馬場盆踊り

はじめに

 緒方町の盆踊りといえば原尻地区のものが知られているが、他の集落にも個性豊かな盆踊りが残っている。ここでは緒方町の中心部である、馬場地区の盆踊りを紹介したい。2013年に踊りに行ってみてわかったことを中心に書き留めておく。

概要

 馬場地区の供養踊りは例年8月15日に、緒方駅前の広場で実施している。数日前より踊りの練習をしているとのことで、子供からお年寄りまで幅広く参加し、大きめの一重円が立っていた。また口説・太鼓も毎年練習している由。その甲斐あって音頭さんも皆お上手だった。

 踊りの種類は地踊りが6種類、新作が1種類。まず新作の緒方音頭から始めて、ある程度輪が立ったら地踊りに移行する。八百屋、猿丸太夫、風切り、伊勢踊りの順に踊って中入れ(休憩)。次は団七で(輪踊りではない。後述)、再度、八百屋で輪を立てて、輪が立ったらすぐに二つ拍子に切り替えて終了。ここまでざっと1時間程度。多分、昔はもっと踊りの種類が多かったのだろう。

 風切りと伊勢踊りで使う扇子や、団七で使う綾棒は地区で共有しているようで、その踊りの前にめいめいが箱の中から取り出していた。また手踊りから綾踊り(道具を使う踊り)に移行する際は準備の都合もあって切れ目なしに切り替えるのではなく、一旦音頭を止めて準備をするように指示し、準備が整ってから再開するというやり方だった。それでも前の踊りの最終に「~品替えましょか、続く踊りは…」などの文句が出てきており、ある程度は連続性を持たせていた。従って鶴崎踊りや堅田踊りのように各踊りが完全に独立しているわけではなく、間を開けながらも一連のものとしての一体性が少しは保たれているといえる。

 詳しくは後述するが踊りがどれも個性的でおもしろく、所作がよく工夫されていると感じた。伊勢踊りはややハードルが高いが、他はそう難しくはない。手踊りの所作や、扇子の使い方に大野地方の踊りの特徴が色濃く出ている。

各踊りの特徴

八百屋

 最初に踊るもので、同種の踊りが犬飼町などでは「佐伯踊り」として伝承されている。これは「佐伯から伝わった踊りといった程度の意味だろう。それもそのはず、明らかに堅田踊りの「長音頭(大文字)」と同種である。もちろんある程度は郷土化しており、長音頭よりもずっと田舎風の印象を受ける。1節に3句(七七の字脚×3)を口説くので節回しが変化に富んでおり、お囃子も賑やかでおもしろい。「八百屋」の呼称は、かつてこの唄で「八百屋お七」を盛んに口説いていたためと思う。口説の外題を唄自体の名称に援用する事例は南海部地方に広く見られ、八百屋が長音頭由来であれば合点がいく。

 踊りは手踊り。16呼間で1巡する点、前に出たり後ろに下がったり、一回りしたりする間合いなども、堅田踊りの長音頭とまるで一致している。細かく見れば足運びにも差異はあるも、同種と見てまず間違いはないだろう。手の所作は大野地方に広く見られるように、両手を左右対称に開き下ろしてはすくって戻したり手拍子を打ったりする所作を盛んに使っている。この所作にも地域性があり、馬場のものは朝地町志賀のように、かなり高い位置を基準にしており、両手の描く輪が小さめである。反対に野津町などでは手の位置の基準が低いので描く輪が大きい。

 慣れれば易しいが踊りのタームがやや長いため少し覚え辛いが、人気の高い踊りのようで子供からお年寄りまで特によく踊っていた。

猿丸太夫

 猿丸太夫といえば一般に鶴崎踊りのものがよく知られているが、かつては大分県から熊本県の山間部を中心に広く流行した時期があったようだ。馬場の猿丸太夫は、節回しは大野地方や熊本県の小国町などで唄われるものと同じで、鶴崎踊りのものとは随分印象がことなる。鶴崎のもののように長く引っ張って唄ったりせず、やや間が詰まっておりテンポもそう遅くはない。特にお囃子の部分は違いが顕著で、鶴崎ではヨイーヨーイー、ヨイーヨイー、ヨイーヤーサーと長く引っ張るが、大野地方ではヨイヨイヨイヨイ、ヨイヤサーと一気に唄っている。またトッチンチンリントッチンチンリンと口三味線を思わせるお囃子もついているが、これも鶴崎踊りの三味線の手とはまるで違っている。これはどういうことかというと、おそらく馬場をはじめ大野地方一円で唄われている猿丸太夫の方が古い節で、鶴崎踊りのものはより上品に、洗練された節なのだろう。確かに、大野地方の猿丸太夫を長く引っ張って唄うと、鶴崎の節にかなり近くなる。また、鶴崎では「猿丸太夫は奥山に…」云々の文句を排除し「来ませ見せましょ」云々で唄い始めているのに対して、大野地方では「猿丸太夫は…」の文句で唄い始めていることからも、大野地方のものの方がより古い唄い方ということが推測できる。

