佐伯市の盆踊り唄 1

1、地域別の特徴・伝承状況

 

(1)上浦町

・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。一部に二十三夜様の踊りが残っている。

・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。精霊棚の辺りには茣蓙を延べるなどして、初盆家庭の人などが座れる場所を広くとっている。

・太鼓は、ワク打ちをあまり挟まずにゆったりと力強く叩く。

(浅海井浦)

・浅海井、浪太それぞれ8月15日に合同供養踊りをする。浅海井のみ、23日には地蔵踊り(二十三夜様)をしており盛況。

・供養踊りの冒頭に「余念仏」を唱える。盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊り・扇子踊りと提灯踊りがあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。これとは別に、地蔵踊りのハネ前には「ごうし音頭」も余興的に踊られている。口説と太鼓。

(津井浦)

・8月15日に合同供養踊りをしており盛況。

・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。うちわ踊り・扇子踊り(所作は共通)は浅海井とは踊り方が異なり、津久見方面と共通の所作が見られる。提灯踊りもあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。口説と太鼓。

(最勝海浦)

・浦ごとに合同供養踊りをしている。昔は地蔵踊りもあった由。

・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。踊りは提灯踊り、うちわ踊り、手踊り(三つ拍子)、扇子踊りがあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。扇子踊りは衰退している。口説と太鼓。

 

(2)佐伯市

・市街地を中心に、「佐伯音頭」「佐伯小唄」「ばんば踊り」等の音源に合わせて踊る形態が多くなっているが、堅田・木立・西上浦など周縁部では旧来の盆口説あるいは「堅田踊り」が今なお盛んに行われている。

・「堅田踊り」の伝わる上堅田・下堅田・青山地区では1坪弱程度の低い音頭棚を設け、音頭取り・三味線弾きが上がる(太鼓の位置はところにとって異なる)。それ以外の地区では通常の形の音頭棚(櫓)に音頭取りが上がり、下で太鼓を叩く。ただし音源を流すばかりになった地域では、櫓の上に太鼓を据える例も見られる。

 

a 佐伯地区

・自治会あるいは校区ごとに合同供養踊りを行う。各種イベントやお祭りの寄せ踊りもあり、盛況。

・音源を流してそれに合わせて太鼓を叩き、踊る形態の盆踊りばかりになっている。旧来の盆口説は「長音頭」「ごうし音頭」が僅かに残る程度。

(臼坪)

・かつて、「長音頭」の口説で手踊りと団七踊りが踊られていた。音頭の節が、堅田方面とは若干異なる。

 

b 鶴岡地区

・自治会ごとに合同供養踊りを行うほか、地区全体の盆踊り大会もしており盛況。

・旧来の盆口説は衰退し、「佐伯音頭」等の音源を流してそれに合わせて太鼓を叩く形態の踊りばかりになっている。

 

c 西上浦地区

・浦ごと、集落ごとに合同供養踊りをする。

・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。うちわ踊り・扇子踊りがあるが踊り方は同じ。なかなか難しい。これらとは別に「ごうし音頭」もある。口説と太鼓。

 

d 八幡地区

詳細不明

 

e 大入島地区

・浦ごとに合同供養踊りをするが、人口が減少し近年は衰えるばかりだと聞く。

・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。踊りは手踊りと扇子踊り、団七踊りがある。扇子踊りは西上浦のものとは異なる。難しい踊り方で、輪が立たなくなっている。団七通りは3人組の棒踊りで、保戸島の団七踊りは「大入島から伝わった」らしい。口説と太鼓。

 

f 上堅田地区

・集落ごとに合同供養踊り・風流しの踊りをしている。一部では地蔵踊りもする。

・旧来の踊りは堅田踊りで、三味線・音頭の伝承者が減少し、音源を利用するところが増えている。演目は下堅田北部と共通で、「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「恋慕」「思案橋」「一郎兵衛」「対馬」「佐衛門」「那須与一」「長音頭」の10種類の中からいくつかを踊る。「与勘兵衛」「お夏瀬十郎」「那須与一」が扇子踊りで、ほかは手踊り。「長音頭」以外は小唄である。口説と太鼓、三味線。

・「恋慕」「思案橋」「対馬」「佐衛門」は手数が多いし同じ所作の繰り返しが長く、覚えづらい。全体的に見て所作がおとなしく、優美な印象を受ける。殊に「那須与一」「思案橋」「恋慕」などがところの名物といえるだろう。「与勘兵衛」「お夏清十郎」「那須与一」が扇子踊りで、ほかは手踊り。また「一郎兵衛」のみ男踊りと女踊りに分かれており、女踊りは「長音頭」の踊りと共通である。結局、音頭も踊りも10種類ということになる。近年は「長音頭」のときにも男女別に輪が立っているが、これは「長音頭」の短縮化に伴うものだろう。

(蛇崎)

