山香盆踊り

はじめに

 山香町は昔から盆踊りの盛んなところとして名高く、その昔は山香近辺の踊りを「山家踊り」と呼んだりしたらしい。今でも昔ながらの素朴な踊りが盛んに踊られており、夏の間中あちらこちらの集落から太鼓の音が聞こえてくる。
 山香町はいくつかの大きな地区に分けられるが、その地区ごとに踊りの種類が少しずつ違っているので、山香町全体ではかなり多くの種類の踊りが残っているということになる。隣接する市町村の踊りと似通ってはいるが、足の運びや太鼓の叩き方など山香ならではの特徴があり、近隣の市町村の盆踊りでも、踊る姿を見ていると「ああ、あの人は山香の生まれだろうな」と想像がつくほどだ。
 今でも、山香は踊り熱心な土地だという印象が近隣市町村の高齢者の間では根強いようで、後述する「山香口説」の♪よんべ~山香の踊りこ見たら♪の文句を引き合いに出して、夏が来て最初に踊るのも山香、最後に踊るのも山香というようなイメージがある。高齢化の進行もあって盆踊りが衰退傾向にある地区もあるが、それでも近隣市町村に比べると山香の盆踊りはまずまず勢いを保っていると言えそうだ。

特徴

 山香の踊りは地区によって違うので、細かな特徴は後回しにして、ここでは山香の盆踊り全体の特徴だけを簡単に書く。
・踊りの種類が比較的豊富(だいたい5種類か4種類程度を踊っており、地区によって違う)
・伴奏は太鼓のみで、その叩き方がかなり早間
・カセットテープ等使用している集落はなく、全て音頭と太鼓の生演奏で踊る
・唄と踊りが全く途切れることなく、流れるように切り替わる
・お年寄りや中年の人だけでなく、若い人、子供もみんなよく踊っている

山香口説

 山香町の盆踊り唄は、「らんきょう坊主」などごく一部の唄を除いてほとんどが段物…つまり、7文字の繰り返しで延々と長い物語を口説くもので、山香口説、鈴木主水、炭焼き小五郎、製場ヶ原の合戦、傾城阿波ノ鳴門などがよく口説かれている。その中でも、特に親しまれているのは山香口説きで、盆踊りのときには必ず耳にする。段物の中でも短めで容易に覚えられるし、内容もお国自慢的なもので親しまれるのだろう。若い人もよく知っている。
 山香口説は、杵築や大田の人(主に高齢者)にも比較的よく知られている。しかし、山香以外では前半部分しか口説かれない。後半のお国自慢の文句は誰かが付け足したものなのだろう。そして、おそらく本来は「よんべ山香の…」ではなく「よんべ山家の…」なのだと思う。特に山香地方を指しているのではなくて、山家、つまり山間部の農村の盆踊りの様子をおもしろおかしく口説いた文句だったのが、いつの間にか「山家」から「山香」に置き換わってしまったのではないだろうか。


「山香口説」

よんべ山香の踊りこ見たら おうこかたげち鎌腰せえち

踊る片手じゃ稗餅ゅこぶる こぶる稗餅ゃぼろぼろあゆる

あゆる稗餅ゃいやりが運ぶ 運ぶいやりこ達者ないやり

色は黒うても蟻のようにゃ いつも働くよい妻欲しや

嫁をもろうなら山香の娘 色は黒いが立派なものよ

親にゃ孝行夫にゃ貞女 隣近所の付き合い上手

家畜飼うのが大変好きで 仕事間にゃ牛飼いまする

それで今では山香の牛は 世間評判の牛となる

嫁を貰うなら山香の娘 家畜飼うなら山香の牛を

 

よんべ=昨夜

こ=強意の接尾辞

おうこ=農作業で使う担い棒

かたげち=かついで

せえち=差して

踊る片手じゃ=踊りながら

こぶる=かじる

あゆる=(枝になっていた果物などが)離れて地面に落ちる

いやり=蟻

中地区の盆踊り

 中地区では「三つ拍子」「二つ拍子」「セーロ」「豊前」「祭文」が踊られている。この5種に限られるようになってから50年ほど経っているようだが、昭和30年頃までは「六調子」も踊っていたようだ。中地区で最も参加者が多く賑やかだった、若宮商店街の踊りである時期から「六調子」が踊られなくなり(踊り方が難しく輪が崩れ易かったからとのこと)、それに伴って他の集落でもだんだんに廃れてしまったらしい。さらに昔は「唐芋踊り」「唄踊り(大津絵)」「猿丸太夫」等も流行したとのことだが、全く廃絶している。これらの踊りは、現在も他の市町村に残っているが、踊り方も全く同じだったかどうかはわからない。
 今も踊っている5種はいずれも段物口説。町全体の盆踊り大会でもこの5種が踊られており、山香町を代表する踊りになっていると言えるだろう。踊りの中心は「三つ拍子」で、最初も最後も必ずこれを踊る。節回しは杵築や日出、大田とそう変わらないが、ずっとテンポが速い。継ぎ足をいちいち後ろに引き戻すのが特徴で、杵築では手を前に前に出して踊るのに大して、山香では自分の方に引き寄せ引き寄せ踊るので、地元の人が冗談交じりに「杵築は、あげるあげると言いながら踊る。山香は、おくれおくれと言って踊る」と冗談めかして話していたのを聞いたことがある。お年寄りから子供まで、誰もがよく知っている踊りだ。
 「二つ拍子」と「豊前」はよく似ている。唄の面では、「二つ拍子」が下の句も上の句も頭3字を伏せて、中囃子を挟むのに対して、「豊前」は頭3字を伏せずないかわりに中囃子がない。踊りの面では、「二つ拍子」が2回すくって戻り、進んで円心を向いて1度手拍子を打つのに対して、「豊前」は4回すくって戻り、進んで円心を向いて3度手拍子を打ち、2回すくう(都合6回)。また足の運びのリズムも違っていて、「二つ拍子」は裏拍のときに足を出し、「豊前」は表拍のときに足を出すのだが、近年はどちらも表拍で足を出す人が多くなりつつあるようだ。「二つ拍子」は近隣市町村に広く残っているが(踊り方は違う)、「豊前」は山香町外では衰退傾向にあり、町外で今も残っているのは安心院町・(三つ拍子と呼んでいる)、大田村、安岐町くらいなもので、しかも大田と安岐では滅多に踊られず、忘れられつつある。
 「祭文」は日出や杵築のものとは全く異なり、むしろ宇佐地方の「レソ」に近いような節回しで、山香独特のもの。おそらく県内各地の「祭文」の中でも最高速ではないかと思うくらいにテンポが速い。手数は少ないのだがとにかく足が忙しい踊り方で、「三つ拍子」と同じように継ぎ足をいちいち引き戻しながら後ろ向きになったかと思えば前向きに戻って数歩進み手拍子を打つというもの。
 「セーロ」も、大田や杵築、安岐のものよりもずっとテンポが速い。たったの4呼間で所作が一巡りするというものすごく簡単な踊り方で、かけ足で進みながら両手を右に捨てて反転し、左回りで前向きに戻って手拍子を2回打つだけ。基本の部分は近隣市町村の踊り方と同じだが、山香の方がずっと所作が大きく、始終駆け足なので目が回るような忙しさだ。唄の節は近隣市町村と同じ。単調な、畳み掛けるような節で、節回しのおもしろさとしては「祭文」や「豊前」に遠く及ばないが、テンポの速さと相まって何ともいえない勢いがあり、素朴ながらも印象に残る。簡単なので小学生以下の子供にも特によく親しまれており、みんな元気よく「セーロ」「セーロ」「ヤッテンセーロ」と囃しながら踊っている。
 最初と最後に「三つ拍子」を踊るほかは、別に踊りの順番は決まっていない。しかしここ数年は、普通「三つ拍子」「二つ拍子」「祭文」「豊前」「セーロ」の順に繰り返すことが多いようだ。おそらくテンポの速い踊りと遅い踊りが交互にくるようにして、疲れないように、また飽きないように工夫しているのだろう。
 先に述べたが、昭和30年頃までは若宮商店街の盆踊りが大変賑やかで、8月16日の8時頃から踊り始め、夜中の1時頃まで踊っていたようだ。ほかにも各集落ごとに公民館などで踊るほか、初盆家庭の庭でも盛んに踊っていた。その後だんだんと下火になりつつあったのだが、保存会の活動の甲斐あって盆踊りを再開した集落もちらほら出てきて、平成23年現在中地区の盆踊りは隆盛を極めている。昔のように夜中まで踊るということはないが、それでも行政区ごとに公民館やゲートボール場などで供養踊りを実施してるし、「山香夏祭り」の懸賞仮装踊りは年を追うごとに賑やかになっており近隣市町村の住民にも知られるところとなっているようだ。それ以外にも「グリーンケア山香」の供養踊りなど、ひと夏に3回も4回も踊る機会があるほか、小学校の運動会や「やまがふるさと祭り」、また敬老会のときに短時間ではあるが盆踊りを踊る機会があり、老若男女総参加の生活に根差した盆踊りと言える。
 踊りはお年寄りから子供までたくさんの人が踊っているが、太鼓も叩ける人が割と多い。しかし口説に関しては盆踊り保存会が頼りというのが実際のところ。どの唄も節回しは易しいが、音頭の交替の文句、踊りの切替の文句など半ば即興的な文句をすらすらと出せなければ踊りが立ち往生してしまうため、矢張りある程度の熟練は必要なようだ。保存会があちこちに出向いてくれるので、口説までマスターする必要がないのだろう。もともと近隣市町村に比べると山香の踊りのテンポが速めだったようだが、中地区は近年その傾向が著しく、昔よりもさらにテンポが速くなっているとのこと。昔の「シナをつくる」わりとゆったりとした踊りを懐かしむ声もちらほら聞かれる。

東地区の盆踊り

 現在、東地区では中地区と同じく「三つ拍子」「二つ拍子」「セーロ」「豊前」「祭文」が踊られている。踊り方も唄も中地区と全く同じなので、これらの踊りの詳細は省略する。
 昭和30年代までは上記の踊りに加えて、「六調子」も踊っていたようだ。これは杵築市で今でも盛んに踊られている「六調子」と同一のものだったようで、恐らく杵築の大片平辺りから入ってきたのだろう。ほかに「一つナーエ」(倉成)、「粟踏み」(上畑)など、一部の集落にのみ伝承されていた踊りもあったが、いずれも絶えてしまっている。「粟踏み」は、昭和50年頃の時点で「65歳以上の人でなければ踊れない、知らない」踊りだったようで、隣接する大田村でも踊られていたようだが、ほぼ廃絶している。「二つ拍子」によく似た唄で、おそらく「粟踏み」というのは粟を脱穀するときの動きによく似た所作の踊りだから、そう呼んだのだろう。「一つナーエ」は、全く聴いたことも踊ったこともないが、その詩型を見る限りでは向野に残っている「らんきょう坊主」と同種のものだったのではないかと思う。勝手な想像にすぎないが。
 東地区全体の盆踊りは開かれていないが、集落ごとに公民館等で踊っている。昭和35年頃までは初盆家庭を順々にまわって踊っていたので、初盆の多い年は夜が明けても踊り続けたとのこと。とにかく長時間になるので今のように速いテンポでなく、もう少しゆっくりとしたテンポが好まれたらしい。その頃は近隣集落の人も踊りに来たほか、杵築市(北杵築村)の大片平や溝井から踊りや太鼓の加勢に行く人もあったそうだ。きっと、杵築の方で唄い踊る遅いテンポの祭文(山香のものとは節も踊りも全く異なる)を踊ってみることもあっただろう。現在、山間部の集落は高齢化・過疎化が著しく、盆踊りをしなくなった集落も増えてきている。集落ごとに口説・太鼓を自分達でしていた頃は中地区とはまた違う特徴もあったのだろうが、現在は多くの集落が口説・太鼓を盆踊り保存会に依頼しているので、中地区の踊りと東地区の踊りはほぼ同化している。

立石地区(向野を除く)の盆踊り

 現在、当地域では「三つ拍子」「二つ拍子」「豊前」「セーロ」「レソ」が踊られている。「レソ」以外は中地区・東地区のそれと全く同じだが、立石の方がほんの少しだけテンポが遅い。「レソ」は「祭文」のことで、囃子言葉に違いはあるが唄は中地区・東地区の「祭文」とほぼ同じで、踊り方は全く同じ。詳しいことは中地区の項を参照のこと。大正時代には、ほかに「三勝」「六調子」「半口」「唐芋踊り」も踊られていた。
 中地区や東地区では「三つ拍子」で踊り始めるのに対して、当地域では通常「二つ拍子」で踊り始めて「三つ拍子」に切り替えることが多い。途中で「豊前」「セーロ」「レソ」も踊るが、踊りの中心となっているのは「二つ拍子」と「三つ拍子」だ。特に「レソ」については他の踊りにくらべて少しだけ難しいためか、比較的短時間しか踊らない傾向にある。「豊前」は、中地区・東地区では「4回すくって戻って進んで手拍子、2回すくう」という踊り方だが、立石では「6回すくって戻って進んで手拍子」という踊り方が主流だったようだ。都合6回すくうという点では全く同じなのだが、唄と踊りの関係が異なっていた。近年は中・東と同様「4回すくい、戻って進んで手拍子の2回すくい」の踊り方が主流になっている。
 立石の盆踊りは、保存会に依頼せずに自分達で口説や太鼓をすることが多いため、上に書いたように踊りの順序などが中・東地区と異なっており、テンポも中・東地区にくらべるとやや遅い。おそらく昔は今以上に踊り方などの面でも中・東との違いが顕著だったのだろうが、やはり同じ「山香町」となったこともあってか、少しずつ同化しつつあるのだろう。「豊前」の踊り方の変化にもそれが現れていると思う。供養踊りが廃絶した集落も多いが、竜が尾や駅通りなどではまだ踊っており、保存会に依頼していないということを考えれば、全体としてはまずまず盛んだといえるだろう。

向野の盆踊り

 立石地区の中でも大字向野は、大字立石・下と立石峠で隔てられていることもあり、踊りが全く違う。宇佐や高田との交流が盛んだったようで、現在「マッカセ」「レソ」「二つ拍子」「らんきょう坊主」の4種類が伝承されているが、これらの踊りは「山香の踊り」というよりも「宇佐の踊り」「西国東の踊り」であり、特に「マッカセ」や「レソ」の所作に宇佐地方の特徴がよく現われている。
 「レソ」は大字立石・下にも伝承されているが、向野のものは唄も踊りも全く違う。唄については、大字立石の「レソ」が中地区の「祭文」とほぼ同じ節なのに対して、向野の「レソ」は宇佐地方や西国東地方のものに近く、切口説。踊り方は宇佐市の「マッカセ」とほぼ同じで、左下に捨てて高い位置でくるりくるりとうちわを回しながら進み、数歩戻ってうちわを叩くというもの。
 「マッカセ」は、宇佐や高田では通常段物を口説くが、向野では切口説になっている。安心院と同じように1節2句で唄う唄い方と、宇佐や高田と同じように1節3句で唄う唄い方があり、両方を自由に混合して唄っている。後者では、切口説の下の句を返して3句にしている。囃子言葉に「マッカセ」の言葉が全く出てこないのがおもしろい。踊り方は向野独特で、うちわを回しながら円心向きに出て行き、蹴り出して下がってうちわを叩くような踊り方だったと記憶している。高田のものとも、宇佐のものとも違う踊り方だった。
 「二つ拍子」は、唄自体は「六調子(杵築踊り)」の節であり、豊後高田市街地の「ヤンソレサ」とほぼ同じ。段物を口説く。踊り方は大田村の「二つ拍子」とほぼ同じだが大田村では裏拍で進むのに対してここでは表拍で進む。太鼓の叩き方や踊りの所作がごく簡単で、テンポが遅く疲れないので、大変よく踊られている。子供にも親しみやすいようだ。
 「らんきょう坊主」は、向野地区と宇佐市の一部地区にしか残っていない、とても珍しい踊り。。以前向野の盆踊りに行ったとき、たまたまこの踊りをやらなかったが、今でも伝承はされているとのこと。切口説で、頭3字を伏せた下の句を丸々囃子が取ってしまう。上記4種類のほかにも、昔は「唐芋踊り」も踊っていたが、今は踊っていない。おそらく「杵築踊り」も踊っていたのではないかと思うのだが、詳しいことはよくわからない。
 当地域の踊りは毎年8月16日に、全集落合同で公民館で行っている。年1度しか踊る機会がない上に太鼓・口説の伝承者の減少も著しく、衰退傾向にあるようだ。近年ではそれを危惧して、小学生に太鼓や口説を少しずつ教えて、なんとか伝承しようと努力がなされている。ただ、それもいちばん易しい「二つ拍子」に限られており、その結果どうしても「二つ拍子」を踊る時間が長くなりがちで、ほかの踊りは少ししか踊らない年も多く「二つ拍子ばかりで飽きる」との声も聞かれる。大変めずらしい「らんきょう坊主」はもちろんのこと、「マッカセ」の唄い方も宇佐市のものとはまた違っていて、向野独自のものが伝承されているのに、山香町内でもあまり知られていないのが惜しまれる。

