達也口説

上村達也という役者が興行で大宰府に行き、そこで天然痘にかかり没するという内容。口説の内容としては、達也の死よりもむしろ、上方から大宰府までの道中に重きを置いているように見える。似たような文句が何度も出てきてやや冗長になっているが、廻り燈篭でも見るかのように次々に景色が思い浮かび、今のように気安く旅行ができなかった時代の人々には一種の憧れを持って親しまれたのだろう。

 

 

上村達也

 

国は筑前大宰府の町よ 音に聞こゆる天神様で 五百年忌の開帳がござる

開帳ありゃまた芝居もござる 芝居役者は上から下る 下る役者が七十余人

それが中にはよいのがござる 花の菊の屋上村達也 達也達也と皆人おっしゃる

達也母様申することにゃ 奥の一間に達也を呼んで 達也よく聞け大事を語る

聞けば大宰府疱瘡が流行る 未だそなたは厄せぬ故に 旅の空にて厄するならば

湯欲し水欲し他人の手から 貰うて飲むのは切のうないか 言えば達也の申することにゃ

やって下んせ両親様よ わしが行かねば芝居は出来ぬ 七十余人が皆まる遊び

言えば両親嫌とは言えず 日柄叩いて舟出しまする 芝居道具を皆積み込んで

七十余人が乗り込みました 役者ばかりでさて賑やかな 笛や太鼓や琴三味線で

そこで達也が船頭に向かい 船頭頼むと挨拶なさる 錨取るやら帆足をしらべ

帆足しらべて蝉口締めて 両手手綱や琴三味の糸 鉦や鼓や琴三味線よ

太鼓打つやら笛など入れて 笙篳篥なるお囃子にして 芝居船じゃと賑やか騒ぐ

大阪木津川夜船で渡る 東白んで夜はほのぼのと 旭出るのを拝みをあげる

須磨や明石を眺めて通る あれに見ゆるはありゃどこかいな あれはどこじゃと船頭に問えば

艫の船頭の申することにゃ ここは一の谷敦盛様の お墓処でおいとしゅござる

七十余人も拝みをあげる 花の達也も拝みをあげる 東風や山背風で播磨を渡る

東風や北西風でだんだら走り あれに見ゆるはありゃどこかいな あれはどこじゃと船頭に問えば

艫の船頭の申することにゃ あれに見ゆるが小豆島よ 間にゃ亀島ふどんが島よ

小豆島よし家室が沖よ 家室沖よりゃ御手洗沖よ 四国七島 讃岐で屋島

阿波で徳島ありゃ二十五島 間の小島は数々あれど 間の小島は飛びぬけまする

さても綺麗な御手洗躑躅 宵に萎れて夜明けに開く 最早汐路も満汐となる

錨取るやら帆足をしらべ 帆足しらべて蝉口締めて 両手手綱や琴三味の糸

鉦や鼓や琴三味線よ 太鼓打つやら笛など入れて 笙篳篥なるお囃子にして

芝居船じゃと賑やか騒ぐ 親子船かえ金ない船が 花の御手洗眺めて通る

東風や北西風でだんだら走り あれに見ゆるはありゃどこかいな あれに見ゆるはどこかと問えば

艫の親爺の申することにゃ あれに見ゆるが室津沖よ 室津上関ゃ棹指しゃ届く

室津沖よりゃ祝島七里 祝島よりゃ姫島七里 豊後境が姫島のこと

右が周防で豊前路左 左脇なる宇佐八幡よ 七十余人が拝みをあげる

花の達也も拝みをあげる 中瀬平瀬を小唄で通る 秋の朝北夕南風西よ

岬周防路を眺めて通る 東風や北西風でだんだん走り あれに見え立つ二つの島や

あれはどこじゃと船頭に問えば 艫の船頭の申することにゃ 陸が干る島沖ゃ満つる島

今は名を変え満珠と干珠 満珠干珠は長府の沖よ 追風よければ舟はやいもの

追風よければ早瀬戸口よ あまり瀬戸口汐速ければ 三つ四つは間切りて見たが

最早汐路も引汐となる 錨下ろして蝉口緩め しばし間の汐懸りする

最早汐路も満汐となる 錨取るやら蝉口締めて 両手手綱や琴三味の糸

鉦や太鼓や琴三味線よ 太鼓打つやら笛など入れて 笙篳篥なるお囃子にして

芝居船じゃと賑やかに下る 東風や北西風でだんだん走り 左脇なる早鞆さまよ

七十余人も拝みをあげる 花の達也も拝みをあげる 関は門司前門司ゃ関の前

関は聖天亀山様よ 七十余人も拝みをあげる 花の達也も拝みをあげる

門司は関前巌流島よ 巌流島にて米など積んで 東風や北西風でだんだら走り

あれに見ゆるが小倉の天守 天守半ばに櫓が七つ 小倉大橋舟着きにけり

伝馬乗りては陸にと上り そこで達也は船頭に向かい 長い道中で大きにお世話

ご縁あるならまた頼みます 船頭さらばと別れをなさる 小倉在なる牛馬を雇い

牛馬雇うて荷物を送る 林豊太や沢村金吾 京の三条の上村達也

これが三人若女形 それに続いて菊也というて これも達也に勝りし者よ

小倉町をば眺めて通る 小倉町なる彼の人々は あれが京都の達也とやらか

達也達也と御名は聞けど お顔見るのは今度が始め 我も我もと皆様騒ぐ

口と文句はさて早いもの 花の宰府に到着なさる うがい手水で御身を清め

一の門越え二の門越えて 三の門越え拝戸に上がる しばし間の拝みをあげる

拝み終われば裏へと廻る 裏に廻りて舞台の係り 舞台係りは三十と五間

あたり百間矢来を結うて 矢来継ぎ目に木戸場を開ける 十と五間の櫓を立てて

櫓下には書き出しが出る 初日顔見世千本桜 兄の団七偽忠信よ

弟達也は静香の御前 踊る手褄や踏み出す足に 千両万両と誉れが上がる

達也一じゃと誉れが上がる 二日目芝居は何じゃと問えば お染久松質屋の段よ

八百屋お七の火あぶり段よ 宰府町なる彼の人々は 我もこの世に生まれしなれば

達也芝居を見て死にたいと 老も若きも皆打ち連れて 我も我もと見物に上る

我も達也に投げ花せんと わしも達也に投げ花せんと 舞台上には小山のごとく

兎角浮世は定めなきものよ 花の達也が病気にしつく 病気しついて三日目の日には

顔にぽつりと疱瘡が出づる 髪に出るのは髪切り疱瘡 背中に出るのが百足の疱瘡

腹に出るのが太鼓の疱瘡 昼は太鼓が囃してならぬ 夜は百足でよどいてならぬ

そこで達也が思いしことにゃ どうせこの身はない身が程に 兄よ兄よと寝間にと呼んで

兄さよく聞け大事なことよ 蝶よ花よと伸びたる髪を 元結際よりぷつりと切りて

肌につけたるこのお守りと これを故郷のご両親様に 達也形見と渡しておくれ

前に立てたる姿見の鏡 兄の前では言いにくけれど 故郷馴染みのお艶に形見

達也形見と渡しておくれ わしの持ちたる四十二の衣裳 芝居仲間の朋輩衆に

達也形見と渡しておくれ 着たる衣裳や差したる大小 これはあなたにあげますほどに

言うて達也のご病気は重る 兄の膝をば最後の枕 秋の稲妻川辺の蛍

うつらうつらと眠るが如く 次第次第に往生なさる 死した体は朱漬となして

花の京都に送られまする 千秋万端まずこれまでよ