大分市の盆踊り唄 2

●●● 三勝 ●●● ※三勝

 県内の方々で唄われる「三勝」系統の音頭の中でもオーソドックスな節で、1節2句にて末尾に「ヤーンソレソレヤンソレサ」等の囃子をつけていくものである。この形式の「三勝」にもいろいろあるが、一応ここに分類したものは緒方町方面に残っている「かますか踏み」と似たところがあり、何らかの関係があるかと思われる。昔は大在以東の地域で非常に盛んに踊られていたのだが、今では坂ノ市や小佐井、木佐上などに残るのみとなっている。鶴崎踊りの隆盛により忘れられた感があり、それを惜しむ声もあり坂ノ市あたりでは今でも、大きな盆踊りのときにも踊られている。

 

盆踊り唄「三勝」 大分市丹生(丹生) <77・77段物>

☆盆の十六日 おばんかて行たら(ドッコイナーヨイヨイ)

 なすび切りかけ ふろうの煮しめ(ソラヤーンソーレ ヤンソレサ)

メモ:丹生では昭和初期までは踊られていたが、鶴崎踊りの流行に伴い「三勝」は全く廃絶するに至った。

 

盆踊り唄「三勝」 大分市里(小佐井) <77・77段物>

☆ハ誰もどなたも三勝さんでやろな(ソレナーヨイヨイ)

 ハどうで三勝さんな品よい踊り(ソレヤーンソーレ ヤンソレサ)

☆一つ手を振りゃ千部の供養 二つ手を振りゃ万部の供養

 

盆踊り唄「三勝」 大分市坂ノ市(市) <77・77段物>

☆アここでマー 説きだす口説の文句(ヨイトコナー ヨイヨイ)

 ヤレサヨイヤサデ 口説の文句(サーヤーンソレソレ ヤンソレサ)

☆伊予の松山に長者がはんこ 長者がはんこ

メモ:坂ノ市地区は鶴崎踊りの影響が著しく、旧来の「三勝」は下火になっている。それでも昔ながらの「三勝踊り」を保存継承していこうということで、踊りのハネ前に短時間ではあるが、必ず踊っている。この唄では段物を口説くが、盛んにイレコを挿入し変化を持たせることが多い。踊り方は木佐上の「三勝(木佐上踊り)」とは全く違い、こちらの方がずっと易しい。手数がごく少ないので子供でも覚えやすい。

 

盆踊り唄「三勝」 大分市細(佐加) <77段物>

☆盆のナー 十四日にゃおばんかて行たら(アヨイトコナー ヨイヨイ)

 ヤレサーヨイヤナデ おばんかて コラ行たら(サーヤーンソーレ ヤンソレナ)

☆おばんが 出て来て申せしことにゃ 申せし ことにゃ

☆伊予の 松山に長者がはんこ 長者が はんこ

☆はんこ 子供には兄弟ござる 兄弟 ござる

☆兄の 八郎兵衛に妹のお蝶 妹の お蝶

「ここらで入句を 入れやんしょ(アーソレソレ)

 私ゃこの頃 かか貰うた(アーソレソレ)

 そのかかいちいち 褒めやんしょ(アーソレソレ)

 頭はこんもうで 赤頭(アーソレソレ)

 眉毛は八の字で 長まなこ(アーソレソレ)

 鼻はシシ鼻 そこ蜻蛉(アーソレソレ)

 口はワニ口歯は 出歯で(アーソレソレ)

 胸は鳩胸 膨れ乳(アーソレソレ)

 腹はとっくり腹 臍でべそ

☆これも 問わずだよ皆さまごめん 皆さま ごめん

 

盆踊り唄「木佐上踊り(三勝)」 佐賀関町木佐上(神馬木) <77段物>

☆盆の踊りは伊達ではないで(ハーヨイトナーヨイヨイ)

 ヤレーヨイヤナーサー 伊達ではないで(ソラヤーンソーレ ヤンソレナー)

☆先祖祖先の供養の踊り 供養の踊り

メモ:木佐上の「三勝」は坂ノ市のものとよく似た節だが、踊り方が独特でずいぶん風変わりである。木佐上独特の踊り方で、一般に「木佐上踊り」と呼んで近隣の「三勝」とは区別している。輪の中を向いて左、右と横にかざすように振り上げ、その後は継ぎ足を一切入れずに歩きながら流して後ろ向きに回り込んで輪の中向きに戻ったかと思えば反対回りに歩いていくなど、目の回るような足運びである。その部分の手数がやや多いために初めての人には踊り方が分かりにくいが、所作は簡単なので子供にもよく親しまれている。

