えましたホホンエー(ヨイヨイ)
 あることないこと喋りましょ(ソレーヤ ソレーヤ ヤットヤンソレサ)

G4「祭文」(竹田市倉木) <77・75切口説>
☆ちょっとナ さえもんに切り替えまするホホンホー(アラドウジャイ ドウジャイ)
 しばしそれにて願います(ヤレーソレー ヤットヤンソレサイ)
☆京のナ 三十三間堂にゃ仏の数が
 三万三千三百三十三体ナ ござるホホンホー(アラドウジャイ ドウジャイ)
 嘘か誠か行ってみにゃ知らぬ(ヤレーソレー ヤットヤンソレサイ)
☆瀬田のナ 唐橋ゃ杉の木松の木けやきの欄干ひのきの手摺に
 大津の鍛冶屋が朝から晩までトッテンカラリと叩いてのばした
 唐金ぎぼしホホンホー(アラドウジャイ ドウジャイ)
 これもまことか行ってみにゃ知らぬ(ヤレーソレー ヤットヤンソレサイ)

 Gのシリーズはどれも『民謡緊急調査』から引いたもので、実際に聴いたことはない。しかし、幸い『民謡大観』の付属CDに熊本県高森町の祭文が収録されており、そちらは気軽に聴くことができる。高森町を含む阿蘇地方の盆踊り唄は、大分県から伝わってきたものと言われている。実際に、伝承されている曲目が直入地方と似通っている。その土地々々で節が変化しているとはいえ、『民謡大観』に収録されている熊本県高森町の祭文と、Gのシリーズの祭文は、そう大きくはかわらないだろう。G4の字余りの文句は上の句に目一杯詰め込んでいて、はじめて『民謡緊急調査』で文句を見たときに、いったいどうやって唄うのだろうと不思議に思った。きっと「字余りよしこの節」のように早口で唄うのだろうが、「瀬田のナー」の文句などかなり息が苦しそうな気がする。

 

 

上浦の祭文とその周辺

 上浦町を中心に唄われている祭文は、今まで紹介してきた祭文とはまた雰囲気が異なる。哀調を帯びた節回しで、これは、この地域では一般に祭文に合わせて和讃(地蔵和讃が多いようだ)を口説くことと無関係ではないだろう。県内の大部分の祭文は、心中もの・仇討ものなど内容を問わず各種段物口説や、または一口口説で唄うのに対して、和讃の文句で唄うというのはやや異質な感じがする。
 ところで、H1の説明にて詳述するが、このグループの祭文は、前項「臼杵の祭文とその周辺」のグループに入れても問題はなかったと思う。しかしよくよく注意しないと両者の類似点に気付きにくいし、きれいに線を引くこともできるので、この記事では別グループ扱いとした。実際は、前項「臼杵の祭文とその周辺」のグループと、これから紹介する「上浦の祭文とその周辺」のグループは兄弟のようなものである。

H1「祭文」(上浦町浪太)
☆アー私のエー アー差したる簪がエー(ソレーソレ)
 アー抜けてあなたの脇腹に(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