・合同供養踊りをする。

・「佐伯音頭」等の音源に合わせて踊るのが主になっており、堅田踊りは「長音頭」が残るのみ。

(久部・中山・下城)

・それぞれ合同供養踊りをする。

・堅田踊りの際も音源を使用する。10種類のうち「対馬」「佐衛門」等は省略することがある。

・「佐伯音頭」等の余興の踊りでは二重に膨れ上がった踊りの輪も、堅田踊りになると一重の輪が立つのがやっとになっている。

・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。

(上城)

・合同供養踊りと、8月23日には地蔵踊りもしており盛況。

・堅田踊りの際は音源を使わずに、三味線・太鼓・音頭により10種類すべてを踊っている。「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」などでは二重の輪が立つが、「対馬」「佐衛門」になると一重の輪が立つ程度。また、「思案橋」「那須与一」は踊りが揃いにくい。

・調弦の時間を利用して「佐伯音頭」「ばんば踊り」等の音源を流して余興の踊りをする。「佐伯音頭」で輪を立てたら「高い山」「与勘兵衛」…と踊っていき、9番目の「佐衛門」の後に中入れ。後半はお為半蔵の「長音頭」で、昔は長時間踊ったのだろうが今はせいぜい10分程度で切っている。

・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。

(岸河内・大越)

・それぞれ合同供養踊りを行う。

・堅田踊りは「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「一郎兵衛」「切音頭」「長音頭」の6種類が残る。「切音頭」は城村の「那須与一」と同種。また「長音頭」の三味線はよそが大抵二上りなのに対して本調子で弾く。外題も、よそは大抵「お為半蔵」だがここでは「炭焼き小五郎」を口説いている。口説と太鼓、三味線。

 

g 下堅田地区

・集落ごとに合同供養踊り・風流しの踊りをしている。一部では地蔵踊りもしている。地区全体で「堅田踊りの夕べ」も開いており盛況。

・当地区は堅田踊りの本場中の本場で、地域ごとに演目が異なりバリエーションに富んでいる。具体的に見れば北部(宇山・江頭・汐月)、津志河内・小島、柏江、泥谷、西野、波越、石打、府坂、竹角の9グループに分けられ、グループが違えば同じ外題の演目であっても音頭の節や文句、三味線、踊りがそれぞれ異なる。これは当地域が天領・藩領の入り混じっていたことに起因し、上方由来の音頭・踊りを集落ごとに工夫し、役人をもてなす際に披露したとのことである。ところが、このバリエーションの豊富さが却って音頭・三味線・踊り手の減少に拍車をかけているのが現状で、最盛期には全体で40種類以上を数えた演目も年々少なくなっている。全体的に見て北部3集落の踊りは今なお盛んだが(北部3集落および上堅田の各集落で互いに加勢ができるため)、それ以外の集落は年々踊りの輪が小さくなるばかりである。

(宇山)

・合同供養踊りをする。

・演目は上堅田と共通で、「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「恋慕」「思案橋」「一郎兵衛」「対馬」「佐衛門」「那須与一」「長音頭」の10種類(詳細は上堅田地区の項を参照)。一重の輪がやっと立つ程度で、特に「思案橋」「対馬」「佐衛門」は踊れる人が減り輪が小さくなるばかりである。どの踊りもよいが特に「那須与一」の扇子踊りが優美で、狭い坪で一斉に扇子を上下に繰ってはクルリと反転して弓を引く様は壮観であったが、だんだん踊りが揃わなくなってきている。口説と三味線、太鼓に合わせて踊る。

・調弦の時間を利用して「佐伯音頭」「ばんば踊り」等の音源を流して余興の踊りをする。

・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。

(江頭)

・8月24日に地蔵踊りをする。

・演目は宇山と共通だが、すべて音源を使用している。

(津志河内)

・合同で供養踊りをする。

・演目は「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「長音頭」など5種類程度で、北部の踊りとよく似ている。ここは「長音頭」の踊り方がよそとずいぶん違い、初めに返るまでに左に二回りする。手数が多くてやや難しいが、優美な手振りでところの名物となっている。

・堅田踊りのときも左回りの輪を立てる。

(柏江)

・合同で風流しを兼ねた供養踊りをする。集落規模の割に人出が多く、盛況。

・現行の演目は「兵庫節」「大文字」「茶屋暖簾」の3種類。「兵庫節」は手踊り、「茶屋暖簾」は手拭い踊り。「大文字」は女踊りと男踊りがあり、女踊りは扇子踊りで外側の輪、男踊りはうちわ踊りで内側の輪。「兵庫節」「大文字」は所謂「佐伯節」の系統で、後者はよそでいう「長音頭」である。小唄踊りの類は「茶屋暖簾」を残すのみとなっている。堅田踊りの伝わる集落の中では、最も演目が少ない。明治末期の頃はほかに「鶯」「奴踊り」「待宵」「本調子」「夜盗頭」なども盛んに踊られていたとのことだが、文句や踊り方等の記録がなく、詳細不明。口説と三味線、太鼓(茶屋暖簾のときは拍子木)。

