津久見盆踊り

はじめに

   津久見の盆踊りといえば「扇子踊り」が有名で、8月の盆明けの土曜日には大規模な「扇子踊り大会」が開催されているが、実際には扇子踊り以外にもいろいろな盆踊りが伝承されている。また、特に漁村では深夜まで踊る集落も多く、盆踊りが盛んな土地柄といえる。ここでは、津久見市内を津久見・日代・八戸・穂戸島・無垢島・四浦の六つの地域に分けて、それぞれの盆踊りの概要を説明することにする。

津久見

 津久見地区では、現在「扇子踊り」「三勝」「津久見音頭」の3種類が踊られているが、昔は「祭文」「ぼうぶら踊り」「チョイナ節」も踊られていた。扇子踊りと祭文、三勝は伝承の踊りで、津久見音頭は昭和の半ばに作られた新民謡踊り。今でも盆踊りが盛んで、各集落毎に踊っているほか、前述の扇子踊り大会など、盆踊りに親しむ機会は多いようだ。
 扇子踊りは、南海部地方に広く伝わっている「ヨーヤセー」の節で唄う。悠長な節回しで、太鼓の叩き方もあまり枠を打たず、のんびりとした感じがする。大正時代までは扇子踊りは一般向きではなく、うちわ踊りや手踊りで踊る人もいたが、大正末期に愛扇会という組織が扇子踊りの普及を図り、今に至るとのこと。手数が多く難しい踊りなのに、男女問わず、若い人からお年寄りまで上手に踊っているのには驚かされる。
 ところで、津久見地区では2種類の扇子踊りが伝承されている。一つは津久見扇子踊り大会で踊られているもので、扇子をくるくると回して止める動き、弓を引く動き、合わせ鏡の動きなどにより成り立っており、なかなか手が込んでいる。「ヨーヤセー」が1節終わってもまだ踊りは最初の動作に戻らない。弓を2回引くのが特徴で、勇ましい感じがする。ここでは、便宜的に津久見扇子踊りと呼ぶことにしよう。昔は手踊りやうちわ踊りの踊り方もあったが、現在は扇子踊りに統一されている由。
  もう一つの扇子踊りは堅浦に残っているもので、堅浦扇子踊りと呼んでいる。こちらは合わせ鏡の動きがなく、弓引きも1回だけ。唄が1節終わるときにちょうど踊りも最初の動作に戻る。扇子を2段階の高さで回すのが特徴で、優雅だが津久見扇子踊りよりもずっと易しい。足運びが「ぼうぶら踊り」によく似ている由。こちらの方がより古い踊り方なのかもしれない。
 三勝は手踊りで、唄は臼杵市の「祭文」に似た節回し。多分、昔は「エイガサーサイトコサイ」と囃す、臼杵や野津の三勝と同じような唄だったのが、唄だけが祭文にすりかわったのではないだろうか。扇子踊りよりは早間だが、こちらも太鼓の叩き方はのんびりとしている。踊り方は堅田踊り(佐伯市)の「長音頭」に大変よく似ており、何か関連があるのかもしれない。今でこそ津久見の三勝と堅田踊りの長音頭は手振りが異なっているものの、足の運びや方向転換の仕方、そしてその割り振りなどを見ると、元をただせば同じところに行き着くような気がする。この踊りは扇子踊りのかげにすっかり隠れてしまっている感があるものの、踊り方に躍動感がある上に工夫次第で優雅に見せることもでき、しかも唄の節が抑揚に富んでいて賑やかなので、地元の人には今も大変よく親しまれている。

 祭文は現在踊られていないが、手踊りだった由。思うに、祭文と三勝は全く別のものとして踊られていたのが、いつのことかは分からないが祭文の踊りと三勝の唄(おそらく、エイガサーサイトコサイと囃すものだろう)が捨てられ、残った祭文の唄(ヤットセーヤットセーの唄)と三勝の踊りを組み合わせて「三勝」としたのではないだろうか。今唄われている三勝は、やはりどう考えても祭文の節だ。