 H1は、これまで紹介してきたいろいろな祭文の中でも特にテンポが遅い。特に上の句の節回しが特徴的で、長く引き伸ばすために息継ぎが多く、例示した文句においては「アー私のエー」「アー差したる」「簪がエー」と3声に分けて唄っている上に、微妙に生み字が生じている。しかしそんなに難しい節でもないし、息の継ぎ方に無理がないのでわりと唄いやすい。伴奏は太鼓のみ。太鼓の叩き方には南海部地方の特徴が色濃く出ていて、ワク打ちをあまり挿まずにゆったりとした調子で、体全体を使って力強く叩いている。太鼓を叩く際の構え方も、特に早間に叩く宇佐・速見地方とは違っていた。
 踊り方はずいぶん難しかったように思う。特別手の込んだ踊りというわけでもなかったが所作が独特で、テンポが遅いのに踊りについていけず、全く覚えられなかった。右手にうちわを持って、両手を横8の字にこね回すようにする所作が目立つが、これはぱっと見て真似できるような動きではない。横8の字といっても津久見の扇子踊りなどで見られる横回しにするような所作とはまた違う。足運びもまたすぐに理解できるようなものではなかった。前に出した足を軸足に引き寄せるようにしながら継ぎ足で進んでいたような気がするが、よく思い出せない。とにかく難しいという印象。前に進んでいくだけでなくて、確か途中で、その場で左回りに回ったと思う。鶴崎踊りや堅田踊りなど並んでも全然見劣りしない、とても優雅なよい踊りだった。
 ところで、H1をよく注意して聴くと、前項で紹介したBのシリーズ…つまり臼杵の祭文(長調のもの)や津久見の三勝とやや似ていることがわかる。上の句では分かりにくいのだが、下の句まで行くとわりと分かり易い。Bのシリーズの祭文(三勝)の下の句のテンポをずっと遅くすると、それなりにEに近くなってくる。音階が違うために雰囲気はずいぶん違うが、その骨格は似たようなものなので、やはり同系統のものと見てよいだろう。

H2「祭文」(上浦町浅海井)
☆アー一つやエー アー二つ アー三つや四つ(アーヨイヤー)
 アー十にもならぬ幼子が(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

 H2はH1とほぼ同じ節回しで、こちらもかなりゆったりとしたテンポ。文句は地蔵和讃で、祭文の節回しと相俟ってしんみりとした印象を受ける。上浦町の供養踊りでは踊りの輪の中に茣蓙を延べて、そこに初盆家庭の方が座り、祭壇の上には遺影を並べて、櫓に盆提灯を提げることが多いようだった。そんな中に哀調を帯びた祭文の節が響き渡るので、何ともいえない雰囲気がある。
 浅海井では、うちわを持つ人のほか、扇子を持って踊る人も見られた。うちわを持っていても扇子を持っていても踊り方は同じなので、同じ輪の中に両者が混在していても問題はない。やはり踊りについていけなかったのでよく覚えていないのだが、確か浪太(H1)と同じだったと思う。

I「祭文」(津久見市日見)
☆帰命頂礼 エー弥陀如来(ソリャーヤレ)
 大慈 エー大慈のご請願(ソリャエーイヤセーノ エーイヤセー)

 Iは、Hとは少し節が異なる。Eが全体的になめらかな節回しだったのに対して、こちらはところどころで音程の飛躍がやや大きくなっているし、囃子の部分の唄い方は、語弊があるかもしれないが少し重苦しいような感じがする。文句はやはり地蔵和讃。
 日見では取立て音頭(サンサ節)、ヨーヤセー節(一般に音頭の外題で呼んでいる)、祭文、入れ節の4種類が唄われているが、これらの唄に対して踊り方はただ1種類しかなく、初めから終わりまでずっと同じ踊り方で通す。うちわを右手に持ち、上浦町浪太や浅海井と同様に両手を横8の字にこね回すようにして踊るのだが、こちらの方がずっと分かり易く、手数も少ない。(右回りの場合)両手をこね回しながら右足を前に踏んですぐ左足を寄せて束足になり、左手でうちわの端を押さえるようにしながら右足を前に出してすぐ引き戻して束足で決まる。左足を輪の中向きに90度踏み変え、同様に右足、左足で束足になり右足を出して引き戻して束足で決まる。左足を輪の進む向きに90度踏み変え、同様の足運びで決まる。両手を上の方で小さく右に流しながら右足をやや輪の中向きに前に踏んで、両手の高さを保って左に流しながら左足に体重を戻す。同様に、右足を輪の中向きに少し後ろで踏み、左足に体重を戻す。この繰り返しで踊っていく。やはり手の所作がわかりにくいが、それでも浪太や浅海井の踊り方に比べると簡単に感じた。

J「野辺和讃」(蒲江町畑野浦)
☆ソレ 一つや二つや三つや四つ 十にも足らぬ幼子が
 (エーイエーイ エーイヤナー)