 

盆踊り唄「三勝」 佐賀関町神崎(神馬木) <77・77段物>

☆ハー 盆の踊りは伊達ではないで(ヨイトナー ヨイヨイ)

 アー先祖祖先のヨー 供養の踊り(ヤーンソーレ ヤンソレサ)

☆一つ手を振りゃ千部のお供養 二つ手を振りゃ万部のお供養

 

 

 

●●● エイガサー節 ●●● ※三勝

 こちらも「三勝」だが坂ノ市周辺のものとは別の節で、臼杵や野津、三重方面で唄われている節である。上句と下句の間に囃子が全く入らないほか、節が細かいので耳に速い。下句末尾の囃子が地口に近く、賑やかな雰囲気である。ヤーンソレソレ…の「三勝」よりも単純なようで、実はこちらの方が唄い方はずっと難しい。

 

盆踊り唄「三勝」 大分市吉野(吉野) <77段物>

☆わけてマ お客は どなたと訊けば

 春はマ 花咲く 青山辺の(エーイガサーッサイ)

☆鈴木 主水と いう侍で 女房 持ちにて 二人の子供

メモ:臼杵の節に近いが、踊り方は臼杵よりも野津市のものに近い。足運びや手の振り上げ方などほとんど同じである。

(踊り方)

右輪の向きから

・右足を左足の前にすべらせ、左足を右足の前にすべらせて輪の内向きに回って右足後ろに踏み左足に踏み戻す。

・輪の中に右足を蹴り出して右を向き、左足踏み出して右足に踏み戻し、左に回る。

・右輪の向きに左足を蹴り出して、手拍子1つにて早間に進む。

こちらの方が「祭文」よりずっと難しいが、子供もよく踊っている。

 

 

 

●●● 三重節 ●●● ※三勝

 これは数ある「三勝」の変調の中では最も人口に膾炙したもので、本場は三重郷である。三重野「三勝」、「三勝」の三重バージョンといってもよいだろう。近隣では「三重から伝わった音頭」の意で、元からある「三勝」と区別するために「三重節」と呼んでいるが、本場の三重では通常「由来」と呼んでいる。大野地方全域から臼杵の一部にも伝わっており、往時の流行のほどがうかがわれる。

 曲調を見ると陽旋の田舎風の節で、一息は短めだが起伏に富んでいる。唄い方が難しいが、細かい節が多いので情趣に富んだ感じがして、なかなかよい節だと思う。

 ところで「三重節」は、その曲調・テンポが「団七踊り」を踊るのによく合っており、もっぱら「団七踊り」専用の音頭として伝承されている例が多々見られる。一方、手踊りの場合は「佐伯踊り」と同様の踊り方であることが多い。結局、佐伯の堅田谷で踊られている16足の「長音頭」と同系統の踊りということである。一方で、「三重節」を団七踊りに使う地域では「佐伯節」の音頭(「佐伯踊り」あるいは「八百屋」)に合わせて佐伯踊りを踊ることが多い。このことから推して、或いは「三重節」の出自は「佐伯節」風の「三勝」ということなのかもしれないが、現状では「佐伯節」とは節があまりに違っているので、別項扱いとした。

 

盆踊り唄「三重節」 大分市戸次(戸次) <77・77段物>

☆エー月に群雲 ソレ花に風(ヤートヤイヤイ)

 散りて儚き世のならい(ヨイトセー)

 

 

 

●●● お夏 ●●● ※三勝

 これは「エイガサー」と同じく臼杵踊りの音頭の一つで、臼杵・野津・三重で盛んに踊られている。大分市では吉野に伝わるのみで、臼杵或いは野津方面から入ってきたのだろう。曲調から明らかに「三勝」の系統で、区別するために唄い出しから「お夏」の符牒で呼んだものと思われる。

 ところで、「お夏々々夏吊る蚊帳は」云々を首句とすることが多いが、これは他愛のない文句で何のことはない。おそらく昔はこの唄に合わせて「お夏清十郎」を盛んに口説いたため、ある意味で段物の「イレハ」のような感じで同じような語感を持った「お夏々々夏吊る蚊帳は…」と唄い始めたのが、何の外題につけてもこれを首句とするようになったのではないかと思う。