・3種類の踊りの中でも「茶屋暖簾」は柏江名物で、浴衣の袖をくるりと返したり、手拭いの端を肩にひっかけて反対の端を拝み手で持ち継ぎ足でジグザグに進んだりする所作が優美を極める。「大文字」の扇子踊りも派手で、柏江の踊りは昔から近隣でも評判だったという。

・かつて、棚の上は音頭取りや三味線で超満員、「大文字」の音頭も今のように同じ節を繰り返すのではなく、要所に「さわ節」「落とし」「大落とし」など違う節を挿む唄い方をしていた。また、外題は現行の「お為半蔵」以外にも「小五郎」「白滝」等があった。踊りの輪も何重にもなり深夜まで踊っていた由。今でも音頭・三味線ともに数名ではあるが後継者がおり、特に「茶屋暖簾」は唄い方が難しいが、音源は使っていない。

(泥谷)

・合同で風流しを兼ねた供養踊りをする。後日、観音様の踊りもするが、そのときは仮装も出る。

・現行の演目は「与勘兵衛」「様は三夜」「伊勢節」「お夏清十郎」「長音頭」の5種類。「長音頭」のみ手踊りで、よそで一般に踊られる16足の踊り方より2つ手拍子が多く、18足で踊る。あとの4種類はすべて扇子踊り。平成初期まではほかに「思案橋」「対馬」「本調子」を、さらに古くは「一郎兵衛」も踊っていた由。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。

・泥谷の踊り方は足運びが細やかで、扇子を両手で高く持ちクルリクルリとねじ回していくなど優美な所作が目立つ。その中で「伊勢節」は派手な踊り方で、所作が易しいし、音頭も賑やかなので人気が高いようだ。

・音頭、三味線ともに後継者がおり、踊りも中年以上の女性ばかりだがどうにか一重の輪が立っている。昔は棚の上が音頭取り・三味線弾きで満員で、坪には二重三重の輪が立っていたとのこと。

・現行の5種類は全て二上りなので調弦のための間が空くこともなく、「佐伯音頭」その他の余興の踊りを挿むことはない。

(西野)

・合同で観音様の盆踊り大会をする。公民館の坪を万国旗で飾り、賑やかな雰囲気。

・現行の演目は「男だんば(男踊り)」「女だんば(女踊り)」「牡丹餅顔(男踊り)」「しんじゅ(女踊り)」「与勘兵衛(男踊り)」「花笠(女踊り)」「だいもん(男踊り)」「花扇(女踊り)」「お市後家女(男踊り)」「きりん(女踊り)」「小野道風(男踊り)」「ご繁昌(男踊り)」に余興の「長音頭」を加えて13種類。「男だんば」は総のついた棒、「花笠」は扇子2本、「花扇」「きりん」は扇子1本、「ご繁昌」は手拭いを使い、残りは全て手踊り。かつてはほかに「いろは(女踊り)」「新茶(男踊り)」「浮名(女踊り)」「チョイトナ(男踊り)」「帆かけ(女踊り)」も踊り、合計18種類を数えていた。全部踊ると3時間程度かかったとのこと。「男だんば」「女だんば」「長音頭」が口説で、残りが小唄。

・西野の踊りは、余興の踊り以外は全て男踊り・女踊りに分かれている。全部の踊りが男女別になっているのは西野だけで、上方の役人をもてなす際に坪で男踊りを踊ったかと思えば座敷で女踊りを踊り…というふうに、交互に踊って少しでも変化のつくように工夫した名残とのこと。近年まで男女別に踊っていたが輪が立たなくなってきたので、今は全て男女一緒に踊っている。また、現行の踊りは男踊りが7つ、女踊りが5つなので、「花笠」を2回踊って男踊り7つ・女踊り6つとして両者がが交互になるようにしている。

・男踊りと女踊りの対比がおもしろく、「牡丹餅顔」や「お市後家女」の田舎風の所作や、「花笠」「花扇」の体を後ろに傾けてシナをつける所作、「ご繁昌」の反復横飛びなど非常にバリエーションに富んでいる。全ての踊りを完全に覚えるのは容易なことではない。「牡丹餅顔」「花笠」「だいもん」「ご繁昌」では二重の輪が立つが、「しんじゅ」「きりん」「花扇」のときにはとても小さな一重の輪がやっとなっている。

・踊りにもまして難しいのが音頭・三味線で、後継者難に直面している。殊に「しんじゅ」「きりん」「花扇」「いろは」「浮名」は端唄風の節回しで、間の取り方が難しい。かつては棚の上に上がりきれないほどの人数がいたという三味線弾きも皆無になってしまい、一時期は音頭もいなくなり、音源に合わせて太鼓のみ叩いていた。近年、音頭のみ復活したが、やはり三味線弾きがおらず、音源にかぶせて唄っている状態である。

(波越)