 Jは『民謡緊急調査』から引いたもの。節がわからないが、とりあえずこのグループに入れてみた。しかし囃子を見ると、もしかしたら佐伯市木立の祭文(H、下記)に類似するものかもしれない。

 

 

木立の祭文とその周辺

 佐伯市木立地区および蒲江町の一部で唄われている祭文は、1節で3句を口説いている(七・五×3)。これまで紹介してきた祭文は、全て上の句と下の句により成り立つ節だった。ところがこのグループの祭文は1節が3句に亙るため節回しが変化に富んでいて、同じ七・五調でも「上浦の祭文とその周辺」のグループのものとはまた印象が異なる。しかし類似点も僅かに認められるので、全く無関係とはいえないかもしれない。とりあえず、この記事では別グループに分類してみた。

K「祭文」(佐伯市木立) ※蒲江町屋形島
☆サドー 東西ヨー 南北おだやかに(ヨイヨイ) しずもりヨー 給えば
 尋常にヨー 所は都の大阪の(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)

 Kは佐伯市木立地区で唄われるもので、長音頭の入れ節に唄うこともあったようだが、現在は単独で唄うのみとなっている。それはどういうことかというと、「お為半蔵」など七・七調と七・五調が途中で何度も切り替わる口説のときは、七・七調のところは長音頭で口説いておいて、七・五が続くところに来ればそこを祭文の節で唄っていたようだ。それに対して現在口説かれている「おすみ」などは最初から最後まで七・五調なので、ずっと祭文で唄うのだろう。もちろん理由はそれだけではなくて、長音頭の途中に祭文が入るというのは、太鼓や唄を合わせるのにかなり高級な、熟練の腕がないと難しいというのもあるのではないかと思う。踊り方は3種類程度(扇子踊り2種類、手踊り1種類)あり、めいめいが好きな踊り方で踊る(同じ輪の中に違う踊り方が混在していても差し支えない)。木立の扇子踊りは堅田踊りと同様に近隣地域では評判だったが昭和の半ばに一時途絶え、その後復活して今に至る。復活後は小学生なども交えて伝承に力を入れているようで、Kの祭文は平成20年代になっても盛んに唄われている。
 節回しはずいぶん複雑で、音引きが多い上に節の上がり下がりが忙しく、これまで紹介してきた祭文に比べると覚えにくい。しかしそう唄いにくい節ではなく、覚えてしまえばすんなりと唄える。太鼓の叩き方がそれなりに軽やかだし、田舎風ながら華やかな節回しなので聴いているだけでもおもしろい。節をよく聴くと、各節末尾の5字の結び方が「上浦の祭文とその周辺」のグループの祭文(H、I、J)と少しだけ似ている。もしかしたら、上浦方面の祭文の上の句と下の句の間にもう1句挿入し、節を変化させたものなのかもしれない。これは想像の域を出ないが、佐伯市内では長音頭が盛んなので、長音頭が1節3句で変化に富んだ節回しであるのに影響されたとも考えられる。県内の祭文で1節3句というのは木立と蒲江町の一部のものだけだということを考えても、やはりこれは1節2句のものの変調ではないかと思う。
 踊り方はかなり難しく、初めて輪の中に入って前の人の真似をするだけでは到底踊りこなせない。ついていくのも難しい。ウロ覚えだが、どれも唄と踊りがピタリと合っていた。そのため手数がかなり多い。しかも扇子踊りの場合は、始終扇子を開きっぱなしで踊るのではなく、途中で扇子を畳んだり、一振りでパッと開く所作もある。最もよく踊られる踊り方を、うろ覚えだが紹介する。(右回りの場合)扇子を骨1本分のみ開いた状態で、継ぎ足を引き戻しながら数歩前に進み、右足を引くのと同時に要を上にして扇子を引き上げる。両手を振り上げて前に出て、要を上に引き上げて2回弓を引き、左回りで後ろ向きになり扇子を開いてヨイヨイで右足引いて体を傾けてきまる。両手で扇子を持って横8の字にゆっくりとねじ回しながら数歩下がって数歩出て、扇子を回しながら両手を上、下で輪の中を向き、扇子回して左に回りこんでまた後ろ向きになる。ヨーイヨーイヨーイヤナーで、要を上にして2回弓を引いて左足を引き、右に流して左回りに反転、前向きに戻って骨1本分残して扇子を畳んで最初に戻る。間違っているところがあるかもしれないが、確かこんな踊り方だった。とにかく難しく、覚えきれなかった。
 なお、『蒲江盆口説集』によれば、類似した祭文が蒲江町屋形島でも唄われているようだ(踊り方は不明)。