 

盆踊り唄「お夏」 大分市吉野(吉野) <77・77段物>

☆それじゃエー どなたも お夏でござるヨイ 踊るマ(ドッコイ)

 皆さんお手振りなおせ(ソレヤンソレサッサー ヤンソレサ)

 

 

 

●●● 葛引き ●●● ※三勝

 これは「ヤーンソレソレ…」の「三勝」の下句ばかりを繰り返すような節の唄で、臼杵市のうち津留・中臼杵・上浦、また津久見市のうち下浦地域でかつて流行したが、近年は衰退している。湯布院町以西でも「三勝」として広く唄われていたが、近年は下火になってきている。

 

盆踊り唄「葛引き」 大分市吉野(吉野) <77段物>

☆花のお江戸のそのかたわらで(ソレヤンソレサッサー ヤンソレサ)

 

 

 

●●● 海部節(その1) ●●● ※海部

 一尺屋以南にこれと同系統と思われる音頭が広く伝わっているが、囃子から音頭への入りがずいぶん変わっている。この音頭は田ノ浦にのみ残るものであって、もしかしたら縁故関係か何かで他県より伝わったものなのかもしれない。もしそうであれば、おそらく四国からの入植者によりもたらされたものだろう。

 

盆踊り唄「扇子踊り」 大分市田ノ浦(八幡) <77・77段物>

☆国は近江のホーエ 石山(ホイ) 源治ヨーホエ

 源治(コラセ) 娘におツヤというて(ヨーホイヨーホイ ヨイヤナー ハハエー)

☆おツヤいくつか今年で七つ 七つなるとき遊びに出たら

メモ:別府湾沿岸部で、扇子踊りは田ノ浦だけでしか見られない。しかもその所作が県内他地域の扇子踊りと全く異なっている。扇子をクルクルと回したりせず、ゆったりとした所作ばかりである。そのため易しそうに見えるが、却ってアラが目立つためきれいに踊るのはなかなか難しい。とてもよい踊りなのだが残念ながら知名度は低い。

 

 

 

●●● 海部節(その2) ●●● ※海部

 これは大志生木地区独特の節で、近隣に同種のものが見当たらない。しかし、元をただせば「一尺屋踊り」や臼杵の「佐志生踊り」「大浜踊り」等と同じ仲間だったのだろう。それが、浦ごとに節回しが工夫され、独自のものとして発達したものと考えられる。

 大志生木の節は、一尺屋のやや技巧的な節に比べるとずいぶん素朴で、のんびりとした田舎風の雰囲気である。なかなかよい節なのでもっと知られてもよいかと思うが、これがステージ民謡・レコード民謡となったら全く興が削がれてしまう。やはり虫の音のすだく夏の夜に、太鼓のみの伴奏で口説かれてこそのものだろう。

 

盆踊り唄 佐賀関町大志生木(大志生木) <77段物>

☆アー 鯛の刺身で酒飲むように(ヨイヤセーコリャセー)

 アラ ヨーヤナレーデー 酒飲むように(アラヨーイヤセー ヤートセ)

☆うまいうまいじゃいかないけれど いかないけれど

メモ:地元の方から「ここの踊りは佐賀関の中でもちょっと違うんよ」というようなことを伺った。確かに風変りな踊り方である。両手を右に小さく捨て、数歩進んで右、左、右と振り返るように大きく後ろに手を回して流しながら後退する。

 

 

 

●●● 海部節(その3) ●●● ※海部

 こちらは、大志生木や臼杵市佐志生、大浜などの音頭と比べるとずいぶん節が細かく、耳に速い。上句の頭3字を長く引っ張り、囃子を挿むのもかわっている。これは、他地域でも音頭交替後など節目のところにて1節のみこういった唄い方の節を挿入することがあるも、「一尺屋節」では基本的に全部をこの唄い方で通すものである。また、中囃子もやや長く、よそと違う。全体的に、情緒纏綿たる雰囲気でとてもよい。

 この音頭はもちろん一尺屋が本場だが、近隣でも「一尺屋」とか「一尺屋節」として知られており、特に臼杵市佐志生では今なお伝承されている。

 

