志賀盆踊り

はじめに

 県教育庁による『大分県文化財調査報告第68輯』を見ると、大野地方から数多くの盆踊り唄が採集されている。豊後大野市役所の方に教えていただき、朝地町志賀地区の盆踊りを訪ねることができたので、まだ詳しくわかっていないことも多いが、とりあえず今の段階でわかったこと・考えたことを一度まとめてみたい。いずれは朝地町全体の、また大野地方全体の盆踊りをまとめる記事が書ければと思っているが、それはまだ何年も先のことになるだろう。

民俗資料・無形民俗文化財としての志賀盆踊り

 志賀の盆踊りは、昭和42年に朝地町から民俗資料(無形民俗文化財)に指定されている。大野地方は神楽や白熊、盆踊りなどが盛んな土地柄で、文化財に指定されているものも多い。
   朝地町
    ・志賀盆踊り 昭和42年
    ・上尾塚盆踊り 平成6年
    ・志屋盆踊り 平成8年
   大野町
    ・津留盆踊り 昭和47年
   三重町
    ・芦刈団七踊り 昭和53年
    ・白山扇子踊り 平成16年
   清川村
    ・伏野盆踊り 平成11年
 上記以外にも、緒方町の原尻や馬場、千歳村の長峰、犬飼町の黒松、野津町の野津市や川登など、各地各様の盆踊りが伝承されている。ただ、全体としては、神楽にくらべると盆踊りはやや下火になってきているように思われる。きっと生活に密着した行事・唄のため、また近隣の唄や踊りとの差異を知らないために、地元の人にとってはそれが貴重なものであると考え難い面があり、あまり重きをおかれないような状態になってしまいがちなのだろう。そのため神楽や白熊、棒術などの芸能に比べると、観光化されていない盆踊りは、その地域から外に向けて発信されることなく、細々と地域内でのみごく普通の年中行事として受け継がれていくことが多い。したがって、大野地方の盆踊りはやや下火になりつつあるとはいえ、逆に考えればまだまだ「生きた民俗芸能」としての余命を保っていると言えなくもないだろう。
 文化財に指定されているかどうかで、盆踊りの価値の上下が決まるとは思わない。個人的には、それがイベント的なものなのか、または生活に根ざした年中行事的なものなのかということが、その価値を決める指標になると思っている。文化財の指定要件はよく知らないが、盆踊りに関していえばおそらく、踊りの種類が特に多い・珍しい踊りがある・古い様式を保っている・伝承が困難になりつつあるなどの事由があるのではないかと思う。したがって文化財に指定されているということは価値のあるものに違いはないのだが、それを他との比較基準にして安易に価値の上下を決めてしまわないように気をつけていきたい。
 随分前置きが長くなってしまった。志賀の盆踊りは、大野地方の中でも最も早い時期に文化財に指定されている。昭和42年という年代を考えると、おそらく近隣の他集落でもまだまだ盛んに盆踊りが行われていたと思われる。その中で志賀の盆踊りが特に指定されたというのは、踊りの種類が多かったということがまず考えられる。また、大野町津留の盆踊りも踊りの種類の多いことで有名だが、津留の踊りは志賀から伝わったと言われている。そのようなこともあって、特に早い時期に志賀の盆踊りが指定されたのだろう。志賀の公民館の外壁に、文化財に指定されていることを示す大きな看板が取り付けられていた。それは随分古いものだったが、きっと志賀の人々の誇りになっているに違いない。昭和42年から既に45年ほど経過しており当時の様子を偲ぶよすがもないが、次項より平成24年現在の志賀盆踊りを紹介する。

平成24年の志賀盆踊り(当日の様子)