 ぼうぶら踊りは下浦地域で踊られていたもので、これは下手な人が踊ると腰の揺れが大きくなるような所作だったとのこと。ぼうぶらは南瓜の意。この踊りは臼杵から入ってきたそうだが、現在、全く踊られていない。チョイナ節は堅浦で流行したもので、草津節の替え唄。

 近年、扇子踊りと三勝は大抵、口説と太鼓の音頭に合わせて踊られるが、津久見音頭だけはカセットやレコードを流して踊ることが多いようだ。新民謡といはいえおそらく作られてから30年以上は経っているだろう。簡単な踊り方だが、右上ではちまきをしめるような所作がおもしろい。唄は10番まであり、津久見の名所や風景、文化、民俗などうまく唄い込んでいる。昔は津久見小唄も踊っていたらしいが、津久見音頭ができてから廃れたらしい。まだ、集落単位の盆踊りでは踊っているところもあるかもしれない。

日代

 日代の盆踊りはうちわ踊りで、踊り方はただ1種類のみ。手数は少ないもののうちわを8の字に回す踊り方はなかなか難しく、日代独特のもの。唄は取立て音頭、ヨーヤセー、祭文、供養音頭の4種類。同じ踊り方のまま唄の節を切り替えていくというのはとてもおもしろい。
 最初に唄うのが「取り立て音頭」という節で、これは海部地方や大野地方で最後に口説くことの多い「きそん」や「さんさ節」の類。音頭と囃子が次から次に入れ替わる唄い方で、節がややこしい上に一息が長いのでなかなか難しい。
 輪が立ったら「ヨーヤセー」を唄う。津久見の扇子踊りのときのヨーヤセーと少し節が違う。また1節目をはじめとして、たまにほかの節とは違う節回しで唄うこともあり、これは南海部地方の盆踊り唄の特徴の一つ。かなり長い間同じ唄を唄うときに、節回しに変化を持たせるために全く違う節を挿入する場合と、少し節回しを違えた節を挿入する場合があるようで、日代のヨーヤセーは後者にあたる。
 ヨーヤセーの途中で「祭文」も唄うが、ヨーヤセーのときは那須与一などの段物をやるのに対して、祭文は和讃を口説く。節は上浦町のものとよく似ていて、どこか重々しい雰囲気の中に哀愁を誘うような雰囲気がある。
 もう一つは「供養音頭」という入れ節で、同種のものが蒲江町等にも伝わっており、「どんさく」などと呼ばれている。こちらは75調の文句をごく単純な節回しで繰り返すもので、ちょうど山国町の三勝が75調のイレコを繰り返すのと同じようなイメージ。最後はヨーヤセーで終わるようだ。
 日代地域の盆踊りはとにかく長時間で、昔は朝まで踊っていた。時代の流れや高齢化で朝まで踊ることはなくなったが、今でも12時頃まで踊るらしい。津久見扇子踊り大会のときには日代の踊りは全くしないので、対外的にはあまり有名ではないものの、素朴ながらも風情があり、また個性的でもあり、もっと知られてもよいと思う。毎年集落ごとにお盆期間中に踊っているが、この地域は高齢化と人口の減少が著しく、段々と寂しくなってきている。

八戸

 八戸地区は現在、中村と大村の2集落を残すのみとなり、願寺や与四郎の集落は廃村となっている。交通不便・林業の不振などの理由で人口の減少が著しく、盆踊りは昭和41年を最後に廃絶した。かつては、中心となる大村の集落の広場に櫓を組み、供養踊りが行われていた。踊りは祭文、三勝、三重節、お夏、由来、二上り踊りの六種類で、三重節が伝わっていたことを見ると、津久見市街地の盆踊りよりも野津町等の踊りに近いものであったと思われる。津久見市誌によれば二上り踊りは別名八戸踊りで、扇子踊りに似ているが手踊りであった由。津久見地区のヨーヤセー節(扇子踊りの音頭)の三味線が二上りなので、八戸では二上り踊りと呼んだと思われる。また、由来踊りはおそらく「エイガサーのサイトコサイ」と囃す三勝(野津町や臼杵市の一部に残るもの)であり、 こうなると「三勝」が二つあることになるが、両者は伝播時期・伝播経路が異なるために別のものとして認識されたので共存したのだろう。