盆踊り唄 佐賀関町一尺屋(一尺屋) <77・77段物>

★ヨイトマカセーで皆さま合点な(おうさて合点ぞ)

 合点なら踊らんせ(オイナーソレナーソレ)

 踊りてまた来年も(アーヨーヤセー ヤートセー)

☆わしのエーヘー(アヨーイヤヨーヤセー)

 音頭は今宵が初よ(オイナーソレナーソレ)

 初の音頭なら合うかもしれぬ(アーヨーヤセー ヤートセー)

☆ここで ござらぬ上方辺の 何についても不足はないが

☆不足 なければ世に瀬がござる 花のお江戸のそのかたわらに

<音頭代わり>

★待て待てちょいと声がわり(オイナーソレナーソレ)

 声がかわれば文句も変わる(アーヨーヤセー ヤートセー)

<入れ節>

○花のお江戸のそのかたわらに(アーヨーヤセー ヤートセー)

○聞くも珍し心中話

メモ:一尺屋の盆口説は、「鈴木主水」「お塩亀松」などと段物の外題でもって呼んでいる。地の音頭(☆印)を延々と繰り返すが、音頭の出しの部分や音頭取りの交代直後に特別の節(★印)を挿んだり、またごくシンプルな節を繰り返す入れ節(○印)を挿んだりと、変化を持たせる工夫がなされている。これは臼杵市大浜などほかの浦でも見られる特徴ではあるが、佐賀関町内では一尺屋地区だけである。

 踊り方は「うちわ踊り」と「提灯踊り」があり、めいめいに好きな踊り方で踊るが、後者は廃れて今は「うちわ踊り」ばかりになっている。これはごく簡単な踊りで誰にでも踊れるが、やや単調な印象を受ける。しかし疲れにくいし、この地域の踊りは長時間続き、自由に輪に入ったり抜けたりするのんびりとしたものなので、却ってこの方が都合がよいのだろう。

 

 

 

●●● サンサ節(その1) ●●●

 この唄は瀬戸内海沿岸に伝わる節で、「きそん」とか「サンサ節」として盆口説はもとより、作業唄としても唄われていた。大分県では北海部・南海部・大野・直入地方に広く伝わっており、盆踊りの最終に「切音頭」として唄われることが多い。佐賀関でも、木佐上や一尺屋では切音頭や音頭がわりに唄われているが、関では地の音頭として唄われている。節の系統から、大きく3つのグループに分けられる。いずれも遠間の太鼓に合わせた悠長な節で、度々囃子が割って入る。

 「その1」は、文句は近世調だが、上句の頭7字を3・4に分けて、それをひっくり返して唄い出すなど意表をついた構成である。

 

盆踊り唄「きそん」 佐賀関町白木(佐賀関) <77・75一口>

☆ソラ宮島はエー ソラ宮島はエー(ソレーソレ)

 安芸のナーエー(アーヨーイヨーイヤナ)

 アー宮島はエーエイコーノーコリャサンサ(アーエーンエーンサーンサ)

 「アヤンサーデーそら誠かよ

 廻れば七里ヨ ソリャ(浦は七浦)

 アードッコイ(七恵比寿 ハレバエー)

☆五万石じゃろ 五万石じゃよ 臼杵じゃ 五万石じゃら

 「この囃子ぞな

 広いようで狭い (わしにゃ似合いの)(妻がない)

 

盆踊り唄「きそん」 佐賀関町田中(佐賀関) <77・75一口>

☆アーよい子じゃノーエーヤ エーヨー よい子じゃよナ(ソレーソレ)

 アーあの子エー(アーヨーイヨーイヤナ)

 アーよい子じゃよエイコーノーサーンサ(アーエーンエーンサーンサ)

 「ハーあの子にやっときゃ身のためナー

 牡丹餅顔よ(ソラ黄粉つけたらナ なおよかろ ハレバエー)

 

盆踊り唄「切音頭」 佐賀関町木佐上(神馬木) <77・75一口>

☆五万石じゃノーエー(エヤエーヨー) 五万石ヨナー(ソレーソレ)

 臼杵ゃアーエー(アーヨーイヨーイヨナ) 五万石ヨ

 エーコーノサーンサ(アーエーンゲーンサーンサ)