山浦地区の盆踊り

 山浦地区の踊りは安心院のものと似ており、中地区や東地区のものとは異なる。「マッカセ」「蹴出し」「レソ」「二つ拍子」「三つ拍子」が伝承されているが、人気が高いのは宇佐地方と同じくなんといっても「マッカセ」で、うちわをくるくると回しながら「ヤットハリハリ~」などのんびりとしたお囃子に合わせて踊るその風情は、中地区の「ヤッテンセーロ」などの高速の踊りとはまた異なり、他地区に嫁いだ高齢者からは山浦の「マッカセ」の楽しさやシナのよさを懐かしむ声も聞かれるほどだ。

 「レソ」は、現在は安心院町のものとそう違いはないのだが、昔は7775の切口説に返しをつけて口説く人もあったようだ。宇佐の四日市あたりでも同様の唄い方をする人があったそうらしいが、これは向野の「マッカセ」と同様にその時々で好きなように口説いたのだろう。

 「蹴出し」は中地区・東地区・立石地区の「三つ拍子」と同じ唄だが、中・東・立石では陰旋法で唄うのに対してここでは陽旋法で唄い、踊り方は少し異なる。「蹴出し」の呼称は宇佐地方で広く見られ、足を蹴り出す所作からそう呼んだと思われる。このことからも、山浦地区の盆踊りが「速見の踊り」ではなく「宇佐の踊り」だということがわかる。

 「三つ拍子」は、中地区などの「豊前」と同じで、3回手を叩くことからそう呼んだ。宇佐地方では、速見地方でいう「豊前」のことを「三つ拍子」と呼ぶことが多い。思うに、この踊りの本場は元来、宇佐地方(特に院内か安心院)だったのだろう。だから、速見地方においても宇佐地方と繋がりの深かった山浦や上(後述)ではそのまま「三つ拍子」と呼んだのだろうし、少し距離のある中山香や東山香では「豊前の国から伝わった踊り、豊前の踊り」の意で「豊前」とか「豊前踊り」と呼んだのではないか。そして中山香あるいは東山香から田原、朝田、安岐等へ伝わったので、これらの地域でも「豊前踊り」と呼んでいる。「二つ拍子」は、踊り方が中地区や立石地区とは異なり、向野のものや安心院のものに近い。所作がごく易しくゆったりとしているので、子供にも親しみやすいようだ。

 山浦の踊りは他の地区に比べるとテンポが遅く、ゆったりとしていて、うちわを翻す美しさは山香町内でも独特のよさがあり、中地区や東地区の人も「山浦の踊りはここの踊りとは全く違う」と認識しているようだ。昔は集落ごとに供養踊りをし、特に安心院寄りの集落では傘鉾を出して初盆家庭を一軒ずつ、庭入りをしてまわっていた。ところが現在、山浦地区は高齢化が著しく、集落ごとに供養踊りをするのは難しいので、8月14日に全集落合同で供養踊りを行っている。向野と同様、年に1回しか踊る機会がない上に太鼓と口説の伝承者の減少が著しく、やや衰退傾向にあるようだ。

 

上地区(南畑を除く)の盆踊り

 現在、当地域では「二つ拍子」「三つ拍子」「レソ」「マッカセ」「蹴出し」を踊っているが、「マッカセ」は踊らないところもある。踊りの内容が山浦地区と似通っていて、安心院地方の影響を受けているように思われる。全て段物の口説で、「山香口説」をはじめとして「勢場ヶ原合戦口説」など地元由来の文句や「鈴木主水」がよく口説かれているようだ。

 「二つ拍子」は中地区や東地区とほぼ同じ節回しだが、中や東では下の句の節のときに上の句の文句を返して唄うのに対して、ここでは返さずに頭3字を伏せて唄う。踊り方もほぼ同じで、2回すくって戻って進んで円心を向いて手拍子を打つという簡単なもの。違っている点は、中・東ではすくうときに裏拍で足を出して、円心を向いたときの手拍子は1回だけだが、ここでは表拍で足を出し、手拍子は2回というところ。「二つ拍子」という呼称から鑑みて、手拍子2回というのがより古い踊り方なのだろう。2回目の手拍子はすくう動作と連続しているので、中や東ではこの2回目の手拍子を省略して踊りやすくしたのではないだろうか。なお、ごく稀に4回すくう踊り方で踊る人もいるようだ。昔はそういう踊り方もあったのか、或いは他地域からお嫁に来た人が故郷の踊り方で踊っているのかもしれない。普通、この踊りから始める。