L「祭文」(蒲江町畑野浦、蒲江町楠本浦)
☆一つや二つや三つや四つ(ヨイヨイ) 十より下の幼子が
 一度娑婆に生まれ来て(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)

 Lは『蒲江盆口説集』から引いたもので節はわからないが、1節3句という点と節回しの類似性から考えると木立の祭文(K)と同種と見てまず間違いないだろう。

 

 

堅田踊りの祭文

 これまで長々と大分県内に伝わる(伝わっていた)祭文を集めてきたが、いよいよ堅田踊りの祭文で最後となる。堅田踊りは佐伯市のうち大字下堅田・長谷・青山・池田に伝わっており、唄も踊りも集落によって異なっている。唄を大まかに分類しても数十種にのぼるが、代表的なものは「長音頭」「与勘兵衛」「高い山」「淀の川瀬」「大文字かぼちゃ」あたりだろうか。ほかにもたくさんの唄がある中で、祭文も細々と唄われている。しかし伝承地域は大字長谷のうち上城など一部の集落と、大字堅田のうち宇山・汐月のみ。その地域の中でも、「那須与一」だとか「お夏清十郎」などと比べると幾分地味な印象を受ける。ともあれ、県内各地の「祭文」と比べてみると違いが歴然としており、堅田踊りならではのお座敷調の雰囲気と優雅な踊り方は、地味ながらもそれなりにおもしろい。

M「祭文」(佐伯市長谷・宇山・汐月)
☆笛(アラドッコイセ) の音による(マーダーセー) 秋の鹿
 妻(アラドッコイセ) ゆえ身をば 焦がすなり
 (ハーそこ言うちゃたまらぬ そこ残せ ソレエー ソレエー モットモ)
☆鮎(アラドッコイセ) は瀬に住む(マーダーセー) 鳥ゃ木にとまる
 人(アラドッコイセ) は情けの 下に住む
 (ハーそこ言うちゃさえもん たまりゃせぬ ソレエー ソレエー モットモ)
☆恋(アラドッコイセ) しゅござるなら(マーダーセー) 訪ね来てみよ
 信太の(アラドッコイセ) 森に住むでは ないかいな
 (ハーそこ言うちゃさえもん たまりゃせぬ ソレエー ソレエー モットモ)