 「ドッコイサーハレバイサは田舎相撲よナー

 広いようで狭い(私に似合いの妻はないハレバエー)

☆暗いのに 暗いのに 沖の 暗いのに

 「ドッコイサーハレバイサでみかん船

 白帆が見ゆる(あれは紀の国みかん)

 

 

 

●●● サンサ節(その2) ●●●

 上句の返しが多く、そこに囃子が何度も割って入るのは「その1」と同じだが、唄い出しがひっくり返っていない。おそらくこちらの方がより古く、より変化を持たせるための変調が「その1」ということなのだろう。

 

盆踊り唄「さんさ節」 佐賀関町一尺屋(一尺屋) <77・75一口>

☆ハーエー 揃うた揃うたぞナ(ソレーソレ)

 揃うたエーヘ(ヨーイヨーイヤナー)

 揃うたよエーイコーリャーサーンサ(アーエーンエーンサーンサ)

 よう揃うたよナ 踊り子が揃うたナ

 (アリャ稲の出穂より なお揃うた アリャレー)

☆臼杵ゃ五万石じゃ 臼杵ゃ 五万石じゃ 五万石じゃ

 かけこそ名所(出船入船なお名所)

☆踊り踊るなら 踊り 踊るなら 踊るなら

 品よく踊りゃんせ(品のよい子を嫁にゃとる)

 

 

 

●●● サンサ節(その3) ●●●

 こちらは「その1」「その2」に比べると、ずっと単調である。上句を何度も返すこともなければ「エイエイサンサ」云々の囃子を挿むこともない。この種の唄い方は、県内では少数派ではあるが、蒲江町丸市尾浦などに残っている。なお、吉野地区では「絵島」と呼んでいるが、この呼称は四国または瀬戸内方面から入ってきたことを示唆しているといえるだろう。四国や瀬戸内方面では「絵島」という盆踊り唄が多く採集されている(民謡大観参照)。夫々節が異なり呼称を以て単純に同一系統と見ることはできないが、何らかの由来があると思われる。

 

盆踊り唄「絵島」 大分市吉野(吉野) <77・75一口>

 ☆ここシャンと切りましょナ ナー竹の

  切りよりゃ アレワイサノ コレワイサノ ヤーヤーコノ サンサヨーイヨイ

 

 

 

●●● 杵築 ●●●

 これは国東・速見地方で盛んに踊られている「六調子(杵築踊り)」の類で、瀬戸内で広く行われている盆口説の一種である。大分市では賀来や田ノ浦あたりに伝わっていてもよさそうだが今のところ採集されておらず、野津原町荷尾杵(今市地区)で採集されているのみ。今市地区は元々は直入郡の地域で、ここに「杵築踊り」の節が伝わったのは朝地町志賀地区からと思われる。明治初年、志賀に住んでいた岡藩の田中某氏が踊り好きで、県内外から広く盆踊りを集めて志賀の盆踊りに取り入れ、それが近隣に広まった由。

 ところで、この唄は、速見・東国東地方では一般に「六調子」と呼ばれているが、それ以外の地域では一般に「杵築」「杵築踊り」と呼ばれている。これは「杵築から伝わった踊り」「杵築が本場の踊り」といった程度の意味で、「佐伯踊り」と同じ発想の呼び方である。杵築発祥というわけでもないのだろうが、かつてよほど流行し、それなりの評判を得た時代があったと考えられる。

 

盆踊り唄「竹刀踊り」 野津原町荷尾杵(今市) <77・77段物>

☆盆の十六日おばんかて行たら(サノヨイ サノヨイ)

 叩き牛蒡に昆布の煮しめ(サノヨーヤーセー ヨーヤーセ)

 

 

 

●●● 庄内節 ●●●

 この音頭は野津原町・庄内町・挾間町で広く流行したもので、野津原・庄内では「二つ拍子」、挾間や別府市東山では「田の草踊り」の音頭として親しまれてきた。地域によって呼称が異なり紛らわしいので、ここでは朝地町志賀における呼称「庄内踊り」から「庄内節」とした。

 節は「ヨーヤセ」「風切り」「かますか踏み」を混ぜたようなもので、一連の「三勝」系統のものなのか「海部」系統のものなのか判断に迷う。詳細は豊後大野市の項を参照してください。

 

