豊姫口説

杵築市に伝承されている。轟淵に身投げしたお姫様として知られている。この口説は、豊姫様の自害の経緯を説明するものであると同時に、実は轟地蔵の由来の話でもある。

 

豊姫君

 

国を言うなら豊後の国で 音に名高き竹ノ尾城主 木付四代は頼直公に

思想堅固の一人の娘 さてもその名は豊姫君と 容姿艶麗 起居淑やかに

兎角城下にうたわれたるが 姫が御年十九の春に 安岐の城主は田原の氏で

五代権九郎親治公が 姫を妻にぞめとらんものと すでに婚約調いたるが

丁度その頃誰言うものか あらぬ噂を流布なしければ 田原の親治これをば聞きて

ついに婚約空しくなりぬ 姫はこれより世情を離れ 親に孝養尽くすの他は

奥の一間に閉じ籠られて 深くえん名哀しみ給い 日々に三度の食事も忘れ

地蔵尊をば信仰せしが ついに菩薩に身を捧げんと 委細詳しく書置せられ

切りし縁の黒髪添えて これを形見と仏間に残し 鏡取り出し本願経と

共に菩薩の画像を抱き 頃は元中六年春の 弥生半ばの或る夜のことよ

草木眠れる丑三つ時に 姫は密かに人目を忍び 住まい慣れたる館を後に

玉の露草踏み分けられて 独りすごすご轟淵に 向う姿や月影淡く

女心のその一筋に 姫は程なく淵にと至り 遥か南の空伏し仰ぎ

さても懐かし御父母よ 親に先立つ不孝の罪を 何卒お許し遊ばしませと

髪に差したる櫛簪を 淵のほとりに置き残されて 今を名残と山見渡せば

谷の嵐も無情を告げて 響くそのとき豊姫君は 袖にしぐるる涙を払い

いとも優しく両手を合わせ 地蔵菩薩の声諸共に 花の蕾のその身を捨てて

哀れなるかや轟淵の 水の泡にぞ消え失せ給う さても御父頼直公は

姫の残せし書置見られ 哀れ果て無き最期を知りて 心狂わんばかりに嘆き

深くこれをば哀れみ給い 姫の冥福祈らん為に 石を選びて石工に命じ

地蔵尊をば刻造なして 淵の上にぞ安置し給う 長の文句の豊姫伝記

まずはこれにて終わりを告げる