・8月16日に風流しの盆踊りをしていたのだが、平成28年頃より休止している様子。かつては8月24日に地蔵踊りもしていた。

・平成22年の時点で「南無弥大悲」「高い山」「与勘兵衛」「わが恋」「十二梯子」「芸子」「智慧の海山」「淀の川瀬」「お竹さん」「長音頭」の10種類が残っていた。「与勘兵衛」は親骨1本開いた扇子、「わが恋」は左手に開いた扇子・右手に畳んだ扇子(おそらく提灯の代替)、「十二梯子」は畳んだ扇子(おそらく綾棒の代替)、「芸子」は開いた扇子、「智慧の海山」は手拭い、「淀の川瀬」は開いた扇子2本、「お竹さん」は親骨1本開いた扇子2本を持ち、残りは手踊り。昔は「大文字山」「ほんかいな」「無理かいな」も踊り、合計13種を数えた。これは西野に次ぐ多さである。「長音頭」以外は小唄。

・ところの名物は「淀の川瀬」で、その優美なことといったら堅田踊りの中でも白眉かと思われる。この踊りの前に一旦輪を崩し、全員が退場しておく。そして「段前」という、短いフレーズを繰り返す賑やかな三味線に乗って、簡単な所作で踊りながら坪に繰り込み、輪を立てていく。このとき、扇子は半開き程度。段前が終わると同時に一斉に扇子を振り開き、それから先はゆったりとした美しい所作の当て振りが続く。そして各節の終わりの方で、同じ輪の中で前向きの人・後ろ向きの人…と交互になり、向かい合わせになってキメ。囃子に入れば、後ろ向きの人がクルリと反転し、また全員同じ向きに進んでいくのである。盆踊りらしからぬ手の込みようで、結局は輪踊りの体をなした組踊りと見てよいだろう。この、半ばで前後が互い違いに向かい合わせになる所作は「お竹さん」でも出てくる。ほかにも「十二梯子」の、畳んだ扇子を高く両手で挟み持ちゆっくりと回す所作や、「智慧の海山」の畳んだ手拭いをクルリクルリと巻き込んでいっては開く所作など、興趣に富んだ踊りが多い。

・踊り手のほとんどが中高年以上の女性ではあったが、集落規模と踊りの難度を考慮すればそれなりに多く、一重の輪が立っていた。音源を使わずに三味線弾き・音頭取りともに数名が棚に上がっていたが、こと音頭に関しては節が難しく高調子の唄が多いためやや難渋している様子であった。その後の経緯は定かではないも、あの難しい踊りではいよいよ伝承に難渋したであろうことは想像に難くない。

・波越は堅田きっての「踊りどころ」として名高いところで、その背景には歌舞伎芝居が盛んであったことが大きいようだ。そのためか「淀の川瀬」や「十二梯子」等の芝居がかった唄や、「芸子」「我が恋」に見られるようなぞめき唄の類など、都会の流行小唄・座興唄の吹き溜まりの感がある。

(石打)

・合同で供養踊りをする。

・演目は「高い山」「与勘兵衛」「様は三夜」「淀の川瀬」「大文字山」「お竹さん」「竹に雀」「団七棒踊り」「お染久松」「長音頭」の10種類を数えたが衰退著しく、今は「お染久松」「与勘兵衛」「長音頭」など数種類を残すのみとなっている。「お染久松」は手拭いを、「与勘兵衛」はうちわを持って踊る。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。

・現行の踊りの中では「お染久松」が目を引く。手拭いを左に振って端を肩にひっかけながらクルリと左に回り込む所作や、両手を振り上げる所作など、派手な中にも粋な風情があって大変よい。トンチの利いた文句や浮かれた調子の節回し、賑やかな三味線もよく、ところの名物である。

・踊り手の減少が著しく、中年以上の人が数名しか踊っていない。小さな一重の輪も立つか立たないかといった程度で、しかも踊りが難しいため輪が乱れがちである。音頭取りや三味線弾きは棚の上に3名程度おり、音源は使っていない。

(府坂)

・合同で供養踊りをする。

・演目は「高い山」「与勘兵衛」「大文字山」「小野道風」「淀の川瀬」「坊さん忍ぶ」「数え歌」「わが恋」「お染久松」「大阪節」「長音頭」の11種類だが、この全てが残っているかどうかは不明。「大文字山」「わが恋」は現存を確認している。「わが恋」は左手に扇子、右手に提灯をさげた棒を持って踊る。その提灯は電球つきで、淡い光が美しい。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。

・「わが恋」の、提灯をクルリと回してかつぐ所作がよい。一方で「大文字山」は、片手を振り上げては返して継ぎ足の連続で、千鳥に進んでいくところなど浮かれ調子もおもしろく、両者の対比が見事である。

・集落規模のわりに踊り手は多い。子供もよく踊っている。音頭取りや三味線弾きも棚の上に数名おり、音源は使っていない。

(竹角)