無垢島

 無垢島では乙女踊りと団七踊りが踊られたようだが詳細不明。

穂戸島

 保戸島の盆踊りは日代の盆踊りとは反対に、唄が1種類だけなのに対して踊りが3種類ある。唄は「ヨーヤセー」で、延々と同じ節ではなく、ところどころに祭文の節を挟む。さきほど日代の項で説明したが、こういう唄い方は南海部地方の盆踊りに広く見られる特徴。保戸島のヨーヤセーは、津久見のものとも日代のものとも少し節が異なる。
 踊り方は、基本の踊り、乙女踊り、団七踊りがある。紛らわしいので、基本の踊りを保戸島扇子踊りと呼ぶことにする。穂戸島扇子踊りは、津久見扇子踊りとも堅浦扇子踊りとも全く違う踊り方で、扇子を軽く打つ動きや、高い位置で逆さに回す動き、左右に流す動きなどで成り立ち、弓引きはない。後ろ向きになるときに2歩でサッと回るのがとてもしなやかで、美しい。また、他の扇子踊りは扇子を広げっぱなしであるのに対して、保戸島扇子踊りは最後に扇子をたたみ、最初に1振りで開く。この扇子踊りは津久見の扇子踊りの中でも踊り方が難しい方で、勇ましさはないもののとても優雅な雰囲気。
 乙女踊りも扇子踊りだが、保戸島扇子踊りよりもずっと易しい。扇子を軽く打つ動きや高い位置で逆さに回す動きは保戸島扇子踊りに似ているが、扇子は始終広げっぱなし。扇子を回しながら、左左右、左左右と流すのが特徴で、こちらもなかなか優雅な感じがする。
 団七踊りは、他地域と同様に3人組で棒を打ち合わせて踊る。団七踊りといえば三重節か三勝に合わせて踊る地域が大部分で、一部地域では六調子に合わせて踊ることもあるが、いずれもあまり速くはないものの、そう踊り唄ではない。ところがヨーヤセーは大変悠長な唄で、これに合わせて団七を踊るというのはとても珍しいと思う。おそらく唄と踊りがセットで伝わったのではなく、踊りだけがよそから保戸島に入ってきたもので、伝来の盆踊り唄(ヨーヤセー)に合わせて踊っているのだろう。
 保戸島では、毎年盆明けに2晩続きで踊ってる。あの島には盆踊りができるような広場は1箇所か2箇所くらいしかないだろうから、島民総出の踊りになる。きっと初盆供養のほかに、先の戦争で米軍の爆撃により亡くなった保戸島小学校の児童や、戦没者、海難事故で亡くなった人など、全ての霊を慰める目的で踊っているのだろう。かなり賑やかに踊るようだ。

四浦

  四浦では、長音頭やヨーヤセーに合わせて踊るようで、三つ拍子(手踊り)、扇子踊り、うちわ踊り、提灯踊りなどの踊り方がある。かつては夜が明けるまで踊ることもあったが高齢化や人口の減少などもあり、昔ほどの賑やかさはなく、現在は遅くとも0時前後にお開きとするようだ。また踊りの種類も減少しつつあり、殊に扇子踊りは衰退している由。提灯踊りは四浦半島独特の踊り方で、隣接する上浦町にも一部伝わっているがとても珍しい。踊りは僅かに6呼間で一巡する簡単なものだが、いかにも供養踊りらしい踊りで雰囲気が良いし、のんびりとしたよい踊りだと思う。

 伝承の踊りのほかに、津久見音頭などの新民謡踊りをレコードに合わせて踊ることもあるようだ。この地域では小規模な集落ごとに踊っていて、全体としての大きな踊りは実施されていない。そのため、浦々で踊りの細かい所作や唄の節に違いがあると思われる。集落によっては二十三夜踊りも踊っているが、これも減ってきているようだ。

