泥谷の堅田踊り

本調子:

 

・本調子

 現在踊られていない。手踊りだった由。波越の「ほんかいな」と同じ唄で西野の「花笠」や「花扇」も同種だが、泥谷の「本調子」は短い前唄がついている。この種の唄で現在も伝承されているのは西野の「花笠」および「花扇」のみとなっているが、これは「本調子」と同系ではあるも変調ともいえる節であって、元の節と思われる「本調子」「ほんかいな」ともに堅田地域においては全く伝承が途絶えてしまっているのが本当に惜しい。

 

二上り:

 

・与勘兵衛

 開いた扇子を右手に持って踊る。唄の節も三味線の弾き方も北部地区のものと同じだが、こちらの方がわずかにテンポが遅いかもしれない。踊り方は、北部よりもずっと大人しい。左手を腰に当てておいて、右手の扇子を前後に動かすような所作が特徴的。おおまかに足運びのみ見ると、右に動くか左に動くかといったことや、その場でひとまわりするタイミングなどは北部と大差はないし、上半身の所作も似通ったところがあるのだが、印象は随分異なる。わりと易しく覚え易い。

 

・お夏清十郎

 開いた扇子を右手に持って踊る。唄の節は北部地区のものとほぼ同じだが、こちらの方がテンポが遅い。お囃子の末尾を北部のようにせり上げないで唄う。また、北部では三下りだが泥谷では二上りで三味線を弾いており、少し印象が異なる。踊り方を見ると、北部よりも少し大人しい印象を受ける。わりと覚え易い踊りだが、扇子を両手で持ってすくいあげる所作が北部とは大きく異なるので、北部の踊り方に慣れていると戸惑う。

 

・思案橋

 現在踊られていない。手踊りだった由。節は北部地区のものと同じ。

 

・対馬

 現在踊られていない。手踊りだった由。節は北部地区のものと同じ。

 

・様は三夜

 開いた扇子を右手に持って踊る。この唄は、泥谷と石打に残るのみとなっている。易しい節回しでテンポも速くはなく、無理なく唄える。アラホーンボニ、テーッショーニの囃子言葉がおもしろく、その部分では地口のようになる。返しの部分をうまく生かした節回しになっている。踊り方を見ると、扇子を両手で持って右上でこね回しながら、右足を前で踏み、左足を後ろで踏み、右足を前で踏み、今度はその反対動作をするというような所作が目立つ。これは泥谷の踊りの特徴。

 

・伊勢節(扇子)

 開いた扇子を右手に持って踊る。この唄は泥谷と波越に残るのみとなっている(波越では南無阿大悲と呼んでいる)。音引きの少ない簡単な節回しで、テンポは速め。三味線の節が賑やかでとても盛り上がる。唄の一節がごく短いので踊りの手数も少なく、また所作も易しいので覚え易い。波越の南無阿大悲とは踊り方が全く異なる。

 

・長音頭

 手踊り。唄の節回しは北部地区とほぼ同じだが、踊り方が独特。3回手拍子をする部分は西野の足運びと同じで、北部とは異なる。よそでは、次に右、左、右…と流して後ろ向きになるのに、泥谷ではその前に背中で手拍子を打ち、もう一度前で手拍子を打つため、踊りのタームが2呼間長くなっている。

 

 

 北部の集落と共通の唄が多いものの、「本調子」「伊勢節」「様は三夜」など珍しい唄もある。ただし8種類のうち思案橋、対馬、本調子はもう踊っておらず、5種類を残すのみとなっている。集落の人と会話をする中で、「思案橋は、踊れる人が少なすぎて輪が立たないので、踊らなくなってしまった。とてもよい踊りだったのに…」と残念がる声が聞かれた。

 北部と共通の唄でも、与勘兵衛、お夏清十郎は踊り方が全く異なる。このことから、思案橋や対馬も北部とは違う踊り方だったと思うのだが、残念ながらもう踊っておらず確認できなかったのが惜しまれる。泥谷では1本の扇子を両手で持って、右や左でねじ回すようにしながら継ぎ足で進むような所作が目立つ。この所作は他の集落ではあまり見られず、泥谷の踊りの特色といえる。

 泥谷では8月16日頃に風流しの踊りと供養踊りをかねた盆踊りをするほか、その翌日にも盆踊りをしている。後者の踊りのときには仮装も出て賑やかな雰囲気。ただし踊っているのはほぼ、中年以上の女性で、男性はあまり踊っていないようだ。踊り手はあまり多くはないが、20人~30人程度は踊っているようだった。通常、与勘兵衛→伊勢節→様は三夜→お夏清十郎→長音頭の順に踊っている。全て二上りなので調弦が必要ないため、間に佐伯音頭などを挟んで場をつなぐようなことはしないようだ。

 今踊っている5種類の踊りだけを見ると長音頭と伊勢節はわりと易しいし、残りの3つも同程度の難度なので、おそらくこの5種類は当分の間、無事伝承されると思う。踊らなくなった本調子、思案橋、対馬は、8種の中でも特に難しい踊りだったようだ。