・少なくとも平成20年以降は、盆踊りを休止している模様。

・演目はかつて「与勘兵衛」「大文字屋」「小野道風」「淀の川瀬」「坊さん忍ぶ」「数え唄」「わが恋」「お染久松」「大阪節」「長音頭」の10種類を数えたが、伝承状況は不明。

 

h 青山地区

・集落ごとに合同供養踊りをしている。

・青山の盆踊りは堅田踊りで、演目は「あの子よい子(高い山)」「与勘兵衛」「小野道風」「坊さん忍ぶ」「数え唄」「初春」「織助さん」「長音頭」等があったが、伝承状況は不明。「長音頭」「織助さん」が口説で、ほかは小唄。

・黒沢の演目は『民謡緊急調査』の音源で聴くことができるが、三味線を使わず太鼓のみである。一方で加藤正人先生の録音資料による「織助さん」等は三味線を使っている。

 

i 木立地区

・地区全体で合同供養踊りをしている。竹灯籠などでグラウンドを飾り、賑やかな雰囲気である。大きな一重の輪が立ち、盛況。かつては集落ごとに実施していた。

・盆口説は「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」があった。「お為半蔵」など77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「おすみ」など75調の段物は「祭文」で口説く。前者は唄い方が難しく、今は「おすみ」を祭文で口説くばかりになっている。踊りは「一つ拍子」(扇子踊り)、「三つ拍子」(扇子踊り)、手踊りがあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。口説と太鼓。

・当地域の「木立扇子踊り」は、堅田踊りや小半の扇子踊り、丸市尾浦の扇子踊りなどと並んで非常に手の込んだ踊りで、近隣にも評判である。殊に「三つ拍子」は複雑を極める。扇子を親骨1本だけ開いて踊り始めて、途中で後ろ向きになって扇子を開き、右に左に流しながら弓を引き引き左に回り込んでいき、扇子を畳む。ここまでの手数が30呼間を下らず、覚えるのに容易ではない。

・加藤正人先生『続ふるさとのうた』によれば、踊り方があまりに難しいため扇子踊りは昭和30年頃に一時途絶えたとのこと。これを惜しむ声が高まり、高齢者に教えてもらいながら練習を重ねて、昭和50年代に復活して今に至っている。このような経過をたどっているためか伝承に熱心で、若い人でも上手に踊っている。

・余興として、音源を流して「ばんば踊り」「佐伯音頭」等も踊るが、徐々にこちらの比重が増してきている。旧来の踊りがあまりに難しく、やむを得ないことと思われる。

 

 

 

(3)鶴見町

・盆口説は地の音頭が「ヨーヤセ節」か「佐伯節」で、「祭文」を入れ節にする。ハネ前は「切音頭」。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊り、扇子踊り、提灯踊り等がある。扇子踊りはほぼ廃絶している。

・うちわ踊りは今なお盛んに踊られているも、ヒラヒラとうちわをこね回しては盆足を踏んでいくのが大変難しい。一目見ただけではとてもついていけないような手振りは優美を極めるも、「最近は踊りが崩れてしまい、昔の踊りとは変わってしまった」云々の声も聞かれるとのこと。

 

a 西中浦地区

・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。

・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。

(吹浦)

・昔は初盆供養以外にも、お大師様、お地蔵様など7夜ほど踊っていた。今は、2晩連続で踊るのみ。

・踊りはうちわ踊りと手踊り。昔は八百屋踊り、団七踊りもあった。音頭は共通。

(地松浦)

・音頭棚のすぐ横には木造の、非常に立派な精霊船を据えている。

・「お為半蔵」を最初から最後まで、全部口説いている。本場の下堅田地区では既に全文口説くことはなくなっており、貴重である。地の音頭は「佐伯節」の類で所謂「長音頭」だが、75調の箇所では「祭文」を入れ節にしている。その節の繋ぎ方が巧みで、なめらかに繋がるようよく工夫されている。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊りを残すのみとなっており、扇子踊りと提灯踊りは廃れている。口説と太鼓。

 

b 中浦地区

・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。

(羽出浦)

・地の音頭は「ヨーヤセ節」で、75調の箇所では「祭文」を入れ節にしている。口説と太鼓。

・踊りがはねたら、全員で「地蔵和讃」を唱える。和讃というよりは御詠歌に近く、技巧的な節である。伴奏に太鼓がつき賑やかだが、踊りは伴わない。

 

c 東中浦地区

大島以外は現状不明

(大島)

・合同で供養踊りをする。かつては3夜連続で踊っていた。

・旧来の盆口説・踊りが残ってるかどうかは不明。

 

 

 

(4)米水津村

・浦ごとに合同供養踊りをする。昔は4年に1回実施し、4年分の初盆供養をまとめて行っていた(ヨリ年には実施せず、翌年に持ち越していた)。その後2年に1回になり、近年は毎年輪を立てている。 ※ヨリ年=旧暦のうるう年