 踊りの方は、これも手踊りで八百屋よりもずっと易しい。継ぎ足をしながら両手首を高い位置で向こうに返しながら握った指先を開くのを繰り返して進んで行って円心を向き、 右足を左足前に交叉させて両手を右に伸ばし、小さく招いて下がって手拍子を打つだけ。それでも、シナを作った踊り方はなかなかきれいで、八百屋よりも上品な感じがする。踊り方も鶴崎踊りとはまるで違うも、握った指先を開いたりする点など、僅かに共通点も見出せる。

風切り

 読み方は「かざきり」。短調の暗い節回しで、テンポはゆったりとしている。この唄は大野地方のうち、西部に広く残っている。また馬場には残っていないが、これと同種の唄に「弓引き」がある。節回しやお囃子が随分似通っており、伝承地域もほぼ重なることから、元をたどれば同じ唄なのだろう。「風切り」「弓引き」ともに踊り方からの呼称と思われ、どちらが古いのかは今となってはわからないが、もとあった唄から新しい節が別れ、それにまた新しい踊りがつき、「風切り」「弓引き」と全く別個の唄・踊りとして認識されるに至ったのではないだろうか。

 風切りは踊り方が随分変わっていて、輪踊りでありながらめいめいがその場から全く動かず、ずっと輪の中を向いたまま踊る。扇子踊り。右手で扇子を細かく、そして素早く左右に仰ぎながら上げたり下ろしたりし、両手で扇子を持って右に下ろし、すくって左に下ろしたりを繰り返し、左手を扇子から離して左右に流すだけの簡単な踊り方。津久見をはじめとして海部地方に広く見られるような、扇子の要付近を持って横8の字にくるくると回すような所作は一切なく、子供でも簡単に踊ることができる。

 朝地町志賀にも風切りが残っているが、馬場のものとは踊り方が全く違う。その場から全く動かないのは同じだが、志賀ではその場で一回りする。「風切り」「弓引き」と似通った唄が大野地方西部一体に広まっていく中で、どちらも扇子踊りであるということから、踊り方にもあちこちで混同・混乱が見られ、その土地なりの区別で伝承されていったことが推測できる。

伊勢踊り

 県内には伊勢音頭を盆踊り唄や作業唄に利用した例が多く見られるが、馬場の伊勢踊りもその一つ。「伊勢は津で持つ…」とか「吉田通れば…」の文句でよく知られているお座敷調の伊勢音頭に比べると、随分と田舎風の印象を受ける。音引きを多く挿入して節を長く引き伸ばして唄っている上に、お囃子を除いて全体的に陽旋化しているのも田舎風な印象に拍車をかけている。多分、流行小唄としての伊勢音頭を直接盆踊り唄に転用したのではなく、池普請か何かの作業唄として唄われた伊勢音頭を盆踊りにも転用したのではないかと思う。盆踊り唄として唄う前の段階で、既に音引きの多用や陽旋化などの改調がなされていたのだろう。

 これも扇子踊りだが、踊り方は風切りよりもずっと難しい。現在馬場で踊られている六種類の地踊りの中では最難関の踊りで、踊りがやや揃いにくい。扇子の親骨の、要ではない方の端を右手でつまんで踊る。この扇子の持ち方は海部地方では全く見られず、大野地方独特のもの。左手を前に差し伸ばしておいて、右足を蹴り出しながら右手の扇子を下から前に素早くすくいあげ、車が輪を描くように顔の前でくるりと縦に回したらそのまま横にひねって、左足を束に寄せながら両手を小さく開いて止める。この所作を繰り返して、途中で左右に流したりしながら踊り進めていくのだが、何と言っても扇子の扱い方が難しい。要に近いところを持って横8の字に回すのは易しいが、扇子の角のところを持って縦回しから横8の字に続ける回し方は、頭ではわかっていてもなかなかきれいに回せない。唄は田舎風だが、踊り方は堅田踊りや鶴崎踊りに匹敵する優雅さで、正面踊りにしても通用するほど見ごたえのあるものである。あの扇子の使い方は、盆踊りでは全国的に見てもかなり珍しい部類と思われる。