 先に断っておくが、Jは、今まで紹介してきた数多くの祭文との類似点は、全くといっていいほど認められない。節回しがまるで違っている。「さえもん」の名が同じだというだけでこの記事の中で紹介していいのか迷うほどに、とにかく全く違う。
 伴奏は三味線と太鼓。三味線は二上りで、前奏・間奏の役割も担っている。唄の方は、生み字を多用してとにかく引っ張って唄っており、かなり難しい。短い文句を長い節に当てているので息継ぎの箇所が文句の切れ目と合っておらず、不自然なところに「アラドッコイセー」などの囃子が入っている。間奏の一バチずつに、また唄の節の一音ずつに踊りの所作が厳密に割り振られているために、ちょっとでも三味線や唄を間違うとたちまち踊りが立ち往生してしまう。そのため、音程はともかくとして節の長短だけは絶対に間違えられない。生み字だらけのこの唄を3節とも正確に唄えるようになるには、かなりの練習が必要だろう。三弦唄ではあるものの、堅田踊りの唄の中ではずいぶん田舎風の雰囲気であり、「淀の川瀬」とか「ほんかいな」「しんじゅ」等とは出自が違うように感じる。堅田踊りの唄は上方由来と言われているが、少なくとも祭文は上方由来というわけではないような気もする。元々地元で唄われていた盆踊り唄「祭文」が三弦唄化したものなのではないだろうか。長谷・宇山・汐月では、ほかにも「思案橋」「対馬(津島)」という生み字を引っ張る唄が残っているので、或いは祭文もそれに影響されて、必要以上に引っ張って唄うようになったのかもしれない。字脚を見ると、1節目が七・五・七・五、2節目が七・七・七・五、3節目は八・七・(三字欠)四・七・五となっている。生み字だらけの唄なので多少は字脚が増減しても、半ば強引にでも同じ節で唄うことができる。各節の連絡は全くない。今はこの3節に限っているが、記録もないほど古い時代には、これ以外の文句も唄われたのかもしれない。
 踊り方は、よその「祭文」とは比べ物にならないほど難しい。手数が多い上に独特な所作もあり、ちょっとやそっとでは到底踊りこなせない。堅田踊りは難しい踊りが多く、「思案橋」や「淀の川瀬」「花扇」「きりん」などに比べると祭文はまだ易しいような気もするが、それはあくまで堅田踊りというワクの中での話である。(右回り)前奏の間はその場で待つ。「笛の…」から、輪の中を向いて右、左と小さく流し、右足を前から引き寄せながら両手を握りこむようにして向こうから引く。●両手を左右対称に円を描くように振り上げ、右手で左の袂をつかみ、左手は肘を立てて手首を小さく返し、左足、右足左足で左へ横移動する。右足を前から引き寄せながら両手握りこんで引く。両手を円に振り上げて、左手で右の袂をつかみ、右手の肘立てて手首返しながら右足、左足右足で右へ横移動。円に振り上げて袂と肘立て手首返しで左へ、同様に右へ、左へ。両手を右に回して流しながら右足、左足右足で右後ろに移動しながら輪の向きになる。足は動かさず、両手を左へ回して「マーダーセー」で大きく右後ろへ、そのまま後ろに少し反ってきまる。左から交互に3回流して、左手で右の袂をつかんで右手引き上げながら右足を引き、左手から交互に4回上で手前に手首を返しながらそれに合わせて体重を前後。左足、右左で前に出る。それぞれの袖を返して袂をそれぞれの手でつまみ、右から8回、両手を腰の位置で左右に小さく小さく振りながら、それに合わせて右足から交互に小さく蹴り出し少しずつ前に出る。右に振った両手を左側に多いかぶせるようにするのを3回で右足から4歩出る●。両手を右に回して流しながら右足、左足右足で後ろに少し下がりながら輪の中を向き、左足を前から引き寄せながら両手を握りこむようにして向こうから引く。●~●をもう一度繰り返す(繰り返しのときには、キメの部分は「マーダーセー」ではない)。ここまでで、丁度1節+間奏の分が終わったことになる。
 現在。上城や宇山の盆踊りでは、「与勘兵衛」や「お夏清十郎」などで二重に膨れ上がった踊りの輪が、祭文や「思案橋」「対馬」になると一重の小さな輪になりがちである。このまま踊り手が減少し続けると祭文などを省略するようになってしまう虞もあるのだが、今のところ(2012年)どうにか細々と続いており、会場にて唄われている。現地を訪問せずとも、『民謡大観』の付属CDに下城の「祭文」が1節のみだが収録されているので、興味のある方は図書館などを利用すれば気軽に聴くことができる。

 

 

おわりに

 長々と大分県内各地の祭文を集めてきた。その多様性をある程度は示すことができたのではないかと思う。大分の祭文は、ステージ民謡化していないためか多様性がよく保たれている。各地の地踊りを地域別に見るのもおもしろいし意味があるのだが、こうして特定の唄(ここでは祭文)に注目して県内を横断的に見ていくと、また新たな気付き・発見がある。これからも、それなりに広い範囲に伝承されている唄に注目して横断的に比較してみたい。