・初盆家庭は傘鉾を出す。これは長い竿の先に蝙蝠笠をつけて、その開いた傘に個人の着物をかけ、さらに遺品をつりさげたりしたもので、依代の役割を果たすという。ハネ前30分頃、「切音頭」にかかる前に宮野浦では傘鉾にさげた提灯に灯を入れ、色利浦では傘鉾にグルリとさげた線香に火をつける。切音頭が始まるとめいめいの傘鉾を先頭に、位牌・遺影を持った人、遺族、隣保班の人と続いて、3周まわる。そして踊りがはねたら寄り道をせずに急いで家に帰り、お縁から仏壇の方へ傘鉾を捧げ入れ、着物を外すとのことである。

・宇佐方面の「庭入」とはまるで様式が異なるも、傘鉾を出すという点は共通である。もとをただせば、同じ発想のものだろう。

・地の音頭は所謂「ヨーヤセ節」で、75調の字脚では「祭文」を入れ節にする。ハネ前には「切音頭」を口説く。踊り方はただ1種類、うちわ踊りを残すのみとなっている。口説と太鼓。

 

 

 

(5)蒲江町

・浦ごとに合同で供養踊りをする。かつては数夜連続で踊るのが当たり前だったが、今は一晩のみで済ませるところが多くなっている。

・盆口説の節は浦ごとに違うが、所謂「ヨーヤセ節」の変調であることが多い。踊り方については、扇子踊り、二本扇子、うちわ踊り、手つなぎ踊りなど多彩を極める。

・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。

 

a 上入津地区

・浦ごとに合同で供養踊りをする。かつては数夜連続で踊っていたが、今は一晩のみで済ませる。

・地の音頭の節が蒲江地区とは異なり、木立地区の「長音頭」の節を簡略化して1節2句にしたような節を繰り返す。77調に75調が混じる段物では、75調の箇所は「祭文」を入れ節にして唄う。口説と太鼓。

(畑野浦)

・かつては8月14日に初盆供養踊り、15日に先祖供養踊り、17日に観音様踊り、21日に地蔵踊りをしていた。8月14日にこの4つの踊りを全て集約して行う。

・口説は「お為半蔵」の音頭と、「野辺和讃」の祭文で2時間近くかかるので他の外題は出ない。踊りは1種類のみ(うちわ踊り)。口説と太鼓。

・ハネ前、切音頭にかかると初盆の家の人が短冊をさげた竹を持ち、親類縁者がそのあとに着いてまわる。米水津の傘鉾の行事と同様の意味合いと思われる。

(尾浦)

・昔は8月14と15日に踊ったが、今は14日のみ。人口が減少し、年々踊りの輪が小さくなるばかりだという。ヨリ年は「お大師様踊り」として踊り、翌年、2年分の新仏供養踊りをする。

・現行の踊りは1種類のみ。昔は2種類あった。口説と太鼓。

・ハネ前には、遺影抱いて鉦をならしながら音頭棚の周りを回る。

(楠本浦)

・昔は8月14日と15日に踊ったが、今は14日のみ。

・現行の踊りは1種類のみ(うちわ踊り)。口説と太鼓。

 

b 下入津地区

・浦ごとに、または集落ごとに合同で供養踊りをする。

・上入津地区とは音頭の節が異なる。

(西野浦)

・4つの集落が合同で、神仏の位牌を寄せて西野浦全体の供養踊りをする。仲川原集落のみ、8月15日に観音様踊りもする。かつては4つの集落がそれぞれ別個に、14日から7夜連続で踊っていた。

・西野浦の盆踊りは独特の形態を持ち、音頭棚の周りに二重の輪を立てる。中の輪ではうちわを持って踊り、これを「中踊り」という。外の輪ではみんなで手をつないで行ったり来たりする「輪踊り」が踊られる。「中踊り」の踊り手が減り、今は「輪踊り」ばかりになりつつある。口説と太鼓。

(竹野浦河内)

・3つの集落でそれぞれ供養踊りをしている。竹野浦河内では8月14日に供養踊りをして、15日には地区のお祭りで踊る。元猿では8月14日に供養踊りをする。昔は2晩連続で踊り、初盆の家でも踊っていた。

・昔は数種類の踊りがあったが、今はごく簡単なうちわ踊りばかりになっている。口説と太鼓。

 

c 蒲江地区

・浦ごとに、または集落ごとに供養踊りをする。

・音頭の節は所謂「ヨーヤセ節」の系統だが、浦ごとに異なる。

(蒲江浦)

・合同で供養踊りをする。2夜連続で踊っている。

・地の音頭は米水津のものよりもゆったりとしており、やや節が細かい。以前は5字のところで「祭文」を入れ節にしていたのだが、今は5字の箇所をとばして口説き、入れ節は聞かれなくなっている。中入れ前・ハネ前には「切音頭」を唄う。踊りは2種類、いずれも扇子踊りで「一本踊り」と「二本踊り」とがあるが、近年は「二本踊り」ばかりになっている。「二本踊り」は扇子2本を使う踊りで、手数は少ないし扇子も開きっぱなしなので易しい部類ではあるも、右に左に反転しながら両手を高く仰ぐ所作がなかなかよい。口説と太鼓。

