国東盆踊り

はじめに

 国東半島の各地域には概ね4種類から5種類程度の地踊りが残っているが、国東町には2種類を残すのみとなっている。15年ほど前までは町をあげての懸賞踊り大会も開かれていたが、時代の流れでなくなってしまった。ただし集落ごとの供養踊りはまだ残っている。近隣市町村と同様、盆踊りがやや下火になってきているものの、まだそれなりに余勢を保っており伝承の危機に瀕しているというわけではないようだ。
 踊りが2種類しかない上にどちらも地味な踊りということもあってか全く観光化されておらず、メディアに乗ることもないため全く知られていないが、独特の優雅な所作は大変魅力的なものである。また、イベント化しておらず生活に密着した行事であるという点でも、価値が高いと思われる。この記事で、国東町の盆踊りの特徴・良さを簡単にではあるが発信したいと思う。

概要

 国東町では集落ごとに供養踊りをしており、通常ゲートボール場や公民館の庭などで、8月13日から15日の間に踊られている。近隣地域と同様、櫓の上で音頭取りが唄い、それに合わせて太鼓を叩くというスタイルでごく素朴なものだが、それが国東町ののどかな風景によく合っており雰囲気がよい。踊りの種類は六調子と祭文で、どちらも東国東一円に広く残っているものである。通常、六調子から始めて祭文を挟み、再度六調子に戻って中入れ(休憩)、もう一度、六調子、祭文、六調子と踊ってお開きになるようだ。このことからわかるように踊りの中心に位置付けられているのは六調子だが、国東町の六調子の踊り方は近隣市町村の六調子(杵築踊り)と比べると難しい踊り方なので、若い人にはハードルが高いようである。そのこともあってか中年以上の踊り手が目立ち、若い人はあまり踊っていない。
 昔は三つ拍子、豊前踊り、セーロなども踊る地域があったようだが、これらの踊りが絶えたのは最近のことではなく、かなり昔のことのようだ。三つ拍子は、現在杵築市や安岐町等で踊られているものと同種のものであったと思われるが、もしそうなら六調子よりもずっと簡単な踊りだったはずである。それなのに六調子が残って三つ拍子が消えたのはなぜだろうか。それはきっと、三つ拍子の方が後から入ってきた踊りだったからだろう。三つ拍子は「速見の踊り」で、本場は杵築・安岐・山香辺りと思われる。だから、盆踊りがとても盛んに行われていた時代に国東町まで伝わり、その頃は「流行の、新しい踊り」として持て囃されたりもしただろう。ところが盆踊りが下火になってきたときに、「より昔からの踊り」である六調子や祭文の方が残り、「より新しい、よその踊り」である三つ拍子や豊前踊りなどは次第に忘れられていったのではないだろうか。なお、豊崎地区では「エッサッサ」も踊られていたそうで、これは三つ拍子などが消えてもしばらくは残っていたとのことだが、やはり現在では忘れられている。エッサッサはかつて国東半島の広範囲に亙って踊られていたが、現在は国見町伊美などごく一部に残るのみとなっている。他に、もうどんな踊りなのかさっぱりわからないが「念仏踊り」なるものも一部地域で行われていた由。きっと供養踊りの最初に踊っていたのだろう。安心院町などの「ばんば踊り」のようなものだったのかもしれない。
 現在、全域で六調子・祭文の2種に限られている。ただ、もしかしたら来浦地区など国見町に接する地域では、節や踊りが違うものが伝承されているかもしれない。まだ町内全域の盆踊りに行ったことがあるわけではないので断言はできないが、おそらく節回しや踊り方にも地域差はないと見てよいだろう。

