内成盆踊り

はじめに

 別府市大字内成はかつて挾間町と同一の文化圏であったこともあり、当地の盆踊りは別府市内の他の地域とは趣きを異にしていた。昭和50年代までは数多くの地踊りが残っていたことが確認されているも、時代の流れとともにその殆どが消滅している。この記事では、内成の盆踊りについて、昔の様子と現状をまとめておきたい。

昭和55年頃の様子

 『文化財調査委員会結成30年記念 内成・隠山総合調査報告書』(昭和57年)に、当時の内成盆踊りの様子が詳しく紹介されている。それにより分かったことを下記にまとめる。

・太鼓を使わずに、口説にあわせて手拍子・足拍子で踊る。
・音頭取りも踊りの輪に入って、踊りながら口説くことが多い。
・踊りは、けつらかし、田の草踊り、二つ拍子、一つ拍子、祭文、三勝など
・鶴崎踊り(猿丸太夫)を取り入れたこともあるが長続きしなかった。
・段物は伝わっておらず、一口口説(7775の文句)ばかり。
・祭文はイレコが多く、踊りが難しいので、輪が小さくなっていた。
・最後には三勝を踊る。
・8月13日は初盆の家をまわって盆踊りをする。
・庭入りの口説もあったというが今は伝わっていない。
・8月17日は石城寺で踊り、24日は蓮台寺で地蔵踊り。

・近年は(昭和57年当時)衰えるばかりである

2010年の様子

 2010年の夏、内成公民館等に盆踊りのことを問い合わせたところ、大変親切に教えて下さった。近年は地踊りはほぼ廃絶しており、「別府音頭」等を中心に踊っている由。これからは、「内成棚田音頭」の普及を図っていきたいとのことである。
 昔は二つ拍子などを踊っていたのだが、口説き手の減少や、踊りが難しいなどの理由で、新しい踊り(別府音頭など)を取り入れるようになった。今でも、昔の踊りをする場合もあるが、するとしても「けつらかし」のみであり、他の「三勝」とか「田の草」は、もう踊っていないとのことである。

 また、初盆家庭での供養踊りもしておらず、公民館で年に1度、寄せ踊りをするのみとなっている。お寺の踊りも実施していない。高齢化や人口の減少の影響が大きく、年に何度も盆踊りをすることができなくなった上に、地踊りの口説ができる人がおらず、しかも踊り方が難しいために踊りの輪が立たないので、もう地踊りの盆踊りをすることは難しい由。
 時代の流れで地踊りが廃絶していたことは残念に思ったが、その一方で時代に合ったやり方を模索し、新小唄「内成棚田音頭」を作成するなどして愛郷心を高め、盆踊りを継続していこうと考えているということが理解できた。地踊りの輪を立てることは困難でも、踊り方を覚えている人はまだ何人かはいるだろうから、地域の伝統芸能として、映像に記録したりすることはまだ可能と思われる。それもまた、伝承の一つの形ではないだろうか。

終わりに

 別府は近代以降の人口増加・都市化が著しかったこともあり、市街地においては地踊りがほぼ廃絶しており、現在、亀川・天間といった一部地域を除いて、「別府音頭」などの新小唄に合わせて盆踊りを実施している。それを考えると、内成の盆踊り(地踊り)はとても貴重なものだったと思うのだが、伝承は途絶えてしまっている。

 盆踊りは生活に密着した行事であるために、高齢化・過疎化の影響を受け易い。今後、内成地区のような事例は大分県内において増え続けると考えられる。伝承の努力にも限界があるので、先手を打って映像に残しておくことの重要性を改めて感じた。

盆踊り唄一覧

 「けつらかし」
☆日出の山香の踊りを見たか
 おうこ担いで鎌腰差して(ヤレショーヤレショ)

「切り返し」

☆今宵踊りはお供養の踊り(サノヨイ)
 足もだゆかろ 手もだゆかろが(アラヨヤサノセー ヨーヤロセー)


「田の草踊り」
☆腰の痛さよこの田の長さ(ヨイトセードッコイセー)
 四月五月の ソリャ日の長さ(ヨヤサノセー ヨーヤーセー)
   
「三勝」
☆姉と妹に紫着せて(ヤレショードッコイショ)
 どちら姉やら妹やら(アラヤーンソレソレ ヤンソレサ)
   
「祭文」

☆明日は行こうかよ 妹の里へコラサノサ(ヨイショヨイヨイ)
 峠七坂 湯のけむり(ソレエー ソレエー ヤットヤンソレサ)

 

「二つ拍子」
☆竹のコリャ 切株 みかんの接穂(チョイトサ チョイトサ) 
 それが接がれば枯木に花よ(ハエーイサッサ エイサッサ)
   
「猿丸太夫」
☆踊り踊らばしなよく踊れ しなのよいのを嫁にとる
   (アリャヨイトサノ) ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤサ