津留盆踊り

はじめに

 大野町大字夏足の津留集落の盆踊りは踊りの種類の多いことで有名で、昭和47年には大野町指定無形文化財(現・豊後大野市指定)になっている。まだ行ったことがないが、昭和55年発行の『大分県大野町史』に詳しく紹介されているので、それを引用しつつ概要を書きとめておきたい。30年以上前の本なので情報がやや古いが、近い将来、津留の盆踊りを訪れる機会があれば、比較対照としての価値もあるかと思われる。

概要

 明治初年に朝地町志賀から伝わった由。志賀の盆踊りはよほど盛んだったようで、緒方町などあちこちの地域の盆踊りについて、「志賀から伝わった」「志賀からお嫁に来た人が皆に踊り方を教えてくれた」などの話が多く残っている。津留の盆踊りもその一例である。

 毎年8月14日に、広場で行われている(寄せ踊り)。伴奏は太鼓のみ。昭和55年現在、二つ拍子・祭文・杵築踊り・大阪踊り・三勝・佐伯踊り・弓引き・風切り・団七踊り・猿丸太夫・麦搗き・かますか踏み・三つ拍子の計13種類の踊りが伝わっていた由(現在はこれより減少しているかもしれない)。さらに昔は、25種類もの踊りが踊られていたと伝えられているそうだが、25種類の踊りを全ての初盆家庭で全部踊るのは時間がかかりすぎるので、或いは、この地域では盆踊りが伝えられたとされる明治初年より寄せ踊りで供養踊りをしており、初盆の家を順々に廻る形式の供養踊りはしていなかったのかもしれない。

盆踊り唄集

「杵築踊り」 <77・77段物>
☆何を言うても国からが先(サノヨイ サノヨイ)
 国は近江じゃ石山源氏(アーヨーイサッサー ヨイサッサー)
 
「猿丸太夫」(大野町夏足) <77・75切口説>
☆猿丸太夫は(コリャコリャ) 奥山の 紅葉踏み分け鳴く鹿の
 (ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤーサー トッチンリンリン トッチンリンリン)

「団七踊り(三重節)」 <77・77段物>
☆二十と四間の二重の矢来(ヨイヤセー ヨイヤセー)
 エー 中で本懐遂げたる話(ソリャヤートソレソレ ヤートコセー)

「銭太鼓踊り(三勝)」 <77・77段物>
☆今度踊りは銭太鼓の七つ(ヤレショー ヤレショー)
 先の太夫様およこいなされ(アーヤーンソーレ ヤンソレサイ)
 
「風切り」 <77・77段物>
☆先の仕口とまた延ばします(ヨイトナー ヨイトナー)
 背は小兵でござ候えど(アーヤッチョイナンサー ドッコイセー)
 
「弓引き」 <77・77段物>
☆月に群雲 花には嵐 コリャセー(コリャセーコリャセー)
 おごる平家に咲いたる花が(アーヤッチョンナンサー ドッコイサー)

「かますか踏み」 <77・77段物>
☆川べたナー 今朝頃かますか踏みよ(ヨイトナー ヨイヨイ)
  水も出頃で踏みようござる(アーヤーンソーレ ヤンソレナー)

 

「佐伯」 <77・77・77段物>
☆佐伯エー 領土や堅田が宇山(ヨイヤヨーイ) 山じゃないぞえ堅田が名所
 エー名所(アドッコイ) なりゃこそお医者もござる
 (ソリャー ヨイトセー ヨーイヨナー)

 

「麦搗き」 <77・75切口説>
☆エー こよさナー(アドッコイ) どなたも(アヨーヤサノヨイヨイ)
 エーご苦労(ドッコイ) 労でござるナー(サマーヨイヤナー)
 ヤレ これにマー(アドッコイ) こりずと(アヨーヤサノヨイヨイ)
 こりずとノー ヨーヤルナー(サマーヨイヤナー) またおいで
 (サマセーヨ) ドッコイ(ヨイヤセー エーヨー) ソコ(ヨイヨナー)

 

「伊勢音頭」 <77・75切口説>
☆伊勢へナー 七度熊野へ三度(ヨーイヨイ)
 愛宕様にはヤンレ 月まいり(アラヤートコセーノヨーイヤナ
 アーレモサイ コーレモサイ コノヨーイヤナ)
 

「祭文」 <77・77段物>
☆今度切り替え祭文でやろなホホンホー(アラドスコイ ドスコイ)
 しばしナー 間はお手振りなされ(ソレー ソレー ヤトヤンソレサイ)