六調子と祭文

 六調子(西国東郡では杵築踊りと呼んでいる)は、杵築踊りの名の通り、杵築辺りが本場であったと思われる。国東町の六調子は、おおまかな節回しは杵築のものと同じだが、決定的に異なる点がある。それは拍子のとり方で、杵築では2拍子だが国東では3拍子(8分の6拍子)で唄っている(段物口説)。大分県内において、盆踊り唄を含む俚謡を3拍子で唄う地域はあまり見られず、国東町・武蔵町・安岐町・大田村に限られるようだ。国東町の六調子は、テンポが遅い上に3拍子で唄うのでとてものんびりとした感じがする。したがって太鼓の叩き方も、杵築辺りではワク打ちを入れながらわりと賑やかに叩くのに対して、国東町ではワクはあまり打たずにゆっくりと3拍子のリズムを刻むような叩き方で、素朴な印象を受ける。
 独特な3拍子のリズムは踊り方にも大きく影響しており、足運びが独特で慣れ親しんだ者でなければ非常に分かりづらい。いま、3拍子×2を123456と表した場合、1で右足を出し体重を乗せて、4で左足を出し、すぐさま5で右足を出すようなステップ(その反対もあり)が多用されているが、これが案外難しい。しかも踊りなれた人だと、4が微妙に前ノリしているようなリズム感で踊っているように見受けられる。多分、普通の3拍子のままだと、4と5の間が短すぎてつんのめるような感じになるので、4を前ノリすることでそれを解消しているのだろう。もちろん無意識のうちにそうなっているのだろうが、真似しようとしてもなかなかできるものではない。太鼓のリズムと着かず離れず、絶妙なリズム感の足運びは、とても優雅な印象だ。
 足運びだけでなく、踊り方全体を見ても、国東半島の六調子(杵築踊り)の中でも異質なもので、手がこんでいる。円の外を向いた状態で、右手を高い位置でくるりと返し、次は左手を返し、その間に反転し円心向きになる。円心を向いたまま左、右と流し、3回手拍子を打ちながら輪の進む方向(櫓の周りを時計回り)に進み、今度は輪の進む方向と反対向きになって左手を高い位置で返しながらまた反転し、輪の進む向きに戻る。左、右と小さく流して止め、左に流して手拍子、右に流して手拍子、左に流して手拍子で円の外向きになり、始めに戻る。 きっと、読んだところでわけがわからないと思うが、実際とても複雑な踊り方である。21呼間で踊りの手が1巡するが、これは、国東半島の六調子(杵築踊り)の手数は20呼間ないし21呼間であるのがほとんどなので、特別多いわけではない。しかし国東町の六調子は同じ手の繰り返しが少ないため、他地域のものと比べても変化に富んでおり、それだけ複雑で分かりにくい。おまけに3拍子特有の足運びも相俟って、若者や他地域出身者にハードルが高いのもよくわかる。ただ、1度覚えてしまえば長時間踊っても飽きることなく、楽しく踊れる。手首を返す所作が優雅で、素朴だがきれいな踊りである。
 祭文は、杵築・安岐・武蔵と同様、東国東沿岸部の節回しであり、鶴崎踊りの祭文の節とよく似ている。こちらの方がずっと田舎風だが、そう大きな違いではない。2拍子のリズムなので、六調子とそうテンポは違わないにもかかわらず、こちらの方がほんの少し軽やかな印象。踊り方も東国東沿岸部のもので、鶴崎踊りの祭文の流れを汲むもの。杵築や安岐のものとほぼ同じ踊り方で、六調子とは違いとても簡単。ただし、杵築辺りでは手拍子をして数歩前に出たあと、右右、左左…と足を踏み替えながら踊るのに対して、国東町では数歩前に出たあと、右左右、左右左…という風に継ぎ足で踊る人が多い。これは、六調子の足運びが影響したものと思われるが、右に左に踏み出してふらふらしており、やや忙しい感じがする。足運びの変化に伴って手の所作も大きめになっている。ただ、個人差もあるので一概に言い切ることはできない。全体としてそのような傾向にあるといった程度の特徴である。

おわりに

 国東町の盆踊りは2種類に限られているので、たくさんの種類の踊りを踊る地域と比べるととても地味で、おもしろくないと思ってしまうかもしれないが、実際はそうではない。六調子の踊り方は、鶴崎踊りの猿丸太夫と匹敵するくらいに難しく、またおもしろく、優雅できれいなものである。それを文章で説明するのはとても難しいが、のんびりした唄にもよく合った、とても立派な踊りだと思う。それが、供養踊りという生活の中の行事として、今なお集落ごとに残っているというのは、町の誇りといっていいだろう。素晴らしい国東町の盆踊り(六調子・祭文)を、もう少し他地域に発信する機会があれば、その価値を再認識して伝承の一助とすることができるだろう。イベント化を望むわけではないが、もっと多くの人に知られてしかるべきである。実際に国東町の六調子を目にすると、そのよさがよくわかると思う。

盆踊り唄一覧

「六調子」(国東町) <77・77段物>
☆しばし間は六さんでやろな(アラサイ コラショイ)
 誰もどなたもお手振りなされ(ヨーヤーサ ヨーヤヨイ)
☆何がよいかよ踊り手様よ 村の若い衆の意見をきけば

 

「祭文」(国東町) <77・75切口説>
☆お前百まで わしゃ九十九まで コリャホンカイナ
 ともに白髪の生えるまで(ソレエー ソレエー ヤトヤンソレサ)
☆誰もどなたもご苦労をかけた またのお礼は馬屋の中

 

「エッサッサ」(国東町豊崎) <77・77段物>
☆誰もどなたも (アエッサッサ) エッサッサにゃあいた
  あいたところで切り替えましょか (アエーッサッサ エッサッサ)