阿南清兵衛口説

頃は元禄四年の昔 阿南清兵衛惟雪さんは 聞くも慕わし義侠の名主
当時日出領八坂の村は  高は千石免六つなれば 上の運上極めて重く
農家立ち行き甚だ難儀 時に秋作不作の年は 家財道具を取り片付けて
子供年寄り引き連れ立ちて 長の年月生まれし里を 他国他領と見知らぬ空に
流浪するのが不憫さ故に 慈悲で義衛の清兵衛さんは 後の祟りも頓着せずに
御領主様へと免下げ願う 時に名君俊長公は 江戸に参勤おわするからに
名主郡代呼び寄せられて 事の子細の吟味をなされ 郡代殿には切腹なされ
名主様には牢屋の噂 後にとかれて国へと帰り 御役はがれて尾羽打ち枯らし
移り百姓で徳野が原に 暮らす義人の艱難辛苦 よその見る目も哀れさ余る
まして病の床にと就けど 医者も薬もままにはならぬ 誠こもれる妻子の看護
相も空しく痩せ衰えて 今はこうよと見えたる間際 我の亡骸 本儀寺埋けよ
遺書も細々往生遂げる これが元禄八年二月 十日余りの七日に当たる
後の村人義人の徳を 永く忘れで伝えましょうや もしも忘れちゃそれこそすまぬ