 24年の夏は、やっと朝地の盆踊りに、しかも志賀の盆踊りに行けるということで、指折り数えてその日を待っていた。勝手な想像で、近隣集落からも人がたくさん集まるわりと大規模な盆踊りを思い浮かべていたのだが、当日あちこちで人に尋ねて、ようやくたどり着いた志賀の公民館の坪は狭く、集落の人だけで行われる小規模な盆踊りであることがわかった。昔のように賑やかではなくても、地域の人の生活に根ざした盆踊りであることが想像できて好感が持てたし、いよいよ期待感も増す。坪の周りには空き缶を吊り下げて火を灯しており、それが長閑な風景によく合っておりとても雰囲気がよかった。きっと、緒方町辺りでよく見られる「虫送り」の行事に関係する何かだろうと思った。
 夕方5時過ぎ、まだ明るい中、盆踊りが始まった。櫓はない。太鼓など一切使わず、坪の隅で何人かの男性が口説きやお囃子をしていた。静かな山間の里に、昔ながらの素朴な盆踊り唄がひびき渡り、虫の声ととけあって何とも言えないよい雰囲気を作り出す。踊りの輪はごく小さな一重で、左回り。10人かそこらしか踊っていなかったが、見ごたえのあるものだった。揃いの浴衣を着ているわけでもなく、思い思いの普段着で、思い思いに踊っている志賀の盆踊りには、何百人も出る大規模なイベントの踊りや保存会が一糸乱れぬ動きを披露する踊りよりもよほど価値があるように感じた。二つ拍子から始まり、杵築踊り、弓引き、銭太鼓五つ、麦搗きと踊って休憩。風切りの練習をして、再度二つ拍子から麦搗きまでを繰り返して6時頃に踊りはお開きとなった。踊りの種類は随分減っているように思われたが、それでも6種類の踊りを踊り、しかもその一つ一つが手踊り、扇子踊り、銭太鼓踊りと変化に富んでいる上に所作が独特だったので、非常に興味深かった。詳細は次項に譲る。
 踊りの後は公民館でお座があり、集落の人の親睦を深める機会になっているようだった。1時間足らずの小規模な踊りだったが、行ってよかったと思う。それは、朝地の盆踊りの唄や踊り、様式を知るきっかけになったというのももちろんあるのだが、それ以上に、あの山里の生活に根ざした盆踊りに接することができたからである。派手ではないが、静かな感動を覚えた。また、突然訪ねていったよそ者に、皆さんとても親切にして下さった。とてもよい思い出になったし、知らない踊り・唄を6種も覚えることができた(ウロ覚えだが…)。十年後、二十年後のことがやや気にかかったが、どうにか盆踊りが受け継がれていけば…と思う。

各踊りの詳細

・二つ拍子
 盆踊りの最初に踊る。ごく素朴な手踊りで、両手を左右対称に振り上げて円を描くようにしながら継ぎ足で進んで一回りするような踊り方。途中、足を浮かせて後ろに踏みながら手拍子をして右後ろに捨てる所作が入る。両手を左右対称に振り上げるのは野津町の踊りと少し似ているが、野津のように手首を返したりはしていなかった。また足運びが決定的に異なり、野津の方では片足を蹴り出して反対の足、蹴り出した足を2歩出るのに対して、志賀では継ぎ足を最初に出した足に揃えて、いちいち束足にしながら進んでいく。こちらの方が大人しい印象を受ける。
 唄の節は「杵築踊り」と同様、田舎風の易しい節回し。「弓引き」や「銭太鼓五つ」「風切り」ほど印象に残らない唄だったが、志賀の盆踊りの中では特に古くから唄われている唄ではないかと感じた。大昔、初盆の家の坪で盆踊りをしたときには、この唄にあわせて踊りながら坪に繰り込んだりすることもあったのかもしれない。

・杵築踊り
 速見・東国東地方の「六調子」と元々は同じ唄と思われるが、節回しがずいぶん変化している。サノヨイサノヨイとか、ヨーイサッサーヨイサッサのお囃子に「六調子」の名残が感じられたが、それと知らなければちょっと気付かないほどだ。踊り方も、速見地方・東国東地方の「六調子」や西国東地方の「杵築踊り」とは全く異なる。「二つ拍子」と同様、両手を左右対称に振り上げて円を描くようにしながら、いちいち束足になりながら継ぎ足で進んで一回りするような踊り方。途中、3歩程度継ぎ足で後ろにさがる部分があるが、そこに杵築や安岐辺りの六調子の踊り方が僅かに残っているといえる。
 無伴奏で唄うということもあるのだろうが、田舎風の素朴な節で、のんびりとした印象を受けた。易しい手踊りなので親しみ易い。