おわりに

 現在、日代・無垢島・保戸島・四浦の踊りと堅浦扇子踊りは各集落ごとに伝承されているのみで、津久見扇子踊り大会のときには全く踊られていない。そればかりか、八戸の踊りは全く廃絶してしまっている。今後、津久見扇子踊り大会のときに、たとえば扇子踊りと三勝の間に時間を設けるなどして、これらの地域の有志に、地元の踊りを披露してもらうなどしたら、津久見の踊りは扇子踊りと三勝だけではないということを、もっと多くの人に知ってもらえるのではないかと思う。せっかく多種多様な盆踊りが残っているのだから、もっともっと発信していってもいいだろう。
 扇子踊りはいまや日本を代表する踊りの一つとなりつつあり、海外で披露する機会もあるときく。華やかで人目を引きやすいこともあり、半ば観光化されたこともあって、津久見といえば扇子踊り・みかん・セメントというくらいに、津久見を代表する文化となっている。ほかの踊りも、津久見扇子踊りと同じくらいに貴重な文化なので、もう少し扇子踊り以外の踊りも取り上げられるようになれば、きっと伝承の一助になるだろうし、また津久見の自慢にもなるのではないだろうか。

 それにしても、八戸の踊り(三勝・祭文・お夏・三重節・由来・二上り)や下浦のぼうぶら踊り、祭文が全く絶えているのが本当に惜しいことだ。それは近年のことではないから、きっと録音や映像など何も残っていないだろう。もう今となっては昔の所作や唄の節を覚えている人もごく僅かで、復元は困難だと思う。津久見市に限らず、また盆踊りに限らず、観光化されていない地域の芸能を映像化することの大切さを実感する。

盆踊り唄一覧

  ・ヨーヤセー節(これは便宜的な名称で、一般には口説の外題で呼ぶ。

(日見) <77・77段物>
  ☆国の始まり大和の国よ(ヨーヨー)
   島の始まりゃ淡路が島よ(ヤーレ ヨーヤーセー ヨーヤセー)
  ☆鐘の始まりゃ三井寺の鐘 滝の始まり白糸の滝
(保戸島) <77・77段物>
  ☆そこで兄妹 支度をなさる(アヨーヤヨイ)
   兄の亀井が散り髪となる(ソーラ ヨーヤセー ヨーヤセー)
  ☆妹お塩がさげ髪となる 脚絆甲掛け草鞋もしめる
(徳浦) <77・77段物>
  ☆頃は人皇(ホイー) 二十と七よ(ヨーイヨーイ)
   時の大臣の(ホイー) 納言の君よ(ヨーヤーセー ヨーヤセー)
  ☆玉津姫とて一人の娘 三輪の御神のお告げをうけて
  
「三勝」(堅浦) <77・77段物>
  ☆国は豊州 海部の郡(アヨイトサッサー)
   佐伯ご領は堅田の宇山(ソレーヤートセー ヤートセ)
  ☆小村なれども宇山は名所 名所なりゃこそお医者もござる
 

「祭文」(日見) <75・75段物>
  ☆帰命頂礼 エー弥陀如来(ソリャーヤレ)
   大慈 エー大慈のご請願(ソリャエーイヤセーノ エーイヤセー)

「取立て音頭」(日見) <その他の字脚>
☆エーヤレ 取立てちょうどナー エーエー
 おん踊りようナー(エーイエーイエーイヨナ) アラ踊りよう
 取立てちょうど エーエイコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)
 アラさんさの太鼓に 手拍子揃えてノー 踊ろうじゃないかいな
  (ヤレ 踊り明かそうやエーエ 夜明けまでヤレコリャセー)

 

「チョイナ節」(堅浦) <77・75一口口説>
☆尾崎ヤブの内 小迫は都 ドッコイショ 間の花崎ゃコリャ 松のかげヨ チョイナチョイナ
☆仲間谷底 日陰の屋敷 浜は高尾で 色内名

 

「切音頭」(四浦) <77・75一口口説>
☆ソレ五万石よナ(ヨホホ) 臼杵ゃエ(ヒンヤ ヨイヨイヨイヨナ)
 臼杵ゃエ(ソリャーソリャ) 五万石サ エーコノサンサ(ヤレエイエイサンサ)
 「ソレ若い衆張り込め 今宵が限りぞな」
 臼杵の城は(ヤレ根から生えたか エイエイ浮き城か ヤレコラセ)
☆宮島は 安芸の 安岐の 宮島は
 「丁とれ半とれ 娘にゃ婿とれ」
 まわれば七里(浦が七浦 七えびす)