安珍清姫口説

国を申さば紀州の国で ここは熊野にまぎれもないが 泊り柳は庄司が館
行きや帰りの吸いつけ煙草 それが昂じて寝泊りなさる 庄司館のかの清姫は
器量のよいこと卵に目鼻 色の白さは雪にも勝る 参詣帰りのそのつれづれに
庄司館にお泊りなさる 奥の一間に安珍寝せて 夜の真夜中 夜半の頃に
表唐紙さらりと開けて 「安珍安珍」と小声で起こす 安珍驚き早や目を覚ます
「夢か現か迷いのものか」 言えば清姫申することに 「夢や迷いのものではないぞ
私ゃこの屋の清姫なるぞ もうし安珍見覚えあろが 三月四月は袖でも隠す
最早七月袖ではゆかぬ 連れて行かんせ安珍様よ」 聞いて安珍申することに
「しときかたとき忘れはせねど 私ゃ熊野にりょうがん懸けた

願をほどかにゃ婦人は連れぬ」 というて安珍夜抜けをなさる

日高川へと急いで行きゃる 「もうし船頭さん頼みがござる 後を追い来る女が一人

早くこの川渡しておくれ」 言えば船頭は心得まして 「川のことなら船かみのぼし

竿をさします櫓を漕ぎまする」 やがてお船は川中ほどに そこで安珍申することに

「申し船頭よ頼みがござる わしの頼みは他でもないが 後を追い来る女が一人

後の女を渡しちゃならぬ」 言えば船頭は申することに 「私ゃ商売 船賃貰や

誰を渡さぬとわしゃ言えませぬ」 「こんな船頭は不実なものよ

二人前なと船賃はずもう」 言えば船頭が申する事にゃ 「二人前さえ船賃貰や
後の女は渡してやらぬ」 そうこうする間に向う岸に着いた

少し上がれば道成寺さまで 門にかかりてくぼ笠脱いで

「ごめんなされ」と挨拶いたし 「後を追い来る女が一人 早く私を隠しておくれ」

聞いて和尚は心得まして 鐘を下ろして安珍隠す 後の女が船場に着いた

「船頭船頭」と声張り上げて 「早くこの川渡しておくれ」

そこで船頭が申することにゃ 「お上さまより伝えがありて

ここは七日の舟止めされた どんな御用でも渡されませぬ」

聞いて清姫腹立てまして 船頭渡さにゃ自力で渡る 櫛や簪笄土手に

着たる着物を柳の枝に 履いた雪駄を脱ぎ捨てまして 日高川へとザンブと入る

うろこ差し出し角いただいて 火炎吹き立て波押し分けて 岸に着いたよ七畳半も

少し上がれば道成寺様よ 門にかかりてハッタと睨み 「和尚和尚」と声荒らげて

「早く安珍渡しておくれ」 そこで和尚さん申することにゃ 「これに安珍近頃見えぬ」

そこで清姫うさんに思い 「他の寺では釣鐘下がる 鐘の下りたは不審でならぬ」

そこで和尚さん申することに 「鐘の下りたに不審はなかろ 鐘を下ろして造作普請」

なおも清姫うさんに思い 鐘を睨んできゃっきゃと騒ぐ 鐘を取り巻く七巻き半も

火炎吹き立て尾ばちで叩く 哀れ安珍鐘もろともに 溶けて流れて日高の川へ