・弓引き
 扇子踊り。使うのは揃いの日の丸扇子で、段ボール箱にいれて公民館で保管しているようだった。めいめい1本ずつ箱の中から取って踊っていたが、まだ箱の中にはたくさんの扇子が残っていた。きっと昔はそれでも足りないほど踊り手が多かったのだろう。今は小さな輪になってしまっているが、それでも立派な一重円ができている。
 この唄はゆったりとした節回しで、「風切り」に似ているがこちらの方がやや田舎風な印象を受けた。おそらく、堅田踊りの「兵庫節(那須与一)」や「男だんば」、また玖珠地方の「兵庫節」と同系統の唄だと思うのだが、現在節回しは全く異なる。「弓引き」の名は、踊りの中に弓を引くような所作が入っているためで、きっと「那須与一」の口説に由来するのだろう。
 難しい踊りではないが、所作がよく工夫されており扇子をくるくると翻す優美さと弓を引く所作の勇ましさを兼ね備えている。津久見辺りの扇子踊りとは所作の一つ一つが全く違っており、弓の引き方も違う。右上で扇子をこね回して左下にささげるのを繰り返し、二つ拍子と同じように左右対称に振り上げながら継ぎ足の束足で一回りし、扇子を持つ右手を左に伸ばし、それを今度は右に引いてサッと足を入れ替えて構えるような踊り方だった。「風切り」と同様、舞台栄えする踊りで、あまり有名ではないが見るだけでもおもしろい見事な踊りだと思う。

・銭太鼓五つ
 銭太鼓踊り。銭太鼓とは、カスタネットや鳴子のような振ると音のなる道具の下に長い房飾りのついたもので、大野地方の盆踊りでよく使われるものである。おそらく土地々々で細かい部分は異なると思うが、志賀で使っていたのは白い房飾りがついていた。
 この踊りのときは、左手に扇子、右手に銭太鼓を持って、右に左に反転しながら銭太鼓の房飾りを振り回して踊る。そのときに両手を細かく揺すって、扇子をひらひらさせながら銭太鼓を鳴らす。唄の節は三勝で、唄い出しの部分は素朴な感じだがお囃子のところで陰旋法になるので、どこか暗いような雰囲気。同じ三勝でも、野津町の三勝(由来)とは随分印象が異なる。
 銭太鼓踊りは大野地方・直入地方でしか見られない踊りなのでとても珍しく思い、興味深かった。銭太鼓のカチカチカチという音を生かすだけでなく、房飾りを振り回して反転する所作が何とも勇ましく、それでいて扇子をひらひらと細かく揺する所作には優雅さも感じられ、とてもよく工夫された踊り方だと思う。踊りの手数は少ないのに、見ていて全く飽きない。銭太鼓は私物のようで、持っていない人は手拭やタオルを持って踊っていた。

・麦搗き
 盆踊りの最終に唄うもので、扇子踊りだが二つ拍子と同じ踊り方。所作は二つ拍子と全く同じなのに、扇子を持っているだけで雰囲気がまるで異なる。
 この踊りは大野地方・直入地方で広く唄い踊られるもので、志賀の節回しは直入町長湯のものとほとんど同じだった。おそらく麦搗きの作業唄を転用したものと思われ、音頭と囃子が何度も行ったり来たりするのも作業唄の名残だろう。下の句の返しが風変わりで、長湯などでは「末は鶴亀、鶴亀末は、五葉の松」と唄うのを志賀では「末は鶴亀、鶴亀、五葉の松」と唄っていたのがおもしろく感じた。素朴だが変化に富んだ節回しで、また音頭取りの口説の合間々々に踊り手が「アラドッコイ」とか「サマセーヨヤナー」などと囃すので一体感が増すような気がして、それがまた山間の志賀の里の風景とか夕暮れの雰囲気にとてもよく合っていた。