盆踊り唄「二つ拍子」 野津原町上町(今市) <77・77段物>

☆先の太夫様しばらくお待ち(ヨイトセードッコイセ)

 しばし間の声継ぎします(ハーヨイヤサノセ ヨイヤサノセ)

☆わしの声継ぎゃ継がぬも知れぬ 竹の切株みかんの接ぎ穂

☆しばし間の手拍子頼む 国はどこよと尋ねて訊けば

☆阿波の鳴門の徳島町よ 主人忠義な侍なるが

メモ:短調ののろまな節で、しんみりとした雰囲気がある。

 

盆踊り唄「二つ拍子」 野津原町岡倉(諏訪) <77・77段物>

☆国はエー 東国常陸の国よ(ヨイトコセッセ)

 牡丹長者のまず物語(アーヤッサノセー ヨヤサノセ)

☆牡丹 長者の由来を聞けば 紫檀黒檀唐木を寄せて

☆唐木 うちでもよい木を寄せて 四方八つ棟三階づくり

 

 

 

●●● 蹴出し ●●●

 これは速見地方を代表する音頭で、特に山香・日出では昔から盛んに踊られている。大分地方では主に石城川方面で流行したが、近年は下火となりつつある。呼称は一定せず、石垣・亀川・日出・杵築・山香・立石・安岐・大田では「三つ拍子」、由布院・上・山浦・南端および宇佐地方一円では「蹴出し」、浜脇・石城川・由布川・国分方面では「けつらかし」と呼んでいる。一応、グループ名としては「蹴出し」をとることにした。

 字脚を節にかっちりと乗せた音引きの少ない節で、この地域では特に耳に速い音頭である。

 

盆踊り唄「けつらかし」 大分市国分(賀来) <77・77段物>

☆臼杵城内下村方で 村で名高きお医者がござる(ヤーレショヤレショ)

☆お医者娘におミヤというて 歳は十八女の盛り

メモ:テンポが速く、ピョンコ節に近くなっている。浜脇の節に近いが、こちらの方がやや平板な印象を受ける。

 

 

 

●●● 覗き節 ●●●

 今は全く見かけないが、覗きカラクリの口上で唄われていた口説の節で、かつて農村部では宴会のかくし芸としてこれを披露する者が多かったようだ。アホダラ経やチョンガレの流れを汲むものかと思われ、非常に早間の畳みかけるような節である。盆口説に転用した例は野津原町・挾間町の一部のみで、「大正踊り」と呼ぶことが多い。おそらく大正初年の流行にて、「大正」の元号が物珍しかったため踊りの名前としたのだろう。

 

盆踊り唄「大正踊り」 野津原町上町(今市) <イレコ>

☆皆さん騒動は色と慾 八百屋お七の成り行きは(ヨイショ)

 お寺は駒込吉祥院 奥の書院の次の間に(ヨイショ)

 勉強なされし吉三さん お七が側に立ち寄りて(ヨイショ)

 膝をちょいとついて目で知らす 私ゃ本郷へ帰ります(ヨイショ)

 帰りゃ八百屋の店開き 店で売るのは人参や(ヨイショ)

 品は数々ござれども も一度うちを燃したなら(ヨイショ)

 好いた吉三と添わりょかと 娘心のひとすじに(ヨイショ)

 店の火縄を盗み出し ポンと投げたるその先で(ヨイショ)

 お七は梯子にかけ昇り 火事じゃ火事じゃと半鐘つく(ヨイショ)

 お江戸は八百八百屋町 まもなく火事もあい済んだ(ヨイショ)

 誰知るまいと思うたが 天知る地知る人が知る(ヨイショ)

 そこでお七はくくられて 萌葱の袴に緋の衣(ヨイショ)

 深い編み笠被せられ 栗毛の馬にと乗せられて(ヨイショ)

 伝馬町から引き出され お七はいくつと問うたなら(ヨイショ)

 私ゃ十五で午の年 十五であるまい十四じゃろ(ヨイショ)

 いいえ十五の午の年 その日の役人哀れみて(ヨイショ)

 十四といえば助かるに 十五といえば是非もない(ヨイショ)

 そこでお七が高やぐら 下から火の粉が立ちのぼる(ヨイショ)

 ヤレ熱いなお父さん 逢いたい見たいは吉三さん(ヨイショ)

 色で我が身を焼き棄てる(コリャコリャコリャ)