・狭い坪に三重、四重の輪が立つ。中央の音頭棚からは万国旗や盆提灯等を巡らし、賑やかにしている。坪の片隅には精霊棚が設けられ香灯の絶え間を知らない。狭い坪でめいめいに2本の扇を一斉に仰いでいくので、まるで音頭棚の周りが波打っているような優美さがある。

(河内)

・かつては8月14日から3夜連続で踊った(順に初盆供養踊り・先祖供養踊り・山の神踊り)が、今は14日に集約している。

・音頭と踊りは蒲江浦と共通。口説と太鼓。

(深島)

・8月14日と15日に踊る。

・音頭と踊りは蒲江浦と共通。口説と太鼓。

・島の人口は50人足らずだが、帰省した人も加わり踊りの輪を立てている。

(猪串浦)

・合同で供養踊りをする。

・地の音頭の蒲江浦とは全く違い、名護屋地区の節と共通。音頭代わりその他で適宜「どんさく」という75調のイレコを挿む。ハネ前には「切音頭」を唄う。口説と太鼓。

(越田尾)

・初盆の家の坪か、またはその近くの空き地等で踊る。

・音頭と踊りは猪串浦と共通。口説と太鼓。

(屋形島)

・合同で供養踊りをする。

・『蒲江町盆踊口説集』には、屋形島の盆口説として地元のもの以外にも宇佐の「マッカセ」や野津の「三重節」、堅田踊りの「那須与一」「しんじゅ」「淀の川瀬」「本調子」、丸市尾浦の「祝い音頭」、森崎浦の「繁昌づくし」、畑野浦の「祭文」など、他地域由来のものが掲載されている。現状は不明で、或いはこの地の音頭本に掲載されていただけで実際に唄い踊ったわけではないのかもしれない。

 

d 名護屋地区

・浦ごとに合同で供養踊りをする。

・地の音頭の節は所謂「ヨーヤセ節」の系統だが、蒲江浦とは全く異なる。テンポがずっと遅く、音引きが多いし音域も広く、やや難しい。77調に75調が入り混じる段物の場合、75調の箇所では「祭文」を入れ節にする。また、音頭代わり、ハネ前その他には「どんさく」という75調のイレコを挿む。また、輪立ての「出し」やハネ前の「切音頭」は他地域と同様「サンサ節」の類だが、よそに比べると単純な節である。

(葛原浦)

・現行の踊りは扇子踊り1種類のみ。口説と太鼓。

・踊り方が難しく、年々踊りの輪が小さくなるばかりである。

(森崎浦)

・8月14日に初盆供養の踊りを、16日は先祖供養の踊りをしている。

・踊り方が難しく、年々踊りの輪が小さくなるばかりである。口説と太鼓。

(丸市尾浦)

・8月14日にお寺で供養踊りをして、16日には広場で踊る。16日は多少くだけた雰囲気で、余興的として「佐伯音頭」「炭坑節」「蒲江音頭」などを音源に合わせて踊ってから、口説の踊りに移行する。

・昔は「畑野浦(はたんだ)踊り」「宇目踊り」など、合計10種類を数えた。今は「たもと踊り」「どんさく踊り」の2種類しか踊られていない。このうち「たもと踊り」は扇子踊りで、所作が難しい。堅田踊りや木立の「扇子踊り」等に匹敵する優美さで、ところの名物といえるだろう。口説と太鼓。

・踊り方が難しいので年々踊りの輪が小さくなるばかりだが、それでも16日には二重の輪が立っている。

(波当津浦)

・8月7日頃から練習して13日は本番の練習、14日は供養踊り、15日は仮装踊り、16日にも踊っている。

・昔は10種類の踊りがあったが、今は4種類を踊っている。また、16日の踊りの際には必ず「繁盛づくし」が唄われる。これは段物口説の音頭とは全く異なり、堅田踊り「しんじゅ」や山路踊り「酒宴づくし」等と同系統のもので、もとは三弦唄である。口説と太鼓。

・この地域は人口の減少が著しく踊りの輪が年々小さくなっているが、町内のほとんどの地域の盆踊りが一夜ないし二夜に集落されてきた中で一夏に4回は輪を立てている。踊り熱心な土地柄なのだろう。

 

 

 

(6)弥生町

・集落ごとに合同で供養踊りをする。ほとんどの集落で既に廃絶しているようだ。

・旧来の盆口説が下火になり、「佐伯音頭」「弥生小唄」等の音源に合わせて踊ることが多い。

・地の音頭は「長音頭」または「ヨーヤセ節」の類で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。ハネ前は「切音頭」を唄う。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊り。

 

 

 