・風切り

 扇子踊り。要の部分ではなくて、角のところの隅をつまんでヒラヒラと翻しながら踊っていた。ゆったりとした踊りで、輪の中を向いたり外を向いたりするのを繰り返し、あまりその場から動かない。あまり見たことがない所作だった。唄の節は「弓引き」に少し似ているが、こちらの方がテンポが遅く暗い感じがする。平成24年には「練習」とのことで2節程度唄い踊っただけだったが、思い出し思い出しではあるものの踊りもそれなりに揃っていた。とてもよい踊りで、少し工夫すれば踊りの発表会や敬老会などの際にステージで正面踊りをするときにも使えそうな踊り方だった。
 なお、読みは「かぜきり」でなく「かざきり」。ゆったりとした唄であまり風を切るような雰囲気ではないものの、多分扇子の隅をつまんで翻す様子から「風切り」と呼んだのだろう。

・猿丸太夫
 この踊りは踊らなかったが、文句を見るとどうも熊本県高森町の「猿丸太夫」と類似した節のように思われる。高森町の「猿丸太夫」はNHKの民謡大観に収録されているのが、その節は湯布院町の「笠づくし」にやや類似しており、同系統のようだ。鶴崎踊りの「猿丸太夫」とはずいぶん異なる。高森を含む阿蘇の盆踊りは大分県(竹田市、荻町、久住町)から伝わったとのことだから、志賀のものと節が似ていても不思議ではない。

・団七踊り(三重節)
 団七踊りは大野地方を中心に大流行したらしく、朝地町では特に志賀地区で盛んに踊られたようだ。もしかしたら「志賀団七」の「志賀」に親しみを覚えてのことだったのかもしれない。しかし、平成24年には踊らなかった。思うに、この踊りは3人組で棒を打ち合って踊るので、あの小さな輪ではいろいろと難しい面があるのだろう。また、棒を準備するのが手間だからというのもあると思う。

・かますか踏み
 この踊りは踊らなかったが、緒方町などと同様手踊りであったと思われる。「かますか(かまつか)」という川魚は川底にいて、足で踏んで捕まえる。踊り方がその動作に似ているので、「かますか踏み」と呼んでいるとのこと。志賀の節はわからないが、緒方の節は三勝をずっと田舎風にしたような長閑な節回し。

・庄内踊り
 この踊りは踊らなかった。囃子言葉を見る限り庄内町や挾間町で踊る「田の草」に類似しており、それが朝地にも根付いたものと思われる。庄内から伝わった踊り、庄内の踊り、といった意味で「庄内踊り」と呼んだのだろう。つまり「杵築踊り」と同じような呼称である。

 

・佐伯踊り

 これも踊らなかったが、千歳村や犬飼町のものと似通った節回しだったのだろう。堅田踊りをはじめとして南海部地方で盛んに踊られる「長音頭」が根付いたもので、佐伯の方の踊りという意味で「佐伯踊り」と呼んだと思われる。

・伊勢音頭)
 残念ながらこの踊りも踊らなかったが、佐伯踊りと同様、千歳村や犬飼町のものと似通った節回しだったのだろうと思う。

昭和30年代の志賀盆踊り

 大分県立図書館で、大分合同新聞の古い記事を見ることができる。昭和34年8月21日の朝刊に、簡単に志賀の盆踊りが紹介されている。それによれば、明治初年、旧岡藩の田中某が朝地町志賀に住んで、県内外から広く盆踊りを集めた。そのため各地で廃れた踊りが志賀で復活し、反対に近隣地域に志賀の盆踊りが広まっている…と。当時、志賀には17種の踊りがあったそうだ。上記12種のほか、祭文や大阪踊り、銭太鼓七つ、エイガサー等も踊っていたのだろう。また庄内踊りは、やはり庄内町方面由来の踊りで「縁故関係で伝わってきた」由。庄内からお嫁に来たか、または親戚関係のある人が志賀の人に「庄内踊り」を教えたりしたことがあったのかもしれない。