 「三つ拍子」は他地区の「豊前」と同じ唄で、節回しも大差ない。踊り方は「6回すくい、戻って進んで手拍子」で、昔は立石でもこの踊り方が見られたが、今は「4回すくって戻って進んで手拍子、2回すくう」の踊り方になっている。3回手拍子をすることから「三つ拍子」と呼んだと思われ、安心院町でも同様に「三つ拍子」と呼んでいる。ただ、3回手拍子をすると叩き方が忙しいため、「二つ拍子」と同様に2回手拍子で踊る人が多くなっているようだ。

 「レソ」は安心院や山浦のものとも、立石のものとも違う、当地域独自のもの。テンポが中地区の「ヤッテンセーロ」に匹敵する速さで、うちわを回して腕を振り上げながら歩きつつ右回りで後ろ向きになり、円心向きに踏み出して1歩戻ってうちわを叩くという踊り方。継ぎ足や浮き足が一切なく、常に右・左・右・左…と交互にステップを踏み続けるのが大変おもしろい。節回しとしては安心院や山浦のものにやや近いが、高調子で唄い始めるときと低く唄い始めるときがあり、両者を自由に混交して唄うことが多く、自由奔放な印象を受ける。とにかく速くて賑やかで、おそらく昔は若い人を中心に大変人気の高い踊りだったのではないだろうか。

 「蹴出し」は中・東・立石の「三つ拍子」のことだが、山浦同様に陽旋法で唄っており、明るくてより田舎風な印象を受ける。「二つ拍子」と同じく、中・東・立石では上の句を返して唄っているのに対して、ここでは返さずに下の句の頭3字を伏せて唄っている。踊り方は中地区の「三つ拍子」によく似ているが、中では「4回すくい、歩いて手拍子、上に捨てながら内に蹴って戻って、手拍子2回」と踊るのに対して。ここでは「4回すくい、さがって出て2回手拍子、歩いて外に蹴って2回すくい」と踊る。盆踊りの最後は必ずこの踊り。

 「マッカセ」は、筆者はまだ上地区では踊ったことがないので詳細はわからない。

 現在、地区全体の供養踊りは実施されておらず、集落ごとに小規模な供養踊りをしている。昔は安心院町寄りの多くの集落で庭入りを伴う門まわりの供養踊りが広く行われていたが、今は寄せ踊りばかりである。当地域の盆踊りには、山香盆踊り保存会は一切関わっていない。近年、口説や太鼓の伝承者の減少が著しく、供養踊りをやめてしまった集落も多いようで、地区全体としても盆踊りの衰退が著しい。踊りに関しても、きっと昔は集落ごとに少しずつ手振りが違っていたこともあるのか、なかなか踊りが揃いにくく、踊りが揃わずに輪が崩れてしまうということもあるようだ。殊に「レソ」になるとテンポが速くて踊り方がややこしい上に、人によって(例えばお嫁に来た人などが、生まれ故郷の踊り方で踊るため)足の運びが違っていて、輪がたちまち小さくなってしまうことがある。いろいろな踊り方が残っているのはよいことだが、上地区の盆踊りの保存会などは今のところないようなので、このままだと今以上に盆踊りが寂れてしまうのではないかと少し気に掛かる。

南畑の盆踊り

 上地区・山浦地区のうち安心院町寄りの地域では、かつては庭入りを伴う門まわりの供養踊りが広く行われていた。その中でも旧南端村であった地域(大字南畑)では昭和の中頃になってもなお行われていたようだが、この地域は高齢化・人口減少が著しく、平成に入ってもなお庭入りを行っているのは上河内集落(8月13日)のみである。庭入りとは長い竹棹からたくさんの竹ひごを垂らして、それに短冊や提灯をつけた「傘鉾」というものを先頭に、「道行」という笛や太鼓の囃子で初盆家庭の庭に繰り込み、傘鉾を据えて、和讃を唱え、シカシカという口上を述べる一連の行事で、その後通常の盆踊りに移る。一通り踊ったら次の家に移動して同じことを繰り返すが、初盆家庭が多い年など夜通し踊り続けたようだ。

 段上達雄『盆の傘鉾2―大分の庭入り―』によれば、現在「三つ拍子」「四つ拍子」「マッカセ」「ヤンソレ」「蹴出し」の順に踊られているが、昔はこのほかに「二つ拍子」「祭文」「レソ」なども踊られていたという。「蹴出し」「三つ拍子」は日指など旧上村の地域と同様、中地区でいう「三つ拍子」「豊前踊り」のことだろう。また、昔踊られていたという「祭文」と「レソ」は全く同種のものだが、「レソ」は宇佐地方の、「祭文」は速見地方の呼称である。つまり、元をたどれば同じ唄だが、安心院方面の節回しが「レソ」として、日出方面の節回しが「祭文」として入ってきて、別の踊りとして踊られたと思われる。「祭文」と「レソ」が共存した例としては杵築市大片平地区があるが、大片平においては既に「レソ」は廃絶している。上河内においては「祭文」も「レソ」も廃絶しており、もはや両者が共存している集落は皆無といってよいだろう。