(7)本匠村

・村全体で盆踊り大会をする。かつては集落ごとに供養踊りをしていた。

・村の盆踊り大会では「本匠音頭」ほか新民謡の音源を流して踊るばかりで、旧来の踊りは「長音頭」のうちわ踊りが残るのみ。それも音源を流しており、盆口説の伝承は途絶えているようだ。

 

a 中野地区

(笠掛)

・合同で供養踊りをしていた。

・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊りで所謂「佐伯踊り」の類だが、堅田方面の踊り方とはずいぶん違う。

(小半)

・合同で供養踊りをしていたが、小半の盆踊りは踊り方が難しく、少子高齢化が著しい中で伝承者が減少し休止状態となっている。

・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。踊り方は「うちわ踊り」「扇子踊り」「団七踊り」があり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。「扇子踊り」は独特の所作が優雅で、ひところは木立の扇子踊りや堅田踊りと肩を並べるほどの評判を呼び、別府に招かれて踊りを披露したりしたこともあった。「団七踊り」は他地域と同様、3人組の棒踊り。

 

b 因尾地区

(山部)

・初盆の家を門廻りで踊っていた。

・昭和35年頃までは、供養踊りの開始にあたって「道がけ」という行事をしていた。笛・太鼓・鉦の伴奏で和讃を唱え、4人の女性が扇子を持って念仏踊りを踊っていた。それがすむと一般の盆踊りに移行していた。

 

 

 

(8)直川村

・村全体で盆踊り大会をする。かつては集落ごとに供養踊りをしていた。

・村の盆踊り大会では「直川音頭」「佐伯音頭」等の新民謡の音源を流して踊るのが主だが、旧来の盆口説による踊りも行われている。

・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。75調が長く続くところでは「祭文」の中にさらに違う節(出雲節の字余りに近い)を挿む。ハネ前は「切音頭」を唄う。口説と太鼓。

 

 

 

(9)宇目町

・集落ごとに合同供養踊りをするが、下火になってきている。町の盆踊り大会もある。

・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。音頭代わりなどには75調の繰り返しのイレコを挿む。ハネ前には「切音頭」を唄う。

・旧来の盆口説・踊りも残っているが、新民謡「宇目音頭」や民謡「宇目の子守唄」の音源を流して踊ることの方が多くなっている。

 

a 小野市地区

・集落ごとの供養踊りは数か所に残るのみとなっており、お祭りのときなどに踊る機会の方が多い。

・旧来の踊りは「うちわ踊り」「棒踊り」で、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。盆口説が下火になり、新民謡「宇目讃歌」の音源を流して旧来の踊りを踊ることもある。「棒踊り」は房のついた棒を1本ずつ両手にもち、振り回しながら踊る。昔は「竹刀踊り」もあった。

 

b 重岡地区

・集落ごとの供養踊りは衰退著しいとのこと。

 

 

 

2、海部の盆口説について

 

 この地域の盆踊りでは、堅田踊りを除いて、口説の字脚によって地の音頭と「祭文」を切り替え、ハネ前に近世調の一口口説「切音頭」を唄うことが多い。このうち地の音頭としては「ヨーヤセ」等の囃子をもつ1節2句の盆口説と、所謂「長音頭」つまり1節3句の盆口説(佐伯節)が広く唄われており、それらは一般に音頭の符牒を持たずに段物の外題を援用して「鈴木主水」や「白滝」などと呼ぶ傾向にある。そこで比較の助けになればと思い、この特徴を持つ盆口説は下記において項目名に「海部」と付記することにした。

 まず1節2句の節については、大分市田ノ浦以南の沿岸部で広く唄われている。のろまなテンポで、無理のない節回しなので唄い易い。この種のものは浦ごとに節回しが異なるが、ある程度は地域ごとにグループ分けすることができる。広義に見れば大野・直入地方の「三つ拍子」「二つ拍子」「左さし」の類も同種と思われる。大分県の南半分で広く唄われた古い盆口説と考えることができる。

 次に1節3句の節は所謂「佐伯節」で、これは堅田谷の「長音頭」が本場である。方々で節を変えながら南海部地方はおろか、大野地方でも「佐伯節」「八百屋」として広く唄われているほか、宮崎県でも方々で唄われたという。この踊りは「三つ拍子」の「佐伯踊り」だが、これは「佐伯節」の伝承地域のみならず、たとえば津久見の「三勝」、臼杵の「祭文」その他方々で盛んに踊られている。「佐伯節」「佐伯踊り」の往時の流行のほどが覗われるし、「堅田踊り」が佐伯周辺のみならずいかに広範囲に影響を及ぼしたかを端的に示しているといえるだろう。

 一応、統一的な呼称がないと分類するうえで不便なので、1節2句のものを「海部節」、所謂「長音頭」つまり1節3句のものを「佐伯節」としたい。ただし1節2句のものであっても「佐伯節」を簡略化したことが明らかであれば、「佐伯節」と呼ぶことにする。