おわりに

 志賀の盆踊りに行ったことで、大野地方の中でも謎のベールに包まれていた大野町・朝地町の盆踊りのことが少しだけわかってきた。しかしこれは入口に過ぎず、まだまだわからないことだらけだし、行ってみたい盆踊りも多い。これから、時間はかかるだろうが少しずつわかったことをまとめていきたい。
 当日、志賀地区の皆様には本当に親切にしていただいた。ありがとうございました。

盆踊り唄一覧

「二つ拍子」 <77・77段物>
☆揃うた揃うたよ踊り子が揃うた(ヤレショーヤレショー)
 秋の出穂よりゃ品よく揃うた(ヨーイヨーイ ヨーヤーセー)
 
「杵築踊り」 <77・77段物>

☆何を言うても国からが先(サノヨイ サノヨイ)
 国は近江じゃ石山源氏(アーヨーオイサッサー ヨイサッサー)
 
「弓引き」 <77・77段物>
☆よいな何方も弓引きしましょ チョイトエー(セガセー セガセー)
 やれさそじゃそじゃ その調子なら(アーヤッサガホイナー ヨーヤルナー)

「銭太鼓五つ(三勝)」 <77・77段物>
☆今度踊るは銭太鼓の五つ(ヨイトセーヨイトセー)
 できたできたよその調子なら(アラヤーンソーレ ヤンソーレナー)

「麦搗き」 <77・75切口説>

☆ヤレー 千秋ナー(アラドッコイ) アー万歳(アラヨーヤサノヨイヨイ)
  イー思う(アードッコイ) こた叶うた(サマナー ヨヤナー)
  ヤレー 末はナー(アードッコイ) アー鶴亀(アーヨーヤサノヨイヨイ)
  鶴亀ナー ヨーイヤナ(サマナー ヨヤナー) アー五葉の松
  (サノセーノ)ドッコイ (ヨーイヤセーノ)ソラ (ヨイヤナー)
 
「風切り」 <77・77段物>
☆奥の一間に花ゴザはえて(ヨイトナー ヨイトナー)
 酒やタバコをゆるりとあがれ(ハーヤッサガホイナー ヨーヤルナー)
 
「猿丸太夫」 <75・75段物>
☆猿丸太夫は(コリャコリャ) 奥山の 紅葉踏み分け鳴く鹿の
 (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサー トッチンリンリン トッチンリンリン)
☆忠臣蔵なる初段目の 初段目 鎌倉 鶴ヶ岡
☆鶴ヶ丘なる神殿に 数多の兜を飾り立て
 
「団七踊り(三重節)」 <77・77段物>
☆ここに説きだす志賀団七の(ヨイトセーヨイトセー)
 エー いわく因縁 口説いてみましょ(ソラ ヤートセイセイ ヤートセー)

「かますか踏み」 <77・77段物>
☆これのナー 元をば細かに問えば(ヨイトナー ヨイヨイ)
 豊後岡領はお城がござる(アーヤーンソーレ ヤンソレナー)
 
「庄内踊り」 <77・77段物>

☆老いもソラ 若いも皆さん方よ(ヨーイトナー ヨーイトナー)
 聞いてたしなめ世界のことを(アラヨーヤサノセー ヨーヤサノセー)

「佐伯踊り」 <77・77・77段物>
☆佐伯エー 領土や堅田が宇山(ヨイヤヨーイ) 山じゃないぞえ堅田が名所
 エー名所(アドッコイ) なりゃこそお医者もござる
 (ソリャー ヨイトセー ヨーイヨナー)
 
「伊勢音頭」 <77・75切口説>
☆様よ出て見よ(ソコセーソコセー) 御嶽山は(アーソーコセー ソーコセー)
 みかん売り子が ソリャ灯をとぼす(ソレカラ ヨーイヤセーノ ヨーイヤセー)
 (ハレワイセー) ソラ(コレワイセー ササ ナーンデーモセー)