 『盆の傘鉾2』によれば上河内では昭和50年頃まで8月16日に施餓鬼供養の踊りもしていたという。傘鉾は出なかったというから、門まわりでなく寄せ踊りだったのではないかと思う。上河内の庭入りは平成23年現在、杵築市の無形文化財に指定されている。しかし、山香町内でも特に外れの方の地域で、また今までほとんど紹介されることもなかったので、上河内の盆踊りのことはあまり町民にも知られていないようだ。

おわりに

 以上、山香町内をいくつかの地域にわけて、各地域の盆踊りの特徴について簡単ではあるが紹介してみた。今なお踊りが盛んなことで名高い山香町だが、中地区・東地区・立石地区(向野のぞく)以外の地域の盆踊りは、伝承の危機に瀕しているということがお分かりいただけたかと思う。今後も伝承されることが望まれるが、それだけではなく早いうちに映像化・音源化するべきだと感じる。それも、中地区の代表的な踊りだけではなく、地域ごとの特徴を万遍なく収めたDVDを作成したり、唄をまとめた冊子を作成できたらいいのだが、それには費用がかかるのでなかなか難しいのかもしれない。耶馬溪町では立派な盆踊りDVDと冊子ができたので、ああいったものが山香でも作れたらと思うが…
 また、地域ごとに唄や踊りの違いが大きいため、大きなお祭りのときにはどうしても中・東地区の踊りが中心になってしまう。踊りの方は、知らない踊りでも皆なんとかついていけると思うので、ここで一つ、「やまが夏祭り」のときなどに、たとえば「マッカセ」とか「レソ」「蹴出し」「らんきょう坊主」なども取り入れてみると、参加者が山香の踊りの多様性に気付くきっかけにもなるだろうし、伝承の一助となるのではないだろうか。全体の輪踊りに加えるのが難しければ、休憩時間とかその他の時間に、山浦や上などの住民の有志を募って踊りを披露してもらうのもいいかもしれない。一つの自治体の中に(現在は杵築市山香町だが)、これだけ多様な盆踊りが伝承されているというのはなかなかない。盆踊りが観光化されておらず、あまりにも生活に密着したものであるため、つい「当たり前のこと」のように思ってしまうが、盆踊りは山香の立派な文化であり、宝物だ。今、周辺部の地域では、地域の人々の努力による伝承がだんだん難しくなってきつつある。山香の宝・盆踊りを後々に残すためにも、中地区や東地区の踊りだけでなく、山香全体を見た何らかの取り組みがあれば…と思っている。

盆踊り唄一覧

・蹴出し系の唄
「三つ拍子」(山香町中・東・立石) <77段物>
  ☆よんべ山香の踊りを見たら(オイサオイサ)
   ソウカナ 踊りを見たら(ヤーレサ ドッコイショ)
  ☆おうこかたげて鎌腰ゅ差いて 鎌腰ゅ差いて

「蹴出し」(山香町南畑) <47段物>
  ☆コーリャー どなたも速いがよかろ(アーヤレコラショイ)
   アラヨイトサデ 速いがよかろ(ヤレショー ヤレショー)
  ☆どなたもお疲れ様よ お疲れ様よ
「蹴出し」(山香町上) <77・47段物>
  ☆よんべ山香の踊りを見たら(ドシタドシタ)
   かたげて鎌腰差いて(ヤーレショ ドッコイショ)

 

・ヤンソレサ系の唄
「二つ拍子」(山香町中・東・立石) <77段物>
  ☆二つ拍子でまずしばらくは(アラセ コラセ)
   アラドッコイサデ まずしばらくは(イヤコラサイサイ ヤレサノサ)
  ☆よんべ山香の踊りを見たら 踊りを見たら

「二つ拍子」(山香町上) <77・77段物>
  ☆誰もどなたもよく聞きなされ(アラサイ コラサイ)
   盆の踊りの由来の口説(ヤレトコサッサイ ドッコイショ)