 踊り名称について、近隣地域では「伊勢音頭」としている例が目立つが、当地においては「伊勢音頭」でなく「伊勢踊り」であると強調していたのでそれに従った。どちらにしても、唄自体は伊勢音頭の変調であり、踊り方は伊勢地方とは全く関係がなく大野地方独特のものである。

団七

 団七というのは踊り方からの呼称であり、唄は「三重節」だった。三重節は大野地方一円に広く伝承されているが節回しには地域差が見られる。野津町や三重町大白谷の三重節は節回しの上り下りの振れ幅が大きい上に細かい節をたくさん挟み、しかも下の句の頭を長く引き伸ばすなど、田舎風の唄でありながらわりと技巧的な唄い方をする。それに比べると馬場の三重節はそこまで節が細かくないし、下の句の頭が詰まっていて素朴な印象だった。

 ここの団七踊りは県内の他地域と同様に3人組で踊るが、その場から全く動かない。それで、馬場では輪踊りではなく、大体3列程度の縦隊になるように、めいめいの組がお互いの邪魔にならないような場所に散らばって踊っていた。玖珠地方や日田地方の団七踊りでは前後の者が1本、中の者が2本の長い棒を持って踊るのに対して、ここでは前後が長い棒を1本、中は左手に扇子、右手に短い棒を1本持って踊っていた。そのため前後と中とで挟み打ちをするように棒を打ち合うのではなく、前と中、中と後というふうに交互に打ち合って踊る。従って中の人は常に前か後ろと棒を打ち合っているのに対して、前後の人は1呼間おきに中の人と打ち合うことになる。長い棒の両端には房がついていて、地面を棒でトンと叩くような所作はなく、中の人と打たないときは棒をグルグルと振り回していた。後ろの人は常に前を向いたままだが、前の人は中の人と打ち合う度に棒を振り回しながらその場で反転しており、かなり忙しそうな様子だった。勇ましい中にも房をつけた棒を振り回す華やかさもあり、よく工夫された踊り方である。

 3人が完全に自分の所作を把握していないとその組は立ち往生してしまうので、それなりに練習が必要な踊りだと感じたが、中高年以上の人だけでなく子供までよく踊っているのには驚かされた。おじいさんおばあさんと、お孫さんと思われる組や、また仲の良いお年寄り同士の組など、めいめいが楽しく上手に踊っていた。これも伊勢踊りと同じく、舞台等で発表するのにも十分通用するような踊りである。

二つ拍子

 二つ拍子というのも踊り方からの呼称で、踊りの手が一巡する間に2回手拍子を打つことからそう呼んでいる。唄自体は近隣地方で一般に「麦搗き」と呼んでいるもので、作業唄の転用。ここでは米搗きの文句で唄い始めていたが、米や麦などいろいろな穀物を搗くときの「もの搗き唄」として唄われていたのだろう。音頭とお囃子とが頻繁に行ったり来たりする点に作業唄としての名残が色濃く表れている。

 踊り方は八百屋をずっと簡単にしたような手踊りで、ずっと輪の向きを向いたまま踊る。朝地町志賀の「麦搗き」は扇子踊りで、手踊りの二つ拍子を扇子踊りにかえただけのものだが、志賀の二つ拍子と馬場の二つ拍子は踊り方がまるで異なる。馬場の二つ拍子は、志賀のものをずっと簡略化したような雰囲気だった。

 緒方町では盆踊りの最終に「かますか踏み」か二つ拍子を踊ることが多いようだ。そして二つ拍子を最終に踊る場合は、まず「麦搗き」に合わせて踊り、踊りの手はそのままに唄の節を「切り上げ」に替えて数節唄ってお開きにする例が多かったようだが、馬場では「麦搗き」のまま終了している。「切り上げ」は「きそん」とか「さんさ節」などと呼ばれる唄で、佐賀関以南の沿岸部に「切り音頭」あるいは「取立て音頭」(輪立ての唄)として広く伝承されており、同種のものが四国や広島でも唄われていたようだ。

おわりに

 

 馬場は、朝地町志賀や大野町津留、緒方町原尻などのように「踊りどころ」として著名な地域ではないも、踊りはまずまず盛んだと言えそうだ。しかも残っている地踊りがどれも個性的でおもしろい踊りばかりで、見学するだけでも十分に楽しめる。

 大分県下各地で地踊りの伝承が困難になりつつあるが、馬場地区は口説・太鼓・踊りの伝承にかなり力を入れているようだ。現在踊られている6種の地踊りは、当分の間は無事伝承されるだろう。イベント的な観光目的の盆踊りではなく、地域の初盆供養として行われる生活に根ざした年中行事の盆踊りであり、とても価値が高い。当たり前のような行事こそが「生きた民俗芸能」であり、貴重なものだと実感した。