「粟踏み」(山香町上畑) <47・47段物>
  ☆ハ粟踏みゃどこからはやる(セッコラセー)
   ハよいかな四国がもとよ(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
  ☆粟踏みゃだんだんご苦労 どなたもこの先頃で
  

・杵築踊り系の唄
「二つ拍子」(山香町向野) <77段物>
  ☆年に一夜の踊りじゃゆえに(アラショイ コラショイ)
   アーリャソウジャナ 踊りじゃゆえに(ヤーンソーレヤンソレサ)

「六調子」(山香町若宮) <77・77段物>
 ☆まだもこの先読みたいけれど(アラセ コラセ)
  声が出ませぬ蚊の鳴くごとく(エンヤコラサイサイ ヤレコラセ)

 ☆やあれ嬉しや太夫さんが見えた 見えた太夫さんにゃ渡すが道よ 

・豊前踊り系の唄 
「豊前踊り」(山香町中・東・立石) <77段物>
  ☆豊前踊りはしなよい踊り(ハイハイ) イヤサソウカナ しなよい踊り
   (アラヨーイサッサノ ドッコイショ)
  ☆よんべ山香の踊りを見たら 踊りを見たら
「三つ拍子」(山香町上) <77・77段物>
  ☆よんべ山香の踊りを見たら おうこかたげて鎌腰差いて
   (アラヨーイサッサノ ドッコイショ)

・祭文系の唄
「祭文」(山香町中・東) <77段物>
  ☆伊予の松山 百万長者コラサノサ(ハドシタドシタ)
   ドッコイサデ 百万長者(ソレソレーソレヤ ヤットヤンソレサ)
  ☆長者屋敷に兄弟ござる 兄弟ござる
「レソ」(山香町立石) <77段物>
  ☆おうこかたげて 鎌腰さしてコラサノサ(ヨイサヨイサ)
   ヨイカナ 鎌腰さして(ソラエヤ ソラエヤット ヤンソレサイ)
  ☆踊る片手じゃ稗餅ゅこぶる 稗餅ゅこぶる
「レソ」(山香町向野) <77・75切口説>
  ☆恋し恋しと鳴く蝉よりもコラサノサ 鳴かぬ(ドシタドシタ)
   蛍が身を焦がす(ソレーヤ レソーヤ トヤンソレサ)
「レソ」(山香町上) <77・77段物>
  ☆音に聞こえし橋本屋とてコラサノサ 数多ヨ
   女郎のあるその中で(ソレーヤ レソーヤ トヤンソレサ)
「レソ」(山香町山浦) <77・77段物>
  ☆よんべ山香の 踊りを見たらコラサノサ おうこかたげて
   鎌腰差して(レソーヤ レソーヤ ヤトヤンソレサイ)
  ☆踊る片手じゃ稗餅ゅこぶる こぶる稗餅ゃいやりが運ぶ
 
「一つなーえ」(山香町倉成) <77・75切口説>
  ☆一つナーエ ホント出します(ヨイヨイ)
   薮から笹を(つけておくれよ短冊を)
  ☆様が来る夜はいつでもわかる(裏の小池の鴨が立つ)

「らんきょう坊主」(山香町向野) <77・45切口説>
  ☆わしがナー コリャ出します(ヨイショヨイショ)
   はばかりながら(文句は知らねども)
  ☆唄の文句は ゆんべこそ習うた(しまえぬ夏の夜に)


「セーロ」(山香町中・東・立石、杵築市、大田村) <77段物>
  ☆鈴木(セーロ) ア主水という侍は(ヤッテンセーロ)
  ☆女房持ちにて二人の子供

「マッカセ」(山香町山浦) <77・77段物>
  ☆それじゃしばらくマカセでやろな(ソラマッカセドッコイセ)
   マカセマカセの(ヨイショヨイショ) お囃子頼む
   (ソレー ヤットハリハリ ヤーノエイエイ)
  ☆囃子一番 口説きが二番 囃子なければ口説かれませぬ
「マッカセ」(山香町向野) <77・75切口説>
  ☆今宵さよい晩 嵐も吹かで(ドッコイドッコイショ)
   梅の小枝も(ヨイショヨイショ) 小枝も梅の(ドッコイドッコイショ)
   梅の小枝も ノエー身を焦がす(ヤットハリハリ ヤーノエイエイ)
  ○今宵さよい晩 嵐も吹かで(ドッコイドッコイショ)
   梅の小枝も ノエー身を焦がす(ヤットハリハリ ヤーノエイエイ)